BRAINS〜コンピュータに賭けた男たち〜』

第一部 苦難の開拓者たち 第二章 アラン・チューリング

ABOMBE


1.イメージ

 ドイツ軍暗号機エニグマ。

N「エニグマ ドイツ語で“謎”を意味する。1920年代に商業用暗号機として

 販売されたが、1933年ナチスが政権につくと同時に販売中止になり、以後改良を

 加えられ軍用に転用された」

 

2.英国外務省暗号研究所

 机の上に置かれているエニグマ。

 集まっている研究員たち。

 ウェルチマンが黒板を使って暗号についての説明をしている。

ウェルチマン「換字式の暗号は換字表を使って文字を変換していく。例えば…」

 黒板にある換字表。

 A B C D E F G H

 E D G X P C H R

ウェルチマン「…という換字表を使えば、Bという文字はDに変換される」

 うなずく研究員たち。

 ジョアン、ふと部屋の片隅に目をやる。

 そこにはチューリングが一人、無関係のようにメモを取りつつ何やら考え事をしている。

 ジョアン。

− あの人は一体何しにここに来たのかしら…毎日変な機械の図面ばかり書いていて…。

 本当に天才なの?…私の上司なのに… −

ウェルチマン「(続ける)ところが、一つの換字表だけで作った暗号はほとんど役には

 立たない。言語には文字の使用率に偏りがあり、それを利用するといとも簡単に暗号

 文は解けてしまう。アルファベットの場合、一番多く使用される文字はEだ。したがっ

 て、この換字表を使って作った暗号文には必然的にPの文字が多くなる」

ジョアン「古代文字が解読できるのも同じ理由ね」

ウェルチマン「(うなずく)それを克服するために、ふつう換字表を複数用意する。つまり…」

   A B C D E F G H

 @ E D G X P C H R

 A Z F R C H O J B

 B M Q A W H K C I

 C    …

ウェルチマン「…として適当に換字表を使い分ける。エニグマの場合、1文字打つごと

 に換字表が変わる。例えば、BBBと打てば、DFQと暗号化される」

 エニグマのキーを叩く研究員3。

研究員3「本当だ。1文字打つごとにローターが一つ回転する」

 エニグマの解説図(コピー添付。ただし簡単のため8文字。実際は26文字)

研究員2「なるほど…。エニグマは3個のローターで構成されている。ということはつ

 まり、(暗算する)26×26×26=17,576…(見る)それじゃエニグマは、

 1万7千もの換字表を内蔵しているのと同じ働きをするというのか!?」

研究員1「いや、3つのローターの並べ方は全部で6通りある。したがって、

 6×17,576=105,456。約10万だ」

「10万!?」

 驚いたようにウェルチマンを見る一同。

ウェルチマン「それだけじゃない。エニグマは軍用に転用された時、大きな改良を加え

 られた」

 ドキッとして見る一同。

 ウェルチマン、エニグマの背面を見せる。

ウェルチマン「プラグボードだ。これでさらに電気的に任意の2文字を入れ替える。全

 部で7組の変換が可能だ。これを利用すると換字表の総数は実に…」

 厳しい表情で見ている一同。

ウェルチマン「10京」

一同「10京…!?」

 ぼう然となる一同。

研究員1「エニグマは難攻不落か…」

 重い空気に包まれる。

  *

 部屋の奥には、チューリングが全く意にかえさぬように一人自分の世界に入っている。

  *

 そこに副所長のトラビスが怒鳴りながら入ってくる。

トラビス「なぜだ!なぜエニグマの現物が手に入ったというのに解読できんのだ!」

 白けた視線をトラビスに向ける一同。

 トラビス。

研究員2「暗号機の仕組みがわかったからといって、暗号が解読できるわけではないん

 ですよ」

研究員1「仕組みがわかって逆にはっきりしました。エニグマを解読することは不可能

 です」

「ムッ」と見るトラビス。

トラビス「お前たちはそれしか言えんのか!不可能を可能にするために集められたのだ

 ろう?今イギリスがどういう立場に置かれているのかわかっているのか。このままで

 は我々は…」

 トラビス、ふと何かに気付く。

トラビス「(キョロキョロする)ヤツはどうした?ヤツは?」

ウェルチマン「ヤツ?」

トラビス「チューリングだ!」

「あっ」と小さな声を上げるジョアン。

 トラビス、部屋の片隅にいるチューリングに目が止まる。

 一人無関心のその姿に、トラビスの怒りが向かう。

トラビス「何が切り札だ!何が天才だ!一番の役立たずがっ!」

 チューリング、気付かない。

 ふと手が止まり、小さくつぶやく。

チューリング「そうか…」

 チューリング、立ち上がり、近づいてくるトラビスを無視してエニグマの方に来る。

「ム」と振り返る副所長。

「あ…」と息をのむ研究員たち。

 周りを全く気にしていないチューリング、エニグマを手に取り、つぶやく。

チューリング「わかった…」

「え?」と見る一同。

 トラビス。

 そこに所長、厳しい表情で入ってくる。

所長「パリが落ちた」

 見る一同。

 

