『BRAINS〜コンピュータに賭けた男たち〜』 第1部 苦難の開拓者たち

  第5章 ジョン・V・アタナソフ @クリフォード・ベリー

  作.伊藤智義


1.裁判所
 − 1973年10月19日 ミネアポリス地方裁判所 −
  裁判官が入廷してくる。
  満員の傍聴席。
  そこにいる記者1。
 「いよいよ判決だ。怪物ENIACの神話が崩れるかどうか…」
  記者1、初老の男に目をやる。
 − ジョン・ヴィンセント・アタナソフ −
  アタナソフの隣に座っている女性(ジーン・リード)が、手にしている一枚の写真
  に、目を落とす。
  そこに写っているのは若き日のアタナソフと助手のクリフォード・ベリー、その後
  ろにジーン。
 アタナソフ「(もその写真に目をやり)ベリー、ついにこの日が来たよ。私たちのA
  BCが歴史に名を刻む瞬間がもうすぐ…」

2.イメージ
  ENIAC。
 N「ENIAC(エニアック) − イギリスのコロッサス、ドイツのツーゼ・シリー
  ズが歴史の闇に埋もれていた1946年、衝撃的なデビューを果たした電子計算機。
  アメリカはこれを機に一躍コンピュータ界の主役に躍り出ることになる」
   *
 N「しかし、その“怪物”エニアックには源流ともいえる一つの計算機があった」

3.夜の高速道路
 N「すべては、その夜から始まった」
 − アメリカ 1937年 冬 −
  一台の車(フォードV8)が高速30号線を疾走していく。
  窓越しに見える運転している男の横顔。
 − アイオワ州立大学準教授 ジョン・ヴィンセント・アタナソフ(34) −
 N「その夜、アタナソフはイライラしていた」
  ここから“イリノイ州”の看板。
  猛烈なスピードでそこを通り過ぎていく。
 N「新しい計算機のアイデアがまとまりそうでまとまらず、そのもどかしさに耐えき
  れずにアクセルを踏み込んでいたという」

4.レストラン
  駐車場にアタナソフの車が止まる。
  疲れ切った顔で一息つく。
 アタナソフ「少し頭を冷やしていくか」
  車から出てくるアタナソフ。
  思わず身震い。
 アタナソフ「うー、寒い…」
  と襟を立て、足早に入り口に向かう。

5.同・中
  入ってくるアタナソフ。
  お酒が入って陽気に賑わっている店内。
 客1「今日は零下20度まで下がるってよ」
 客2「どうりで寒いわけだ」
  などという会話が耳に入ってくる。
  一番奥のテーブルにつくアタナソフ。
 アタナソフ「そうか…ここはイリノイ州だ。アイオワと違ってレストランで酒が飲め
  るんだな」
  ウェートレスが来る。
 ウェートレス「ご注文は?」
 アタナソフ「バーボンを一杯…」
  注文を書き留め、去っていくウェートレス。
  アタナソフの顔に「フフフ…」と笑顔がこぼれる。
 − 一杯の酒を飲むために二百マイルも走ってくるとは… −
   *
  グラスを傾け、ほろ酔い気分のアタナソフ。
  グラスに浮かんだ氷。
  それをぼんやり見ているアタナソフ。
 N「一杯目のバーボンが終わり二杯目を飲みかけた頃だったという。それまで頭の中
  で絡み合っていた考えが突然氷解し始めた」
  グラスの氷、カタンと動く。
  アタナソフの表情がみるみる変わっていく。
 アタナソフ「紙…紙…」
  あわてた様子でテーブルに備え付けの紙ナプキンを広げ、胸ポケットにさしてあっ
  たペンで殴り書きしていく。

  (1)電流を計算機の媒体とする。
  (2)十進法ではなく二進法を採用する。
  (3)記憶素子にコンデンサを使用し、電気が漏れて記憶が消滅しないように再生
     処理を繰り返し行う。
  (4)アナログではなく、デジタル式を採用する。

