BRAINS〜コンピュータに賭けた男たち〜』

第一部 苦難の開拓者たち 第二章 アラン・チューリング

E チューリング・テスト


1.スタジオ

 ラジオの公開討論会が行われている。

 偉そうな評論家たちがパネリストとして並んでいる中、チューリングがいる。

 背面の壁には大きくタイトルが掛けられている。

『機械は知能を持てるか?』

司会者「なるほど…それではチューリング博士は、いつの日か機械も知能を持つ可能性が

 あると…」

チューリング「ええ」

司会者「機械が意識を持つとはどういうことなのですか?」

チューリング「機械は意識を持てないと私が言ったとき、怒って私を罰するならば、その

 機械は意識を持っているとみなせるんじゃないでしょうか?」

パネリスト1「(激高する)冒涜だ!そういう考え方は神に対する冒涜以外の何物でも

 ない!私は断じて認めんぞ!」

チューリング「(ボソッと)別にあなたに認めてもらおうとは思いませんが…」

パネリスト1「なにをっ!」

 立ち上がるパネリスト1。

パネリスト1「私だけじゃない!世界中の知識人の見解だ!コンピュータだか何だか

 知らんが、そんな考え方が世の中をダメにするんだ!」

チューリング「あなたのような頭のかたい人が科学の進歩を妨げるんですよ」

パネリスト1「なんだとォ!」

チューリング「(応戦する)なんですかっ」

 収集がつかなくなる二人。

司会者「(汗を拭きつつ、マイクに向かって)えー、白熱した討論が続いておりますが、

 えー、そろそろ時間が来ました…」

 

2.チューリングの研究室

− マンチェスター大学 −

 ラジオからその司会者の言葉が流れてくる。

ラジオ「それではまた来週!」

 ニューマンがラジオのスイッチを切る。

 聞いていたのはニューマンとチューリング。

ニューマン「(笑って)ずいぶん派手にやってきたもんだな」

チューリング「世の中、頭の堅いのが多くて困りますよ」

ニューマン「相変わらず元気だな。物理学研究所を辞めてこっちに移ってきたときは

 どうするつもりなのかと思っていたけど…」

チューリング「コンピュータは、私が関わらなくても、技術の発展とともに進歩して

 いく。残念ながらそれは間違いない」

ニューマン「うん」

チューリング「残った問題は、そのコンピュータに何ができるか、何をさせるか…に

 なるはずです」

ニューマン「ん?」

チューリング「つまりは、アルゴリズム(計算手順)の問題です」

 

3.イメージ

 チューリング・マシンと現代のコンピュータ。

N「現代のコンピュータはどのように作られたとしても、理論的にはチューリング・

 マシンの域を出ることはない。そういう意味でコンピュータは、ハードウェアの面は

 すでに完成されている」

  *

 解説。ハードウェアとソフトウェア。

  *

N「残された問題はソフトウェアである。コンピュータには何ができ、何をさせるべき

 かは、ソフトウェアにかかってくる。チューリングは早くもそのことに気付いていた」

 

4.チューリングの研究室

N「ソフトウェアという言葉さえ、まだ存在していなかった時代のことである」

 ニューマンに解説するチューリング。

チューリング「現在のコンピュータと人間の思考との大きな違いは、アルゴリズムを

 見つけるアルゴリズムがあるかどうかです」

ニューマン「アルゴリズムを見つけるアルゴリズム?…??」

チューリング「正しいアルゴリズムを入力してやれば、コンピュータは正しい答えを

 出してきます」

ニューマン「例えば、二次方程式の解法を入力すれば、その答えが得られるということ

 だな?」

チューリング「ええ。だけど、そのアルゴリズム(解法の手順)は人間が入力してやら

 なければならない」

ニューマン「うん」

チューリング「ところが人間は、誰に教わることもなく、自力でそのアルゴリズム(解

 法の手順)を見つけてきました。つまり、人間の思考にはアルゴリズム(解法手順)

 を見つけるアルゴリズム(思考手順)が存在するのです」

ニューマン「…」

チューリング「それがわかれば…きっと機械も思考し始めるはずなんですが…」

 

5.イメージ

 チューリングの論文。

 “Computing Machinery and Intelligence”(計算機械と知能)

 その表紙に一文がかぶる。

 「私は『機械は思考できるか』という問題を考察することを提案する」

N「チューリングの思考は『人工知能』という新たな研究分野を生み出す。それは19

 50年代以降、一気に隆盛していくことになる」

 

6.チューリングの研究室

 チューリングが男女の学生を使って実験の準備をしている。

 二人の学生、部屋の真ん中を暗幕で仕切る。

男子学生「僕らが暗幕の向こう側に行き、先生とテレタイプで会話すればいいんですね?」

チューリング「そうだ。こちらからはそちらの様子はわからない。ただその会話の内容

 だけから男か女を判断する」

女子学生「でも、どうしてこれが人工知能の実験なんですか?」

チューリング「将来は、二人のうち一方を機械に置き換える」

男子学生「なるほど。もしこのテストで人間と機械の区別がつかなければ、その機械は

 知能を持っているとみなすわけですね?」

 うなずくチューリング。

N「これは『チューリング・テスト』として人工知能の分野では広く知られたテストと

 なる」

チューリング「それじゃ始めよう」

 実験取りかかるチューリングたち。

N「チューリングの名声は日増しに高まっていった。そして

 

7.会議場

− 英国学士院 −

 拍手で迎えられるチューリング。

 さすがにきちんとした服装をしている。

N「1951年、39歳の若さでチューリングは英国学士院会員に選ばれる。研究者と

 しての絶頂期を迎えた」

 緊張した面持ちで挨拶するチューリング。

 そして会心の笑顔。

N「しかし、それもつかの間

 