5.イメージ

 パリに入城するヒトラー。

 ドイツ軍の大行進。

N「1940年6月、フランス降伏。開戦1年足らずでヨーロッパ全域をほぼ制圧した

 ヒトラーは、その圧倒的勢力を背景にイギリスに和平を勧告」

  *

 演説に立つウィンストン・チャーチル。

N「しかしイギリスはこれを拒否。打ち続く敗戦の中でもドイツに無条件降伏のみを要

 求した」

チャーチル「われわれは海岸で戦い…やがて時が来て新しい世界が旧い世界の救済と解

 放に向かって力強く歩み出すまで戦い続けるのだ」

  *

 民衆を鼓舞するヒトラー。

N「怒ったヒトラーはイギリス本土に空爆を開始する」

  *

 ヨーロッパの勢力図にヒトラーとチャーチルがかぶって、

N「バトル・オブ・ブリテン(英国本土航空戦) ついに戦火は海峡を越え、今ま

 にヨーロッパの命運を賭けた攻防が始まろうとしていた」

 

6.研究所

 トラビス、チューリングに詰め寄っている。

トラビス「さき何と言った?エニグマが解読できるのか?」

 見るチューリング。

チューリング「何らかの形で原文と暗号文が同時に手に入ることはありますか?」

 見る一同。

研究員1「全文ではないけど、諜報活動などで部分的に手に入ることはよくある。状況

 がしぼれる場合はある程度の予想も立つ。だけど…」

チューリング「十分だ。そこから一気に暗号システムを解読する」

ウェルチマン「確かに理論的には可能かもしれない。だけど実際問題としては話になら

 ない。ドイツは1日ごとにローターの設定を変えてきている。つまり、実戦で役立て

 るためには、24時間以内で解読を行わなければならない。人がいくらいても足りな

 い」

チューリング「機械でやればいい。機械には機械で」

ウェルチマン「機械?」

ジョアン「考える機械…(顔を上げ)チューリング・マシン?」

− チューリング・マシン −

 その言葉に一同、ハッとチューリングを見る。

チューリング「(うなずく)暗号解読用のチューリング・マシンだ」

 

7.研究所・機械室

− Hut11 ボンベ室 −

 開発が進む暗号解読機。

N「対エニグマ暗号解読機はボンベ(BOMBE)と名付けられた」

 活発に働いている研究員たち。

 指揮を取っているチューリング。

 

8.イメージ

 ボンベの模式図。

 正面に9個のローターが付いている。

N「基本的にボンベは、エニグマの動作をシミュレーション(模擬実験)する装置であ

 る。原文と暗号文を入力し、それが一致するまでローターの組み合わせを自動的に変

 えていく」

  *

 リレー(継電器)。

N「そこで使われた演算素子はリレーであった。バベッジから百年、電気の導入により、

 計算機械は飛躍的な発展を遂げていくことになる」

 

9.機械室

 ボンベの開発が進んでいる。

ウェルチマン「チューリング、ここはどうする?」

チューリング「ここはね…」

 その様子を横目で見るジョアン。

− やっぱり、この人… −

 その顔がほころぶ。

ジョアン「さすが私の上司だわ!」

 

10.イメージ

 空襲を受ける夜のロンドン市街。

− 1940年9月7日 ロンドン大空襲 −

 爆弾を投下するドイツ爆撃機。

 爆発炎上し、崩れ落ちる建物。

  *

 地下鉄構内に避難している市民たち。不安におびえているその顔。

 

11.Hut11

 完成するボンベ。

 見つめている一同。

 チューリング。

ウェルチマン「プラグボードをセットするよ」

 ボンベの横側に付いているプラグボードにプラグを差し込むウェルチマン。

ウェルチマン「OKだ」

研究員1「スイッチ入れます」

 息をのむ一同。

 カチカチと音を立て動き始めるボンベ。

 見る一同。

トラビス「(祈る)頼む。イギリスを救ってくれ」

 

12.Hut6

− 対陸・空軍暗号解読班 −

 研究員4、データを調べている。

 その周りを研究員たちが取り囲んでいる。

 緊張して見ている一同。

ウェルチマン「どうだ?ボンベのデータは?」

 研究員4、信じられないという表情で顔を上げる。

研究員4「(小さく)解けてる…」

 見る一同。

研究員4「(はっきりと)エニグマが解読されました!」

 一斉に振り向く。

 その視線の先にいるチューリング。

チューリング「(小さく)良かった」

 「よーし!」と副所長がガッツポーズで叫ぶ。

 歓声がわき起こる。

 チューリングに握手を求めるウェルチマン。

ジョアン「(小さく)すごい…」

 ジョアンのチューリングを見る目が尊敬のまなざしに変わっている。

 

