『BRAINS〜コンピュータに賭けた男たち〜』
第一部 苦難の開拓者たち 第一章 チャールズ・バベッジ
A解析機関
1.バベッジの家
パーティーが開かれている。
− 1833年 −
N「階差機関の開発に挫折した頃、バベッジはしばしばロンドンの知識人を招いて自宅
でパーティーを催していた」
からくり人形やバベッジの発明品などがそこここに展示されている。
N「このパーティーでバベッジは、自分の仕事を理解する生涯唯一ともいえる人物に出
会う」
バベッジ(42)、回りに声をかける。
バベッジ「お集まりの皆さん、ご覧下さい。これが私の宝物、銀のバレリーナです」
テーブルに飾られた銀色のバレリーナ。右手の人差し指には小鳥がとまっている。
集まってくる人々。
バベッジ、人形についているボタンを押す。
すると、そのバレリーナが優雅に踊り出す。
「おお」
バレリーナの動きに目を奪われる人々。
その中で、一人の少女だけがその輪に加わらずにいた。
その少女は、片隅に展示してある作りかけの階差機関をじっと見つめている。
− エイダ 17歳 −
バベッジ、エイダに気付き、来る。
バベッジ「お嬢さんはバレリーナには興味はないのかね?」
エイダ「(振り向く)私は…こちらの機械の方がずっとすごいと思います」
バベッジ「(意外)この機械が何をするものか、わかるのかね?」
エイダ「自動的に計算を行う機械だと思います」
バベッジ「こいつは驚いた。その通りだよ」
エイダ。
バベッジ「お嬢さん、お名前は?」
エイダ「エイダ…エイダ・オーガスタ・バイロン」
バベッジ「バイロン?」
エイダ「父は詩人のバイロンです。もっとも父は私が生まれてすぐ離婚していますので、
私は父の顔を知りませんが…」
2.イメージ
G・G・バイロン(1788〜1824)。
N「文学史に名を残すロマン派の詩人バイロン。バイロンには、自らの女性遍歴のため
生涯会うことのできなかった一人の娘がいた。それがエイダである。この少女こそが、
バベッジの偉業を正しく理解した、この時代唯一の人物であった」
3.パーティー
エイダ「バベッジさん、この階差機関のこと、もっと詳しく教えて下さいませんか?」
バベッジ「君の数学の才能は本物のようだ。君には、もっとスゴイ話を聞かせてあげよ
う。こちらへおいで」
4.設計室
入ってくるバベッジとエイダ。
壁に大きく貼り出されている計算機の完成予想図。
エイダ「(目を見張る)あれは?」
バベッジ「解析機関だ。階差機関をはるかに超える新しい計算機だ」
エイダ「解析機関…。階差機関とは何が違うんですか?」
バベッジ「階差機関は決まった数表しか作れない単なる作表機にすぎない。それに対し
て、解析機関はありとあらゆる数式が計算できる、いわば万能計算機だ」
エイダ「ありとあらゆる…」
バベッジ「この解析機関は世界を変える世紀の発明になるはずだった」
エイダ「だった?」
バベッジ「だけど変わったのは私だけだった」
エイダ「?どう変わりましたの?」
バベッジ「孤独になった。誰にも相手にされなくなった」
エイダ「プッ…ハハハ…」
笑い出すエイダ。
バベッジ「…」
エイダ「決めたわ。私はこれに賭けてみる」
バベッジ「(見る)賭ける?」
エイダ「人生は賭けですわ。バベッジさん」
5.ロンドンの街並み
N「2年後エイダは結婚してラブレス夫人となるが、その後もバベッジに協力し解析機
関の開発を支援する」
エイダが急いでいる。手に持っている1冊の本。
6.バベッジ家
エイダ、息を切らしてくる。
エイダ「バベッジさん!大変!大変!」
と、家の中に飛び込んでいくエイダ。
が、すぐ出てくる。
エイダ「あれ?」
キョロキョロするエイダ。
エイダ「バベッジさーん!」
屋根の上から顔を出すバベッジ。
バベッジ「どうした、エイダ。何か用か?」
見上げるエイダ。
エイダ「あんな所に…」
7.屋根の上
大きなガス灯とそれを覆う半開きの容器が設置されている。
ハシゴで上がってくるエイダ。
バベッジ「おいおい、あぶないぞ。もう結婚して伯爵夫人になったんだからもっと…」
エイダ、屋根に上がり、パンパンとほこりを払う。
エイダ「こんな所で何をなさっているの?バベッジさん」
エイダ、装置を見て、
エイダ「何ですの?このヘンテコなものは」
バベッジ「(得意そうに)点滅灯だ。灯台の明かりに使えると思ってね、今、最終チェッ
クをしているところだ。夜になるとキレイだぞ」
エイダ「あきれた…またこんなくだらない発明を…。だからバベッジさんは…」
バベッジ「くだらなくはないぞ。これで何百何千という船舶の安全が確保できる。世間
