『BRAINS〜コンピュータに賭けた男たち〜』 第1部 苦難の開拓者たち

  第5章 ジョン・V・アタナソフ AABC

  作.伊藤智義


1.キャンパス
  アタナソフの秘書ジーンが一枚の書類を手に駆けてくる。
 ジーン「やった…やった…」

2.アタナソフの研究室
  回路の設計をしているアタナソフ。
  回路の組み立てをしているベリー。
  きっちり片付いた室内。
  テーブルには花。
  ベリー、それを見て、思わず微笑みが漏れる。
 − やっぱり女の子がいると違うな。こんな地下室でも立派な研究室に早変わりだ −
  アタナソフ、「あー!」と突然大きな声を上げる。
 アタナソフ「ない…ない…」
  慌てた様子でバタバタと机や引き出しを引っかき回す。
 アタナソフ「ベリー君、No.5の回路図は知らんか?」
 ベリー「さあ、私は…」
 アタナソフ「チッ、またジーンだな」
  そこにジーン、勢いよく入ってくる。
 ジーン「先生!」
 アタナソフ「(間髪入れず)ジーン!!」
  見るジーン。
 アタナソフ「ここにあった図面はどうした?」
 ジーン「図面?」
 アタナソフ「これくらいの大きさで、こんな感じの絵が描いてあった…」
 ジーン「ああ、あの落書きの…(あっさりと)捨てました」
 アタナソフ「馬鹿もん!」
  ビクッとなるジーン。
 アタナソフ「あれは落書きじゃないっ!ここにある書類は勝手にいじっちゃダメだと
  あれほど言っておいただろう!」
 ジーン「だって、だって…あまりに部屋が散らかっていたから、私…私…」
  べそをかくジーン。
 ベリー「大丈夫だよ、ジーン。あの回路図はまだ覚えているから、ぼくがもう一度か
  くよ」
 ジーン「(上目使いに見る)ベリーさん…」
 アタナソフ「全くもう…」
  イスに座るアタナソフ。
 ベリー「それよりジーン。何だか慌てた様子だったけど、何かあったのかい?」
 ジーン「あ、そうだ!」
  一転して元気な声で
 ジーン「先生!追加予算が付きました!」
 アタナソフ「なに!」
  ジーン、手に持っていた書類をアタナソフに渡す。
 ベリー「いくら?」
 ジーン「5330ドル」
 アタナソフ「よし!よくやった、ジーン」
 ジーン「へへへ…(と今度は得意そうに笑う)」
 ベリー「これでようやく本格的なABCが作れますね」
 アタナソフ「ウム」
 ベリー「ブッシュの微分解析機をもしのぐような…」
 アタナソフ「問題じゃないさ、微分解析機はアナログ式だからな」

3.イメージ
  微分解析機。
 N「第二次世界大戦前、科学計算に耐えられる計算機は唯一つ存在していた。193
  0年にヴァネヴァー・ブッシュ(1890-1974)が開発した微分解析機である。それ
  は当時、科学者が入手できた最良の計算機であった」

4.計算機室
 − MIT(マサチューセッツ工科大学) −
  その微分解析機が設置されている。
 N「しかしそれはアナログ計算機であった」
  一人の男がその微分解析機の調整をしている。
 − アージナス大学教授 ジョン・ウィリアム・モークリー(32) −
  その額からは汗が吹き出ている。
 − あこがれの微分解析機… −
  モークリー、慎重にシャフトの目盛りを合わせていく。
 モークリー「だけど、一つの問題を解くためにこれほど調整が必要とは…もう三日目
  だ」
 「ふう」と一つ大きく息をつくモークリー。
 モークリー「しかも、計算速度を上げるためにモーターの回転速度を上げると結果が
  変わってくる。アナログ式の限界か…」
 N「アタナソフがアイオワ州立大学でデジタル式電子計算機に夢を託している時、こ
  の男もまたアナログ式計算機の限界を肌で感じ始めていた。ジョン・ウィリアム・
  モークリー − 後にENIACを開発する男である」
  そこに別の男が来る。
 − MIT教授 ヴァネヴァー・ブッシュ −
 ブッシュ「(にこやかに)どうですかな、モークリーさん。お望みの気象データは解
  析できましたかな?」
 モークリー「(顔を上げる)いや、まだもう少し…。意外と大変ですね、ブッシュ先
  生」
 ブッシュ「慣れないとちょっと準備に手間取るね。だけど一度計算が始まってしまえ
  ば速いよ」
 モークリー「ええ」
  その顔にかぶって、
 − 確かに計算速度は速い。だけどアナログではダメだ…でもどうしたら… −
  そこに事務員があわてた様子で来る。
 事務員「ブッシュ先生!」
  見るブッシュ。
  事務員、ブッシュに耳打ち。
 ブッシュ「(みるみる顔付きが厳しくなる)なに?ドイツがポーランドに!?」
  モークリー。
 ブッシュ「モークリーさん。緊急事態だ。失礼するよ」
  事務員を引き連れ、あわてて出ていくブッシュ。
 モークリー「戦争…?」