13.会議室

研究員4「(紙を手に報告する)解読文書を報告します」

 一同が集まっている。

研究員4「キャッチしたのはドイツの空爆情報です。目標はコベントリー」

トラビス「ん?ロンドンじゃないのか?」

研究員4「間違いありません。コベントリーです」

所長「作戦変更か?日時は?」

研究員4「11月14日」

所長「む、明後日か」

 

14.夜の上空

 飛来してくるドイツ軍機の編隊。

− 1940年11月14日 コベントリー −

 

15.暗号研究所・食堂

 朝。

 ラジオを前に一同が集まっている。

ラジオ「7時のニュースを申し上げます。昨夜未明、古都コベントリーにドイツ爆撃機

 が襲来…」

 ニヤニヤしている研究員たちの顔。

ウェルチマン「フフッ…返り討ちだな…」

ラジオ「無防備だったコベントリーは大きな被害を受けた模様…」

「えっ…」

 一瞬にして顔がこわばる一同。

ラジオ「死傷者は千人を越え、これはロンドン以外の都市では最大級の…」

 

16.イメージ

 激しい空襲にさらされるコベントリー。

 崩れ落ちる寺院。

 逃げまどう市民。

 

17.食堂

ラジオ「繰り返します。昨夜未明、コベントリーで…」

チューリング「…」

 今にも泣き出しそうなジョアン。

 ぼう然としている一同。

− なぜ… −

声「君たちの情報は、私があえて無視した」

 振り向く一同。

 チャーチルが所長と副所長を伴って現れる。

ジョアン「チャーチル首相…」

ウェルチマン「(食ってかかる)なぜ?信用できなかったんですか?」

チャーチル「逆だ。コベントリーを失うより、君たちの存在をドイツに知られることを

 私はおそれた」

所長「それほど我々の仕事が高く評価されているということだ」

一同「…」

 チューリング、厳しい表情でチャーチルをにらんでいる。

チューリング「(絞り出すように)やりようは…いくらでもあったんじゃないですか?」

 見るチャーチル。

 驚いたように見る一同。

 チューリング。

  *

N「暗号研究所で解読された文書は“ウルトラ”情報と名付けられ、最高機密として扱

 われた」

 

18.イメージ

 レーダー。

N「このウルトラと、この時期整備された世界初のレーダー・システムによって、英国

 本土攻防戦は次第にイギリス優位へと傾いていく。イギリスの科学力がドイツの軍事

 力の前で大きく立ちふさがっていくのである」

 

19.道

 意気消沈して帰路についているチューリングとジョアン。

ジョアン「(ポツリと)私たちのしていることは一体何なんでしょうね。人がまるで

 ゲームのように死んでいく…」

チューリング「…」

ジョアン「もし平和な時代に生まれていたら、私は今頃何をしていただろう…(チュー

 リングを見て)最近よく考えるんですよ」

 チューリング。

ジョアン「(明るく)素敵な恋をしているかもしれない。もしかしたら結婚も。趣味で

 好きな数学をして、子供を育てて…(チューリングを見て、いたずらっぽく笑う)博

 士みたいな才能のある子を育てて…」

チューリング「…」

 ジョアン、一つため息。

ジョアン「(小さく笑って)私、ちょっと疲れてますね」

チューリング「(笑顔を見せ)戦争が終わったら…」

 見るジョアン。

チューリング「(何気なく)結婚しようか」

ジョアン「(驚き)え?」

「え?」とチューリングも自分自身の言った言葉に驚く。

 ジョアンの顔にみるみる喜びがあふれてくる。

ジョアン「(強くうなずき)ええっ!」

 ぼう然となっているのはチューリングの方。その顔にかぶって、

− ぼくは今、何を言ったんだ…? −

 

20.イメージ

 ソ連に進攻するドイツ軍とヒトラー。

N「イギリス本土上陸を諦めたドイツは東へ転進。1941年6月、不可侵条約を破っ

 て突如ソ連へ侵攻する」

  *

 演説台に立つルーズベルトと出陣を控えた大勢のアメリカ海兵隊員。

N「同年12月、日本の真珠湾攻撃により、イギリス国民が待ち望んだ新世界アメリカ

 が、ついに参戦。第二次世界大戦は大きな転換点を迎えた」

 

21.飲み屋(夜)

 チューリングが男2と飲んでいる。

 男2、驚いてチューリングを見る。

男2「君が結婚?冗談だろ?だって君は…」

 苦悩の表情を見せるチューリング。

  *

 夜の街は更けていき −。

 

− A・終 −


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