『BRAINS〜コンピュータに賭けた男たち〜』
第一部 苦難の開拓者たち 第一章 チャールズ・バベッジ
@階差機関
1.海岸
− 1820年頃 イギリス −
若者たちが海に沈んだロープを力一杯引っ張り上げている。
「わっせぇ、わっせぇ」
ロープは一度滑車を通り、まっすぐ海面に沈んでいる。
その様子を座って見ている友人1。
ロープの先、大きな釣り鐘が上がってくる。
友人1「(見て)ほう」
釣り鐘の中から出てくる主人公。
− チャールズ・バベッジ −
バベッジ、ゼエゼエと息が荒い。
バベッジに駆け寄る若者たち。
息を飲む。
バベッジ「(呼吸を整え)ご協力ありがとう。青年団の皆さん」
若者1「海の底はどうでしたか?博士」
バベッジ「まさしく神秘。皆さんもどうぞ」
若者2「よし!次はオレだ」
釣り鐘型の乗り物に群がる若者たち。
バベッジ「ただし、窒息しないように!」
友人1「(来る)今度は潜水艦か?バベッジ」
バベッジ「スゴイだろ。おまえも潜ってみるか?」
友人1「(あきれている)こんなヘンテコなものばかり作って…おまえも数学者なら数
学者らしく…」
バベッジ「だけど評判はいいみたいだぞ」
潜水艦にわれ先に乗り込もうとしている若者たち。
そこに、
声「助けてくれぇーッ!」
と、航海士1が大勢の男たちに追われて逃げてくる。
見る二人。
友人1「んっ」
バベッジ「あれは航海士のジョン…」
航海士1の顔は殴られてアザだらけ。
航海士1「僕のせいじゃないんだ!悪いのはみんな…」
2.研究室
「アフリカ大陸を新大陸だって」
航海士1を前にゲラゲラ笑っているバベッジと友人1。
顔を真っ赤にして弁解している航海士1。
航海士1「針路を間違えたのは僕のせいじゃない。ちゃんと航海表の通りに進んでいた
だけなんだから…」
笑いをこらえる二人。
バベッジ「確かに君は間違っていない。航海表を計算し直してみたら、間違いだらけだ
ったよ」
航海士1「ね、そうでしょう?それなのにひどいよ、みんな…」
バベッジ「…」
友人1「しかし困ったもんだな。こんな航海表を使っていたんじゃ、そのうちみんな遭
難してしまうぞ」
航海士1「だけど、その場でいちいち計算していたんじゃ夜が明けてしまう。早見表は
絶対必要ですよ」
3.イメージ(数表の説明)
数表。
N(ナレーション)「数表 − 様々な関数の値を印した一覧表。電卓のなかった時代、
科学技術者は数表を使って複雑な計算を処理していた」
*
航海している船と世界地図。
N「その中でも特に航海表は、世界的規模の貿易を展開し始めていた当時のイギリスにとっ
て重要な意味を持っていた」
*
数表を作っている『工場』。
百人近い人たちが、手作業で計算を行なっている。
N「しかし当時の数表はすべて手作業で作られていたため数多くの誤りが含まれており、
しばしば重大なミスを誘発していた」
4.研究室
N「数表の整備は当時、国家的事業となっていたのである」
バベッジ「こういう数表を人間の手で作っているのが間違いなんだ!」
見る友人1と航海士1。
バベッジ「人は必ずミスをする。こうした計算が自動機械でやれたらどんなに…」
友人1「(あきれて笑い)おまえは本当にカラクリものが好きだな」
バベッジ、自分の言った言葉にハッとなる。
バベッジ「機械化か…」
*
N「コンピュータの歴史は、産業革命が進む十九世紀のイギリスで、一人の風変わりな
数学者の手によって幕を開ける」
5.政府官邸・一室
− 1823年 ロンドン −
大蔵大臣と話をしているバベッジ。
大臣「数表の計算を自動で行い、しかも印字までしてしまう計算機械?」
バベッジ「はい」
大臣「そんなものが可能なのかね?」
バベッジ「原理的には何の問題もありません」
大臣「原理的には?」
バベッジ「技術的な問題は別です。しかし、現在の我が国の技術力をもってすれば、十
分可能だと思われます」
大臣「たしかに、貿易が盛んになり、産業が猛烈な勢いで高度化している今、数表の整
備は、国家的急務となっている。そんな夢のような機械があればどんなに助かるか…」
バベッジ、1枚の図を広げる。
見る大臣。
大臣「?」
バベッジ「階差機関と名付けました。その計算機械の完成予想図です」
大臣「…」
説明を始めるバベッジ。
バベッジ「数表を作る場合、まず求める関数を多項式に展開してから計算を行います。
