『BRAINS〜コンピュータに賭けた男たち〜』
第一部 苦難の開拓者たち 第二章 アラン・チューリング
@ENIGMA
1.国境
− ポーランド 1939年9月1日 −
サイレン音を響かせポーランド軍の拠点に急降下爆撃を加えるユンカースJu87。
国境を越え、侵攻するドイツ軍機甲師団。
2.森
その爆撃音を遠くに聞きながら、男1が懸命に走っていく。
脇に抱えたボストンバック。
3.回想(研究所1)
博士1が男1にボストンバックを手渡す。
博士1「ドイツ軍の暗号機エニグマだ」
男1「(見る)」
博士1「これを持ってイギリスへ行け」
男1「しかし、これは我々がようやく複製に成功した…」
博士1「祖国を救うためだ。ヒトラーがポーランドに攻めてくる前に必ずイギリスへ…」
4.森
懸命に走り続ける男1。
何かにつまずいて転ぶ。
が、すぐに立ち上がってまた走る。
− イギリスへ、イギリスへ… −
5.街
− ロンドン −
雑踏の中を新聞売りの少年が号外をバラまきながら駆けていく。
「戦争だあ!ドイツがポーランドに侵攻したよーっ!!」
我先に号外を手に取る人々。ざわめきと不安。そして興奮。
その中にいるアラン・チューリング(27)。
無精ひげにだらしない服装。しかも童顔。
喧噪の中、号外を拾い上げる。
チューリング「(読む)…」
そこに軍人が一人、近づいてくる。
軍人「チューリング博士ですね?」
見るチューリング。
N「1939年9月1日、ドイツ、ポーランドに侵攻。ポーランドと同盟関係にあった
イギリス、フランスがドイツに宣戦を布告。第二次世界大戦勃発。世界が国をあげて
の総力戦へと突入していく」
6.イメージ
原子爆弾、ロケット、そしてコンピュータ。
N「しかし皮肉なことに、この未曾有の戦争を通じて、科学技術は歴史上例を見ない驚
異的な発展を遂げていく。原子力の解放(アメリカ)、ロケットの発明(ドイツ)…、
その後の人類史を大きく左右する技術が続々と誕生する。そしてコンピュータもまた、
この時期に産声を上げる」
7.海
− 英仏海峡 −
穏やかな海原をイギリス艦隊が進んでいく。堂々たる威容。
中心には空母カレージアス(艦船についての資料は特に揃えていません。すみません)。
その甲板上。艦長1と船員1が話している。
船員1「さすがのヒトラーも海では我々の敵ではありませんね」
艦長1「当たり前だ。我が大英帝国海軍は世界最高の陣容を誇っている。ドイツ・イタ
リア両海軍を合わせても足下にも及ばん」
船員1「早く一戦交えたいですね」
フフッと笑う艦長1。
その時、隣の艦が爆音とともに炎上。
艦長1「(驚き)なんだ!?」
艦橋から船員2が叫ぶ。
「左舷より魚雷の航跡2本!!本艦に接近中!!」
*
迫る2本の航跡。
*
艦長1「ばかな…」
ドーーン!!