5.同・外
  厳しい顔付きで出てくるブッシュ。
 N「微分解析機を作ったブッシュは政治面においてもアメリカを代表する科学者とな
  っていく。この時ブッシュは米国政府内に国防研究委員会を組織する。最盛期には
  全米の科学者の実に3分の1がブッシュの下で働くことになる」

6.キャンパス2
 − アージナス大学 −
  学生たちが話をしながら歩いていく。
 学生1「ポーランドに侵攻したドイツに対して英仏は即座に宣戦布告をしたそうだ」
 学生2「再びヨーロッパで大戦か?」
 学生3「アメリカはどうするべきだろう?孤立主義を貫くのか?」
 学生1「戦うのか?何のために?」
 学生3「何のためって…」
   *
 N「戦火で荒廃していくヨーロッパに対し、本土が戦場にならなかったアメリカは、
  第二次世界大戦を通じて、皮肉にも、空前の発展を遂げていくことになる」

7.同・学長室
  学長にかけ合っているモークリー。
 学長「(怪訝そうに)研究費?」
 モークリー「計算機を作るのです。MITに負けないような」
 学長「またそれかね。何度も言っているだろう、ここは名もない地方大学だ。地方大
  学の使命は社会に対応できる人材を育成すること。教育に使う予算はあっても、研
  究に使うものはない」
 モークリー「(イライラしている)戦争が始まったんですよ?我々はこのまま指をく
  わえて黙っていてもよいものでしょうか?」
 学長「それはヨーロッパの話だ。アメリカには関係ない」
 モークリー「今はそうかもしれませんが…」
 学長「しつこい男だね、君も。そんなに計算機が作りたいのなら、自分の金で作れば
  いいだろう」
 モークリー「(見る)…」

8.廊下
  モークリー、厳しい顔付きで歩いてくる。
 − ダメだ。こんな所にいては私はダメになってしまう −
  掲示板。
  そこにある、はがれかかった一枚の掲示に目が止まる。
 「国防電子工学講座受講生募集
   ペンシルヴァニア大学ムーア・スクール」
  はがして手に取るモークリー。
 モークリー「…」
  そこに女性事務員、来る。
 事務員「あら?モークリー先生。ちょうどよかった」
  モークリー、見る。
 事務員「申請されていた学会用の旅費、今回も残念ながら認可されませんでした」
 モークリー「そうですか…」
 事務員「また今度も自費で?そんなことまでして出席されなくても…」
 モークリー「(強く)出るよ。もちろん出る」
  モークリー、手にしていた掲示をポケットに入れ、憤然とした表情で行く。
 − こんな所に閉じこもっていられるか −

9.学会
  発表しているモークリー。
 − アメリカ科学振興協会 −
 モークリー「不思議なことに、天候にはある一定の周期があり、13か14日ごとに
  雨が降る確率が高い。一方、太陽は29日で自転しており、その自転周期の半期ご
  とに黒点などの影響が現れやすい。つまり、太陽の活動が地球の天候に影響を及ぼ
  していると仮定できるわけで…」
  失笑が漏れる。
 聴衆1「ハハハ…すごいこじつけだ」
 聴衆2「やれやれ、田舎教授のやることは…」
 モークリー「(ムッとなるが、抑えて)私はこの仮定を計算機で証明しようと試みま
  した」
  キョトンとなる聴衆たち。
 「計算機?」
  失笑が爆笑に変わる。
 聴衆1「そりゃすごい。計算機で天気がわかったら世話ないよ」
 聴衆2「(笑いをこらえて)そ、それで、証明できたのかね?」
 モークリー「残念ながら現在の計算機ではダメなことがわかりました」
 聴衆1「そりゃそうだろうとも!」
  笑い声、一層大きくなる。
  だがその中に、一人真顔でモークリーを見ている男がいる − アタナソフ。
 モークリー「(小さく)皆さんにはわからないかもしれませんが、アナログ式ではど
  う頑張っても無理なのです…」
 アタナソフ「!」

10.同・廊下
  発表を終え、出てくるモークリー。
  落胆している。
  そこにアタナソフ、来る。
 アタナソフ「私の計算機を見に来ませんか?」
 モークリー「(見る)あなたは?」
  笑顔を見せるアタナソフ。