例えば、正弦関数(サイン)はxが0に近い場合、
Sin x = x − 1/6 x^3 + 1/120 x^5 − …
と書き換えられることが数学的にわかっています」
大臣「その式に数字を代入して、具体的な値を求めていくわけだな?」
バベッジ「はい。ふつう、一つの関数表を作るのに、計算手百人を動員します」
大臣。
バベッジ「この階差機関はそれをたった一台で行うことができるのです!」
大臣「なんと…!」
バベッジ「そしてもっと重要なことは、機械は間違いをおかさないということです」
大臣「…(驚きの表情でその図を見つめる)」
バベッジ、意味ありげに大臣を見る。
バベッジ「どうです?このアイデア、買いませんか?」
大臣「(見る)」
6.イメージ(階差の説明)
歯車式の計算機の構造。
N「このような多項式が歯車の組み合わせで処理できるとは、当時は誰一人、想像すら
していなかった。バベッジはそれを階差を利用することで可能にしたのである」
階差の説明図。
N「階差とは隣り合った数値の差のことである。n次の多項式の場合、第n階差は定数
になる。例えば、x2+x+1という二次の多項式にx=1,2,3,…を順に代入
して表を作って階差を取ると、第二階差はすべて同じになることがわかる。これを逆
に考えると、第二階差(わかっている)から第一階差が求まり、その第一階差からも
との値が計算できることになる。ここで使う計算は足し算だけなので、歯車式計算機
でも十分可能なのである」
7.街
N「階差機関 − それは歴史上初の自動計算機械であった」
歩いていくバベッジと友人1。
友人1、階差機関の完成予想図を見ながら、しきりに感心している。
友人1「だけど、本当に考えだしてしまうとはなあ…おそれいったよ」
バベッジ「フフ…、考えるまでは簡単だよ、天才だからな」
友人1。
バベッジ「だけど、本当に大変なのはこれからだ。こういう機械は実際に作り上げなけ
れば意味がない」
友人1「金はどうする?作るには金がいるだろ?」
バベッジ「それは心配ない」
友人1「(見る)あてでもあるのか?」
バベッジ「政府からせしめてきた」
友人1「(ビックリ)なにーッ!いくら?」
バベッジ「千五百ポンド」
友人1「…」
*
N「これもまた歴史上最初の、政府による研究開発助成金であった」
*
バベッジ、一軒の機械加工所の前で立ち止まる。
バベッジ「ここか…」
看板に、『クレメント精工所』。
見上げる友人1。
− 世界一の技術を持つというクレメントか…こいつは本気だ… −
8.クレメント精工所
「こんにちは」
と入ってくるバベッジと友人1。
当時最新鋭の工作機械が整っている中、10人ほどの職人がそれぞれに作業をしてい
る。
その中央、2メートル角ほどの大きな台を持つ平削り盤が設置されている。
それを使って作業をしているこの精工所の主人。
− ジョセフ・クレメント(Joseph Clement 1779〜1844) −
クレメント、刃の先を設置した部品に慎重に合わせている。その微妙な調整と鋭い視
線。
クレメント「(視点を離さず)注文なら後にしてくれ。1ヶ月先まで一杯だ」
つかつか入っていくバベッジ。
バベッジ「世界一の腕を見込んで、作ってもらいたいものがある」
顔を上げるクレメント。
バベッジ「金に糸目はつけん」
クレメント「…」
*
N「階差機関の開発は、当時最高の技術を必要とし、それでもなお難航した」
9.バベッジ家・設計室
バベッジが設計図を前に考え込んでいる。
N「その最大の原因は、当初の計画を過小に見積もり過ぎたためと」
バベッジ、ハタと何かがひらめく。
バベッジ「そうか…」
バベッジ、飛び出していく。
N「バベッジ自身の性格にあった」
10.クレメント精工所
若い職人1が情けない声を上げる。
職人1「あ、またしくじった…」
タメ息をつく職人1。
職人1「親方、無理ですよ。1ミル(約1000分の25ミリ)単位の加工精度なんて、
バベッジさんの要求は高すぎますよ」
クレメント、加工した部品をノギスで入念にチェックしている。
クレメント「(視点を離さず)ガタガタ文句を言うんじゃねえ。世界一の腕を見込まれ
て頼まれてるんだ。ここでやらなきゃクレメントの名がすたる」
職人1「(しぶしぶ)へい」
クレメント、部品のできばえに満足そうな笑み。
クレメント「ピッタリだ」