の評判は、解析機関よりよっぽどいい」
エイダ「(思い出す)あ、そうそう。もうこれ、ご覧になりました?」
エイダ、持ってきた本をバベッジに見せる。
バベッジ「?(受け取る)ジュネーブ世界叢書…フランス語だな…」
エイダ「ここに解析機関の解説が載っているんです」
バベッジ「ほう、海外の方が少しは評価されているのかな?」
エイダ「私はこれを英語に翻訳しようと思いますの」
バベッジ「ん?」
エイダ「無数にある間違いを直して、注釈をいっぱいつけて…」
エイダ、グッとこぶしを握りしめ、ロンドンの街を見おろす。
エイダ「世間の人に解析機関の素晴らしさを知らしめる良いチャンスですわっ!」
バベッジ「いよッ、ラブレス夫人!」
8.ラブラス家・書斎
熱心に翻訳作業をしているエイダ。
そこに、本文がかぶる。
『解析機関は2つの部分から成り立つ。
(1)すべての数値が貯えられる貯蔵部。
(2)演算が行われる作業部。』
N「これは現在の記憶装置(メモリー)と中央演算装置(CPU)に相当する」
『入力はパンチカードによって行われ、出力は紙に印字するか、カードにせん孔する。』
9.イメージ
現代コンピュータの基本構造。
N「バベッジの解析機関は現代のコンピュータに驚くほどよく似ていた。たった一人の
人間が、100年も前にコンピュータの本質に到達していたのである」
10.ラブラス家・書斎
エイダ「できた!」
パタンとその原稿を閉じる。
エイダの翻訳本。
メナブレア著 エイダ・ラブレス訳
『C・バベッジの解析機関』
11.政府官邸
その本を机の上に投げ出すエアリー−バベッジと反目している数学者。
エアリー「(馬鹿にしたように)プログラミング?」
来ているバベッジとエイダ−ムッとなる。
その横では大蔵大臣が両者の話に耳を傾けている。
エアリー「それが解析機関とやらの『売り』かね?」
エイダ「データだけじゃなく、式そのものも機械に入力するんです」
エイダ、自信満々で一枚の紙を広げる。
エイダ「これは私が書いた連立方程式を解くプログラムです」
12.イメージ
エイダのプログラム。
N「それは史上初めてのプログラミング(ソフトウェア)であった」
13.政府官邸
大臣「(その紙を見ている)…」
が、判断しかねてエアリーに視線を送る。
「フン」と鼻で笑うエアリー。
エアリー「(バベッジたちに)そんなものに政府が金を出すと本気で思っているのかね?
階差機関も完成できなかったくせに…」
バベッジ「(努めて感情を抑えて)解析機関さえあれば階差機関はいらない」
エイダ「プログラムを変えることによって、どんな複雑な式でも計算できるのです」
14.イメージ
現代のコンピュータと電卓。
N「プログラム制御方式 − 汎用性とともに高速計算を可能にする。電卓が本質的に
キーを叩く指の動き以上には速く計算できないのに対して、プログラム制御方式のコ
ンピュータはハードウェア(機械本体)の性能に応じていくらでも速い計算が可能と
なる」
計算速度の比較。
歯車式の計算機 − 1秒間に約1回の計算。
現在のパソコン − 1秒間に約1千万回の計算。
N「しかし、その有効性が現れるのは計算機自体の演算速度が高速になってからである」
15.政府官邸
N「解析機関に理解が得られなかったのは当然のことであった」
エアリー、追求を続ける。
エアリー「複雑な式ならば単純な式に分割して、その都度設定を変えて階差機関で処理
していけばよいのではないのかね?」
バベッジ「解析機関は階差機関をはるかに越える可能性を持っている。もっとずっと、
我々の想像を超えるような…」
エアリー「想像を超える?(馬鹿にして)機械がもの考えるのかね?しゃべり出すとで
もいうのかね?」
バベッジ「(見る)」
エアリー「階差機関が完成できないからといって、また別のインチキ機械で金をせしめ
るつもりかね。この詐欺師がッ!ホラを吹くのもいい加減にしたまえッ!」
エイダ「(怒りに震えている)賭けますか?」
エアリー「(見る)賭ける?何を?」
エイダ「解析機関がインチキかどうか…」
エアリー「フン、バカバカしい。賭けになるわけないだろう。おまえたちはその機械を
完成することはできない。政府がこんなものに金を出すわけがないからな」
エイダとバベッジ − 大臣に目をやる。
大臣「(横を向いたまま)英国政府はエアリー教授の報告を支持する」
バベッジ「(すがるように)それでは、まず階差機関の開発を行って、それから解析機
関の開発を進めるというのは?」
大臣「英国政府はバベッジ博士を信用していない」
エイダ「そんな…」