6.同・外
  夜景のロング。
 N「機械式から電子式へ − その夜を境に、計算機は飛躍的な進化を遂げていくこと
  になる」

7.大学キャンパス
  5月。
  青空。
  緑の芝生。
  学生たちが楽しげに歩いていく。
 − 1939年 アイオワ州立大学 −
  その一画に貼り紙。
 「電気工学の学生アルバイト募集!
  電子計算機の開発助手求む!」
  アタナソフが、その貼り紙の前で、腕を組み座っている。
  その前を学生たちが全く関心を示さずに通り過ぎていく。
 アタナソフ「…」
  教授1、そこに来る。
 教授1「(あきれて)まだやっているんですか、アタナソフ先生…もう、あきらめな
  さいって…」
  ムッと見るアタナソフ。
 教授1「誰も来やしませんよ、真空管で計算機を作るだなんてバカげている」
 アタナソフ「わずかだが、ようやく予算がつきましてね」
 教授1「(嘆く)かーっ、うちの大学も物好きな…。だいたいあなた物理学者でしょ
  う!?機械作りなんて俗っぽいこと、大学がやることじゃない。恥ずかしくないん
  ですかッ」
 アタナソフ「…」
  教授1。
 アタナソフ「物理学はたいていの場合、確かにシンプルな方程式で表現されている。
  しかし、いざそれを現実の問題に適用しようとすると、膨大な計算が必要になる。
  例えば…」
  アタナソフ、小石を拾って池に投げる。
  ポチャンと音がして、水面に波紋が広がる。
 アタナソフ「この水面の波紋にしても、池のへりの状況によって様々に変わる。もし
  これを計算で導こうとしたら、ものすごい量の計算が必要になる」
 教授1「(馬鹿にしている)ふん、そんなものが計算できたからって、何の役に立つ
  というんです?」
 アタナソフ「とりあえず、津波が防げる」
 教授1「…」
 アタナソフ「別に私は津波が計算したいわけではないですがね」
 教授1「計算の重要性はわかりますよ。だけど、あなたがやることはないでしょう。
  ここは大学ですよ?大学というのはもっと高尚な…」
 アタナソフ「(ムッと見る)高尚かどうかは私が決めます。私はやりたいようにやる。
  自由を取ったら大学に何が残るというんです?別に私はあなたから給料をもらって
  いるわけではない」
 「やれやれ…」という風に一つ息をつく教授1。
  そこに、
 「計算機ですか…へえ…」と、一人の学生が貼り紙をしげしげと見る。
 − クリフォード・ベリー(22) −
  ベリー、アタナソフを見る。
 ベリー「面白そうですね」
 アタナソフ「(嬉しい)わかるかね!」
 教授1「ベリー君!」
  教授1、その学生を見てビックリする。
 教授1「まさか君ほどの男がこんな道楽に付き合うつもりじゃないだろうね?」
 アタナソフ「(ムッとなる)道楽とはどういう意味ですかな?」
 教授1「ベリー君は電気工学科の大学院生の中でも飛び抜けて優秀な学生なんだ」
 アタナソフ「ほう(とベリーを見る)」
 ベリー「いやあ、それほどでも…(照れる)」
 教授1「我が校のホープをそんな得体の知れないもので台無しにするのはやめてほし
  い。アタナソフ先生、お願いだから…あれ?(キョロキョロする)アタナソフ先生
  ?(いない)」
  アタナソフ、すでにベリーを連れて歩き出している。
  意気投合している二人。
 アタナソフ「(ベリーに)つまりね、計算というのは本来なんたらこうたら…」
 ベリー「(うなずいている)なるほど、なるほど…」
 教授1「(見つける)アタナソフ先生!」
  憤然とする教授1。

8.アタナソフの研究室
  薄暗い地下室。
  アタナソフ、ベリーを連れて来る。
  ベリー、恐る恐る入ってくる。
 ベリー「こんな地下に部屋があったんですね。知らなかった」
 アタナソフ「ハハハ…夏は涼しくていいぞ」
 ベリー「はあ…」
  その顔に
 − 大丈夫かな… −
  不安そうなベリー。
  が、その顔がハッと輝く。
  棚に置いてある手作りの機械。
 ベリー「これがアタナソフ先生の言っていた計算機械ですね?」
 アタナソフ「(見る。が、浮かない顔つきで)それは確かに私が試作した計算機だが、
  私の求めているものでない」
 ベリー「?」
 アタナソフ「それはアナログ式でね、デジタルでなければダメなんだよ」
 ベリー「デジタル?」

9.解説
  アナログとデジタル。
 N「アナログ式では数値を連続的に、デジタルでは離散的に取り扱う。例えば、定規
  はアナログ式であり、そろばんはデジタル式である」

   定規とそろばん。

   デジタルの長所(1) 雑音に強い

   定規(アナログ)は一部が欠けたり変形したりすると直接精度に影響するが、そ
  ろばん(デジタル)ではたとえ珠が欠けたり変形したとしても精度には全く影響し
  ない。デジタル通信が高品質を保つのはこのためである。

   デジタルの長所(2) 計算精度を高くできる

   定規(アナログ)の測定精度は定規そのものの精度で決まるが、そろばん(デジ
  タル)の計算精度は珠の数を増やせばいくらでも高くすることができる。現在のコ
  ンピュータがデジタル式なのはこのためである。