職人1「(見る)さすが親方」
クレメント「ハハハ…、職人ていうのはな…」
そこにバベッジ、駆け込んでくる。
バベッジ「変更、変更」
見るクレメントたち。
バベッジ「設計変更だ」
クレメント「え?」
バベッジ「いいアイデアが浮かんでね」
顔を見合わせる職人たち。
クレメント「それじゃ、この部品は?」
バベッジ「すまんが、なしだ」
クレメント、作ったばかりの部品をグッと握りしめる。みるみる顔つきが険しくなっ
てくる。
職人1「そんな…」
クレメント「(絞り出すような声で職人1を制す)いいんだ。お客さんの希望に応えて
こそ職人てもんだ」
バベッジ「はじめに言っておくが、私は、妥協は嫌いだ」
職人たち。
*
N「完全主義者であったバベッジは常にベストを追求した。そのため開発はしばしば中
断した」
11.イメージ
夢中で開発に取り組むバベッジとクレメントたち。
山のように積まれた失敗作の数々。
*
N「着手から十年が過ぎていった。政府の援助は一万ポンド以上に膨らみ、私費もほぼ
同じくらいつぎ込んでいった」
12.イメージ
バベッジ家。
N「バベッジ家は旧家であり、父親の遺産で支えられていたが、その蓄えも次第に枯渇
し始めていた」
13.クレメント精工所
言い争っているバベッジとクレメント。
バベッジ「(怒っている)仕事を放棄するだってどういうことだ?」
クレメント「(も怒っている)こう、いつもいつも支払いが遅れたんじゃ、こちとら仕
事にならん。あんた最初に言ったね、金に糸目はつけんって」
バベッジ「いや、それは…(懸命に)来月には必ず。今、政府と交渉中だから」
クレメント「ダメだね。話にならん」
バベッジ「なぜ?この階差機関が完成すれば、世の中が…」
クレメント「世の中が変わろうが変わるまいが、オレには関係ねえ。あんたの道楽に付
き合うのはもうウンザリなんだよ」
バベッジ「道楽だとォ」
クレメント「金のねえヤツは客じゃねえ」
ケンカになる二人。
14.政府官邸
大蔵大臣に資金援助を要請するバベッジ。
大臣「あなたは一体いくら政府の金を使えば気が済むのかね?」
バベッジ「見積りが甘かったことは認めます。ですが、あと少しで…」
渋い顔で聞いている大臣。
大臣「本当に完成できるのかね?」
バベッジ「どういう意味です?」
大臣「あなたの計画は『いんちき』だという者もいる」
バベッジ「(ムッとなる)誰です?」
大臣「(見る)例えば、エアリー教授とか…」
バベッジ「(苦々しくつぶやく)エアリーの石頭が…」
声「誰が石頭だ」
と、奥から男が出てくる − エアリー。
バベッジ「(見る。−ムッとなり)エアリー、きさま、何もわからないくせに…」
エアリー「フン、インチキ科学者め。おまえなど、自分で作った釣り鐘で一生海の底に
沈んでいればよいのだ」
バベッジ「(激怒)なんだと!数学もできない数学者がッ」
エアリー「(激怒)なにを…」
ケンカになる二人。
その横で大臣、タメ息をつき、考え込む。
大臣「フム…。チャールズ・バベッジ…世紀の天才か、希代のほら吹きか…」
*
N「1833年、英国政府はバベッジへの資金援助を停止した」
15.バベッジ家・開発室
作りかけの階差機関の部品に囲まれて、一人ポツンといるバベッジ。疲れきったその
顔。
バベッジ「クソッ!」
と、手に持っている作りかけの部品を叩きつけようとするが − 思い止まる。
バベッジ「いや、まだまだ勝負はこれからだ」
なお自分を奮い立たせるように、
− 真に優れたものならば、いつか必ず… −
16.設計室
黙々と研究を続けるバベッジ。
N「階差機関の開発を通じて、バベッジは計算機の本質に急速に迫っていった。そして
ついに、二十世紀に通ずる一つの結論に到達する」
バベッジ、ハッと手が止まる。
バベッジ「まさか…」
自分の考案した計算機械に自分自身で驚く。
バベッジ「ハハ…本当に?…こんなことまで?」
思わず笑い出してしまうバベッジ。
17.イメージ
解析機関。
N「解析機関 − それはまさに現代コンピュータの原型であった」
18.橋
一人遠くを見つめているバベッジ。
N「しかしその構想があまりにも時代を先取りしすぎていたため、バベッジはますます
孤立していくのである」
(@・終)
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