バベッジ「…」
16.道
肩を落として帰っていくバベッジとエイダ。
N「時代は電卓(の代わり)を要求していたのであり、それはコンピュータではあり得
なかった。その中でバベッジ一人が遠い未来を見つめていたのである。その視線の先
にあったものは…」
エイダ「もう、頭来ちゃうわね、あのエアリーという男」
バベッジ「だけどアイツも一つだけ良いことを言ったな」
エイダ「何?」
バベッジ「(つぶやくように)機械が考え出すか…フフ…」
エイダ「気持ち悪いわね」
バベッジ「(見る)私にはね、1つだけ願いごとがあるんだ」
エイダ「解析機関を完成させること?」
バベッジ「(首を振る)1度でいい、500年後の世界を見てみたい。それがかなうの
なら、いつ死んだって構わない」
エイダ「500年後?(笑顔になる)…ねえ、どんな世界なの?500年後って」
バベッジ「私が思うにはね、」
その時エイダ、ハッとなり、あわててバベッジの身体に身を隠す。
バベッジ「ん?どうした、エイダ」
エイダ「(小声になり)ブックメーカー(私設馬券屋)ですわ。私、あの人から少々借
用がありますの…」
バベッジ、見ると道の対向をそれらしい男が歩いてくる。
バベッジ「(あきれて)賭け好きもいいが、ほどほどにしないと…」
馬券屋、エイダに気付く。
ドキッとなるエイダ。
近寄ってくる馬券屋。
エイダ「(緊張)…バベッジさん、失礼!」
エイダ、あわてて逃げて出す。
馬券屋「あ、待って下さーい!ラブレス夫人!」
馬券屋もあわてて駆け出す。
エイダ「(走りながらバベッジに)今度は競馬に必ず勝つ機械を作りましょうね!」
あきれて思わず頭を抱えるバベッジ。
*
必死に逃げていくエイダ。
その姿にかぶって −
N「バベッジのもとで歴史上最初のプログラマーとなったエイダ。ほとんど女性が登場
しないコンピュータの開発史において、その存在は奇跡に近い」
17.イメージ
エイダ・オーガスタ・ラブレス夫人(1815〜1852)。
N「しかし、エイダはあまりにも薄幸であった。1852年、子宮ガンでこの世を去る。
36歳の若さであった」
18.バベッジ家
作りかけの解析機関のかたわらで、一人呆然と立ち尽くすバベッジ。
N「最大の理解者を失ったバベッジは、また一人になり −」
19.街角1
N「月日とともに、ますます頑固になっていった」
子どもたちが遊んでいる。
そこに子供1が駆けてくる。
子供1「またバベッジじいさんがオルガン弾きとケンカしてるぜっ」
色めき立つ子供たち。
「見に行こ、見に行こ」
と駆けていく。
20.街角2
子供たちが来る。
年老いたバベッジが街のオルガン弾きたちと喧嘩している。
オルガン弾き1「どうしてオレたちはこの街でオルガンを弾いちゃいけないんです?」
バベッジ「おまえたちが来るとうるさくて仕事にならんッ」
オルガン弾き2「オルガンで変になった人がいますかい?音楽は音を楽しむと書くんで
すぜ」
これ見よがしにオルガンを弾きまくるオルガン弾きたち。
バベッジ「(激怒)いい加減に…」
オルガン弾き1「いい加減にするのは、そっちだッ!」
オルガン弾き1、ドン!とバベッジを突き飛ばす。
尻もちをつくバベッジ。
息をのむ子供たち。
オルガン弾き1「商売のじゃまをするのもいい加減にしてくれ」
去っていくオルガン弾きたち。
バベッジ「クッ…」
その回りを「ワーイ!」と、はやし立てる子供たち。それぞれにオルガン弾きのまね
をして回る。
バベッジ。その顔にかぶって、
− エイダ、教えてくれ…君は賭けに勝ったのか… −
21.回想
17歳のエイダ。
エイダ「私、解析機関に賭けてみる。人生は賭けですわ、バベッジさん」
22.街角2
バベッジ。
− そして私は… −
*
N「自分の目指しているものを人々に理解させることが不可能だと悟ったとき、バベッ
ジは多くを語らなくなったという」
23.イメージ
一人解析機関の開発に打ち込んでいる年老いたバベッジ。
N「そして1871年、寂しくその生涯を閉じる」
24.イメージ
チャールズ・バベッジ(1791〜1871)と現代のコンピュータ。
N「時代がバベッジに追いつくには、さらに100年の歳月が必要であった。20世紀
に入り、バベッジの解析機関はコンピュータと名を変えて大きく開花する −」
25.イメージ
500年後の未来社会。
N「しかしバベッジが見つめていたのは、私たちの想像さえ超えた、本当に500年後
の世界だったのかもしれない −」
(A・終)
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