10.研究室
 アタナソフ「アナログ式では計算精度が不足するんだ」
  ベリー、アタナソフの作ったアナログ計算機を手に考えている。
 ベリー「だけど、デジタル式…つまり、歯車式では速度が遅すぎて話にならないので
  は?だからみんなアナログ式を採用するのではないですか?」
  アタナソフ、ニヤリと笑う。
 アタナソフ「そこだよ、ベリー君。私はね、歯車の代わりに電流が使えるんじゃない
  かと考えているんだ」
 ベリー「(不思議そうに)電流…ですか?」
 アタナソフ「真空管だ(と手に取って見せる)」
 ベリー「(見る)」
 アタナソフ「真空管を使えば、1秒間に百万回のパルスを出すことが可能になる。つ
  まりだ、理論的には最高1秒間に百万回の演算ができる可能性があるというわけだ」
 ベリー「百万回!?それでは速度面でもアナログ式を越えることになる…?」
 アタナソフ「アナログに将来はない。これからはデジタルの時代…それが私の結論だ」

11.イメージ
  バベッジと解析機関。
 N「百年の時を越え、計算機は再びバベッジのデジタル式へと回帰し始めていた。そ
  して電子式の導入により、革命的な進化を遂げていくのである」

12.アタナソフの研究室
 アタナソフ「ただ残念なことに、私には電子回路の知識がない。君の力が必要なんだ」
 ベリー「…」
 アタナソフ「私を単なる大ボラ吹きだと思うかね?」
 ベリー「かもしれません。うまい話には気をつけろと父親にはよく言われたもんです」
 アタナソフ「(寂しそうに)フム…」
 ベリー「(笑顔を見せ)だけど私は、騙されるのって、それほど嫌いではありません」
  見るアタナソフ。
 ベリー「何だか血が騒ぐ感じがします」
 アタナソフ「よし!それじゃ…」
 ベリー「さっそく始めますか!」
 アタナソフ「飲みに行こう!」
  ガクッとこけるベリー。
 アタナソフ「(寂しそうに)君、酒は嫌いか?」
 ベリー「嫌いではありませんが…、ここはアイオワですよ?飲酒は禁止されている…」
 アタナソフ「なに、隣のイリノイ州まで行けばいい」
 ベリー「(あきれている)隣って…200マイルはありますよ」
 アタナソフ「私の愛車でほんの2、3時間さ」
 ベリー「…」

13.イメージ
  ツーゼとシュライヤー。
 N「この同じ時期、ドイツのシュライヤーもツーゼのもとで電子計算機の研究に着手
  し始めていた。しかしシュライヤーの研究は戦争の影に埋もれていく」

14.アタナソフの研究室
  計算機開発に取り組んでいるアタナソフとベリー。
 N「それに対して、アタナソフのアイデアはベリーの技術で一歩一歩実現していく」
   *
  そこに教授1、入ってくる。
 教授1「最近見かけないと思ったら、こんな所に潜んでいましたか…アタナソフ先生」
  チラッと見るアタナソフ。
 ベリー「こんにちは、先生」
 教授1「(気味悪そうに室内を見回して)いやあ、だけどこんな地下に部屋があった
  とは私も知らなかったな…(ブルブルとして)ちょっと寒気が…何か出るんじゃな
  いでしょうね?」
 アタナソフ「(迷惑そうに)何か用ですかな?」
 教授1「そう邪険にしないで下さいよ。私だって画期的な計算機には興味あるんです
  から。ただそれを大学で作ることには疑問を持ってますがね」
 ベリー「とても順調ですよ。もうすぐ試作機が出来上がります。本当に簡単な計算し
  かできませんが、真空管が計算を始めるんです」
 教授1「ほう!」
 アタナソフ「(小さく)あなたにその意味がわかりますかな?」
 教授1「(ムッと見る)…」

15.キャンパス
  木々の葉が色付き始めている。
 − 10月 −
  その一画でアタナソフとベリーが完成した電子計算機の試作機を展示している。
  教授や学生たちがガヤガヤと集まっている。
 学生1「電子式の計算機?」
 学生2「何だ?それ」
  教授1、歩み出る。
 教授1「ほう、これですか。小さいですね」
 ベリー「まだ、試作機ですから。本番は次の段階です」
 アタナソフ「どうですか、みなさん!何か1桁の足し算を計算してご覧にいれますが
  …」
 学生3「それじゃ、5+7!」
 アタナソフ「OK!」
 ベリー「(数値をセットする)5は二進法では101、7は111だから…」
 学生4「何だい、それ?二進法…?」
 アタナソフ「0と1で数を表したものだよ。機械では普通に我々が使っている十進法
  よりずっと有利なんだ」