8.新聞記事

見出し『新進気鋭の数学者、風俗壊乱罪で逮捕』

 そこに載っているチューリングの顔写真。

N「翌年、同性愛が発覚」

 

9.警察署・前

 大勢集まった記者たち。

 その中を連行されていくチューリング。

N「チューリングの人生は一気に暗転する」

 硬い表情のチューリング。

 そこに容赦なくたかれる無数フラッシュ。

 その様子を離れた所から見ているニューマン。

ニューマン「(ぼう然)…」

 

10.トラビス家・応接室

 元外務省暗号研究所長トラビス。

 そこに来ている暗号研究所時代の元同僚たち。ウェルチマン、ジョアン、ニューマンなど。

ウェルチマン「いつかはこんな日が来るとは思っていたが…」

ジョアン「(怒っている)何とかならないんですか、トラビスさん!チューリング博士は

イギリスを救った英雄ですよ!博士がいなければドイツとの戦争だって…こんなことで

 辱めを受けることはないはずです!」

トラビス「私だってできることなら何とかしたい。しかし…(困っている)」

ニューマン「ブレッチレーでの活躍を公表することはできませんか?」

トラビス「そいつは無理だ」

ジョアン「なぜ?」

トラビス「チャーチルの…第二次大戦回顧録は読んだかね?」

ウェルチマン「チャーチル?」

トラビス「大戦中、イギリスは暗号解読に3万人を動員した。にもかかわらず、回顧録

 にはそのことについて1行も触れられていない。つまりだ」

 一同。

トラビス「チャーチルでさえ触れることのできない国家機密なのだよ、ブレッチレー

 での活動は。私ごときにはどうすることも…」

ジョアン「だけどっ」

トラビス「(首を振る)残念だが…」

ジョアン「…」

 一同の重い沈黙。

ジョアン「チューリング博士は国を守った。だけど国は博士を守ってはくれないのです

 ね…」

一同「(見る)…」

 ジョアン

 

11.夏の日差し

 せみがうるさいくらいに鳴いている。

 

12.チューリングの部屋

 ラジオから何かが流れている。

 それをにこやかに聞いているチューリング。

ジョアンの声「ラジオの子供番組が好きで…」

 

13.同・表

 体操服に着替えて準備運動を始めるチューリング。

ジョアンの声「走ることが好きで…」

 チューリング、走り始める。

 

14.田園

 そこを通る一本の道。

 その中を走っているチューリング。

 汗がしたたり落ちている。

 苦しそうな表情。

 しかし懸命に走っていく 何かを振り切るように。

ジョアンの声「人一倍頭が良くて…」

 前方の木陰に小さな人影が見えてくる。

 どんどん大きくなってくるその人影 ジョアン。

 ジョアンのその顔にかぶって

− そして、人一倍不器用… −

 チューリング、気付いて立ち止まる。

 笑顔を見せるジョアン。

ジョアン「お久しぶりです、博士。相変わらず走ってますね?」

チューリング「距離は短くなったけどね。君の方は?元気?」

ジョアン「私、結婚したんですよ」

チューリング「(見る)そうか…そりゃ残念…」

ジョアン「え?」

チューリング「(あわてて言い直す)いや、おめでとう」

 フフッと笑うジョアン。

ジョアン「博士もお元気そうで…」

チューリング「(小さく笑い)とうとうバレちゃったけどね」

ジョアン「昔から隠し事が下手だったから…」

チューリング「(苦笑)ハハハ…」

ジョアン「でも、安心しました。その様子じゃ実刑は免れたんですね?そりゃそうです

 よね。なんといっても博士はイギリスを救った英雄なんですから…」

チューリング「(小さく笑う)」

ジョアン「…違うんですか?」

チューリング「ちょっと手を貸して」

 チューリング、ジョアンの手をつかみ、そのまま自分の胸に持ってくる。

「?」と見るジョアン。

 ジョアンの手に、ムニュとした柔らかな感触が広がる。

ジョアン「え?」

 驚いてチューリングを見るジョアン。

チューリング「(手を離す)1年間の女性ホルモンの投与。それが執行猶予の条件なんだ」

ジョアン「…」

 その目に涙がにじんでくる。

− なんで… −

  *

N「イギリスで同性愛が合法化されるのは1967年になってからである」

  *

チューリング「(明るく)なあに、こんなものはいずれ元に戻る。気にしちゃいないさ」

 ジョアン。

チューリング「ぼくはね、自分の生き方に後悔はしていない。幸せだとは決して思わない

 けど、誇りに思っている」

ジョアン「(うなずく)」

チューリング「もしあの時君と素直に結婚していたらどうなっていたかな?…なんて、

 たまに考えるけどね」

 見るジョアン。

「ハハハ…」といたずらっぽく笑うチューリング。

チューリング「幸せにね」

 再び走り出すチューリング。

ジョアン「(その背に)博士もね!」

 振り向くチューリング。

 笑顔で手を振る。

  *

N「しかしその二年後−

 

15.チューリングの自室

− 1954年6月8日 −

N「チューリングは青酸カリ入りのリンゴをかじって、自らの命を絶つ。42歳、研究者

 としての絶頂期での突然の出来事であった」

 テーブルに置かれたかじりかけのリンゴ。

 

16.イメージ

 アラン・マジソン・チューリング(Alan Mathison Turing 19121954)。

N「コンピュータ時代の理論を築いた孤高の天才数学者アラン・チューリング。世界最大

 の計算機学会 ACM (Association for Computing Machinery) はその不朽の業績を讃え、

 1966年にチューリング賞を創設。それは今日、コンピュータ科学最高の栄誉なって

 いる」

  *

 チューリング賞のメダル。

N「ちなみにチューリング賞を受賞した日本人はいまだにいない」

 

(E・終)

 


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