という強い衝撃 − 炎上、大破。
N「1939年9月、空母カレージアス撃沈」
*
その遠景。
海中から浮上してくる1隻の潜水艦 − ドイツ海軍Uボート。
8.研究所
− イギリス ブレッチレー・パーク 外務省暗号研究所 −
軍服を着た副所長トラビス、研究員を前に怒っている。
副所長「またUボートだ!何とかならんのか、何とか!」
困っている研究員たち。
副所長「敵の暗号を解読し、Uボートの位置を把握することが君らの任務だろう!」
研究員1「敵は暗号作成に機械を使っています」
副所長「エニグマか?」
研究員1「ええ。人間の手でそれを解読することは不可能ですよ」
副所長「不可能?」
なめるように研究員たちをにらみつけていく副所長。
研究員の1人 − ゴードン・ウェルチマン。
副所長と目が合い、
ウェルチマン「私は陸・空軍担当ですから…」
副所長「(カチンとくる。ゆっくりと歩み寄り)ほう。まるでドイツ陸・空軍の暗号は
解けたような口振りだな?ウェルチマン君」
ウェルチマン「(両手を広げ)なかなかチェスのようにはいきませんね」
副所長「チェス?」
研究員1「そういえば、ウェルチマンはチェスの腕を買われてここに呼ばれたんだった
な。所長の趣味かな?」
研究員2「ゲームの得意な者は謎解きも得意だと思ったんじゃないか?」
副所長「(嘆く)カーッ、どうして所長はこう次から次へとわけのわからんヤツらばか
り集めてくるんだ」
ウェルチマン「(ムッと見る)わけのわからんヤツで悪かったですね」
副所長「そういう口はな、暗号を1つでも解いてから…」
そこに所長のデニストン、入ってくる。
所長「おいおい、どうした、大きな声を出して…」
見る一同。
副所長「Uボートですよ。悔しいじゃないですか、あんなできそこないの潜水艦にいい
ようにやられるなんて…。このままでは我が国の生命線である海洋貿易ルートは壊滅
してしまいますよ」
所長「我々だって、ただ指をくわえて見ているだけではない」
副所長「何か良い対策でも?」
所長「とっておきの切り札に召集をかけた」
研究員たち「切り札?」
副所長「またヘンテコな男じゃないでしょうね?」
ムッと見るウェルチマン。
所長「君たちも数学者の端くれだから名前ぐらいは知っているだろう − アラン・チ
ューリングだ」
「チューリング…!」
ザワめく一同。
9.道
田園風景の中を続く一本の道。
その傍らの一本の木。その木陰で自転車のチェーンを修理しているチューリング。
相変わらずのだらしのない格好。しかも大きなマスクまでしている。
N「第一次世界大戦が火薬・毒ガスなど化学の戦争だったのに対して、第二次世界大戦
は物理・数学の戦争であったともいわれる。この時期、イギリス全土から多くの数学
者がこつ然と姿を消し始めていた」
そこに一人の若い女性が通りかかる − ジョアン・クラーク。
ジョアン、チューリングに気付く。
ジョアン「どうなさったんですか?」
振り向くチューリング。
その異様に大きなマスクに驚くジョアン。
ジョアン「なんですか?その防毒マスクみたいな大きなマスクは」
チューリング「いや…、ぼくはひどい花粉症でね…」
ジョアン「(おそるおそるのぞき込む)自転車…故障ですか?」
チューリング「いや、いつものことなんだ。この自転車は10マイルくらい走るとチェ
ーンがはずれてしまうんだ。普段はメーターを見ていて、そろそろかなというときに
点検するんだけど、初めての土地なもんでうっかりしてしまって…」
ジョアン「…」
チューリング「ほら、このメーター、自分で作ったんだ。車輪の回転数を検出できるよ
うになっていて、ほら、ここの部分で…」
ジョアン「(不思議そうに)自転車屋さんでチェーンを直してもらえば済む問題ではな
いんですか?」
キョトンと見るチューリング。
チューリング「(真面目に)そうか!そうすれば…」
ジョアン。
チューリング「いやあ、あなたはなかなか頭の良い人だ」
ジョアン「(笑い出す)おかしな人」
チューリング「地元の人ですか?」
ジョアン「ううん。政府に招請されて来ているの。内容までは国家機密なので言えない
けど。私、こう見えてもそこそこの人材なのよ」
チューリング「へえ、ぼくと同じだね。ぼくも政府に呼ばれて、今日来たんだ」
ジョアン「あなたが?」
ジロジロとチューリングを見るジョアン。
だらしないチューリングの身なり。
ジョアン、楽しそうに笑い出す。
チューリング「?」
ジョアン「あなたは本当に愉快な人ね」
ジョアン、時計を見て、
ジョアン「本当は修理、お手伝いしたいのですけど、今日は大切な上司が来る日なんで
す。もう職場に行かなければなりません。すみません」
チューリング「いえいえ。どうぞ」