16.解説
  二進法。

17.キャンパス
 ベリー「それじゃ計算を始めます」
  スイッチを入れるとすぐに結果が表示される。
  4個のランプ − ON、ON、OFF、OFF(1100)。
 アタナソフ「二進法の1100は十進法の12のことだから…ね、5+7は12。ち
  ゃんと計算できました」
  満足そうに笑顔を見せるアタナソフとベリー。
  しかし、見ている方は
 「…」
 学生1「なんだか使いにくそうだな…」
 学生2「やっぱり12は12と表示してくれなけりゃな」
 アタナソフとベリー「(顔を見合わせ)…」
 アタナソフ「慣れればどうということはないよ。それじゃ、次は?」
 学生1「じゃ、3×4」
 アタナソフ「あ、まだかけ算はできないんだ」
 「なんだなんだ?かけ算もできないのか?」
  聴衆に失望が広がる。
 アタナソフ「(あわてて)いや、もちろん次作機でできるようになる。今は真空管で
  演算回路が構成できたことが重要なわけで…」
  白けている一同。
  鐘の音が響き渡る。
 学生1「あ、授業の時間だ」
 学生2「行かなきゃ」
 アタナソフ「あ、おい、君たち…」
 教授2「さ、みんな授業だ、授業」
  一同、潮を引くように去っていく。
  ポツンと取り残されるアタナソフとベリー。
 教授1「(振り返って一言)ベリー君、今ならまだやり直せるぞ。自分の将来は大切
  にしたまえ」
  去っていく。
 二人「…」
  アタナソフ、がっかり。いすに座ってうなだれる。
 アタナソフ「もう少し反響があると思ったんだがな…」
  ベリー、見る。
 アタナソフ「私のやっていることは間違っているんだろうか…」
 ベリー「くよくよしている時間はありませんよ、アタナソフ先生。とりあえず、真空
  管による演算回路には成功したんですから。いよいよ次は本番です」
 アタナソフ「(見る)君はまだ…。結局誰一人として理解を示してくれなかったんだ
  ぞ?」
 ベリー「一人いました」
 アタナソフ「?」
 ベリー「私です」
 アタナソフ「(見る)」
 ベリー「(見る)」
  アタナソフ。
 ベリー「私では不十分でしょうか?」
 アタナソフ「いや、十分すぎるよ。失礼した。そうだ…君がいた。一番重要な人物を
  忘れていたよ」
  ベリー、腰を下ろす。
 ベリー「私の父もエンジニアでした。私は父を越えたいと常々思っていました。先生
  の電子計算機の貼り紙を見た時、これだと思いました」
 アタナソフ「お父さんは何を?」
 ベリー「アイオワ電力社の事業所長でした。だけど、仕事を怠けて解雇された元従業
  員に撃たれて死んでしまいました。ぼくが13歳の時でした」
 アタナソフ「…」
 ベリー「自宅からはアイオワ大学の方がずっと近かったんですが、優秀なエンジニア
  になるためにはアイオワ州立大でなければダメだと父が言っていたので、私はここ
  に進学したんですよ」
 アタナソフ「良いお父さんを持ったな。その判断は正解だよ」
  立ち上がるアタナソフ。
 アタナソフ「よし、この計算機はABCと名付けよう!」
  見るベリー。
 アタナソフ「アタナソフ・ベリー・コンピュータ(Atanasoff Berry Computer)だ」
 ベリー「!」
 アタナソフ「この計算機で、二人で歴史に名前を刻もうじゃないか」
  ベリー。
  そこに、
 声「素敵…」
  振り返る二人。
  若い女性が手を組んでポーッとした表情で立っている。
 − ジーン・リード −
 ジーン「私もその夢、応援しますわ」
  顔を見合わせるアタナソフとベリー。
 ジーン「今日からお世話になります、ジーン・リードです。よろしくお願いします」
 アタナソフ「ああ、秘書の…」
 ベリー「(驚く)秘書!?秘書を雇ったんですか、先生!?」
 アタナソフ「いや、まあ…」
 ベリー「どこにそんな予算があるんですか!?」
 アタナソフ「いや、今日のお披露目で大反響が巻き起こって、開発費がガッポガッポ
  と入ってくる予定だったんだよ…」
 ベリー「そんなわけ…」
 ジーン「え!?お金、無いんですか!?」
 ベリー「ぼくのアルバイト代は大丈夫でしょうね?」
 ジーン「ちょっとちょっと、私の給料が先よ。生活がかかってるんだから」
 ベリー「ぼくだって学業を続けていくためにはねっ」
 アタナソフ「まあまあ、二人とも落ち着いて。ここは初顔合わせということで、飲み
  にでも行こうじゃないか。ちょっとイリノイまでかっ飛ばして…」
 二人「先生!!」
  アタナソフ、言葉を飲み込み、小さくなる。


 (@・終)


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