行くジョアン。ふと振り向いて、
ジョアン「ここは何もないけれど、静かで良い町ですよ。またどこかでお会いしましょ
う!」
チューリング「どうもありがとう」
10.暗号研究所
研究員たちがチューリングを待っている。
副所長「(イライラしている)遅いな、チューリング博士は。…もうとっくに着いてい
てもおかしくはないんだが…」
ざわついている一同。
研究者2「チューリングって、あのチューリング・マシンのチューリングだろ?」
研究者1「うん。たった一本のテープとたった一つのヘッドで、思考をモデル化したと
いう…」
研究者2「思考を!?」
研究者1「つまり、ものを考えるとはどういうことかを理論化したっていうわけさ」
ウェルチマン「天才チューリングか…。(振り向き)すごいヤツが君の上司に来るもん
だ。楽しみだな、ジョアン」
そこにジョアンがいる。
ジョアン「(興奮気味)ええ」
11.イメージ
コンピュータ史上に不朽の名を残すチューリングの論文
“On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungs problem”
(計算可能な数について、その決定問題への応用)
とチューリング・マシン。
(図)
N「チューリング・マシンとは記号が書き込まれる無限に長い一本のテープと記号を読
んだり書いたりする一つのヘッドだけからなる計算機械モデルである。チューリング
は、この簡潔なモデルで計算の可能性と限界を明確にした」
*
現代のコンピュータ。
N「それはコンピュータの理論そのものであった。現代のコンピュータが一つのCPU
(ヘッドに相当)と大容量の記憶装置(テープに相当)から成っているのはそのため
である」
*
ロボットまたは近未来のコンピュータ。
N「さらにそれは思考のモデル化でもあった。チューリング・マシンはその後に隆盛を
みせる人工知能研究の原点ともなっていく」
12.道
自転車をこいでいくチューリング。
N「チューリングはその驚くべき理論を1936年に発表していた。本格的なコンピュ
ータ時代が幕を開ける10年も前のことであった」
13.暗号研究所
副所長「(イライラ)遅い、遅すぎる!」
そこへチューリング、入ってくる。
チューリング「すいません。途中で自転車が故障しまして…」
一斉に注目する一同。
しかし、チューリングの身なりに
一同「…」
注目を一身に浴びてチューリングも「…」。
研究員1「(けげんそうに)…もしかして、彼がチューリング?」
ジョアン、思わず、「あっ」となる。
ジョアン「さっきの…」
副所長「(おそるおそる)チューリング博士?」
チューリング「アラン・チューリングです。よろしくお願いします」
小さくざわめく一同。
副所長「思ったより若いんで、ビックリしたよ。ハハ…、ハハハ…」
そのひきつった笑顔にかぶって、
− とびっきりヘンテコじゃないか… −
ジョアン「(ぼう然としている)あの人が、天才チューリング?…私の上司?」
14.研究所
チューリングを連れて敷地内を案内するジョアン。
ジョアン「先ほどは大変失礼しました」
チューリング「(笑顔を見せ)あなたの言った通りだ。また会えましたね」
ジョアン「(バツが悪い)ハア…」
*
一棟の前、来る二人。
ジョアン「ここが博士の研究棟です」
入り口に“Hut8”の表札。
チューリング「(見る)…山小屋(Hut)?」
ジョアン「ここでは研究棟をHutと呼んでいます。チューリング博士はHut8でド
イツ海軍暗号システムの解読を指揮してもらうことになっています。数人の研究者と
数十人のオペレーターが博士の下につきます」
チューリング「あなたは?」
ジョアン「ハ?」
チューリング「研究者ですか?オペレータですか?」
ジョアン、ハッと朝の出会いを思い出す。
15.回想
得意そうにチューリングに話すジョアン。
ジョアン「私、こう見えてもそこそこの人材なのよ」
16.Hut8
ジョアン「(消え入りそうな声で)一応、研究者です」
チューリング「うん。ぼくもそうだと思ったんだ」
恥ずかしさのあまり、カーッと顔が真っ赤になるジョアン。
*
ジョアン「と、とにかく、中へどうぞ…」
とドアを開けたとき、ドサッと脇の方から物音。
見るジョアンとチューリング。
男1が疲れ切った様子で壁にもたれるように倒れ込んでいる。
男1「(うわ言のようにつぶやく)エニグマ…」
男1の横にはボロボロになったボストン・バック。
チューリング、ボストン・バックを開けてみる。
中から出てくる暗号機エニグマ。
ジョアン「エニグマ…?」
− @・終 −
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