11.アタナソフの研究室
 − アイオワ州立大学 −
  アタナソフに案内されて入ってくるモークリー。
 モークリー「電子計算機?」
  そこにある完成間近のABC。
  モークリー、見る。
  ベリーがそこに立っている。
 ベリー「真空管で計算するんですよ。デジタル式にね」
  モークリー、ハッと見る。
 モークリー「そうか!その手があったか…。いや、しかし…」
  振り返るモークリー。
 モークリー「(アタナソフに)動くのですか?これは」
 アタナソフ「もちろん」
  アタナソフ、ベリーに合図する。
  スイッチを入れるベリー。
  入力テープが吸い込まれ、ランプが点滅する。
 モークリー「おお…(驚嘆)」
 アタナソフ「ただ入力装置に難があってね、十万回に一回の割合でミスを起こすんだ。
  それが解決すれば完成なんですが…」
  ベリーも両手を広げ、一つ息をつく。
  食い入るように見入っているモークリー。
  アタナソフ、不安そうに言い訳を始める。
 アタナソフ「まだ未完成とはいえ、真空管でこれだけのことをするというのは結構大
  変なことで、なかなか理解は得られませんが、電子式というのは必ずや…」
 モークリー「(見入ったまま)わかります」
  見るアタナソフとベリー。
  二人を見るモークリー。
 モークリー「(感激している)これこそ私の求めていたものです!素晴らしい!」
 アタナソフ「(嬉しい)わかりますか!」
 モークリー「わかりますとも!」
  強くうなずくモークリー。
 モークリー「これは何というマシンですか?」
 アタナソフ「ABC − アタナソフ・ベリー・コンピュータです!」
   *
 N「それは、30元連立方程式を解くために、300本の真空管を用いて作られた、
  人類史上初めての記念すべき電子式の計算機であった」

12.同・外
  夜が更けていく。
  地下の掘り下げられた研究室の窓から明かりが漏れている。
  中では三人がいつまでも熱く語り続けている。

13.キャンパス
  朝。

14.事務室
  ジーンが入ってくる。
 ジーン「おはようございます!何かアタナソフ先生宛の郵便はありますか?」
 事務員2「ああ、電報が一つ。モークリーという人宛にだけどね」
 ジーン「モークリー?ああ、先生のお客さんの…」
  受け取る。

15.アタナソフの研究室
  モークリー、ABCを見つめたままじっと立ち尽くしている。
  モークリー − その顔に強い決意がみなぎっている。
 − 私もやらなければ… −
  その傍らでアタナソフとベリーが大きないびきをたててだらしなく眠り込んでいる。
  そこにジーン、入ってくる。
 ジーン「おはようございます。モークリー先生はいらっしゃいますか?」
  見るモークリー。
  ジーン、だらしなく眠りこけているアタナソフとベリーを見て、あきれた顔をする。
 ジーン「あらあら、また徹夜ですか、この二人は…」
 モークリー「私がモークリーですが…」
 ジーン「(見る)電報がきています」
 モークリー「私に?」
  受け取るモークリー。
  ジーン、棚から毛布を取り出す。
  ふかふかの毛布をアタナソフにかけようとするが、ふと考えて、ベリーにかける。
  そして、薄っぺらの毛布をアタナソフにかける。
 ジーン「(いたずらっぽく小さく笑って)このくらいはいいでしょう」
  モークリー、電報を開けて読んでいる。
 「!」となる。
 モークリー「国防電子工学講座、採用通知…」
 「よし!」
  思わず大きな声を上げるモークリー。
  ビックリして振り返るジーン。
  その声に目を覚ますアタナソフとベリー。
 モークリー「私にも運が回ってきました。どうもありがとうございます。この出会い
  は一生忘れません!」
  モークリー、勇んで出ていく。
 三人「…」
   *
  アタナソフ、ふと毛布の違いに気付き、
 アタナソフ「あれ…?」
 ジーン「(冷や汗をかきつつ)…」

16.ハイウェー
  疾走していくモークリーの車。
 N「ABCの技術を目の当たりにしたモークリーは、この後、陸軍でENIACの開
  発に着手する」

17.キャンパス
  外に出てきている三人。
 ベリー「騒々しい人でしたね、モークリー先生は」
 アタナソフ「活気があっていいじゃないか」
 ベリー「ちょっと焦っているようにも見えましたが」
 アタナソフ「我々も、うかうかしてはいられんぞ。もう一踏ん張り、頑張ろう」
 ベリー「ええ」
   *
 N「しかし − 」

18.イメージ
  真珠湾攻撃。
 N「1941年12月、日本が真珠湾を攻撃。ABCの開発は事実上この時点で幕を
  閉じることになる」

19.アタナソフの研究室
  アタナソフのもとに軍人が来ている。
 アタナソフ「地雷の音響試験?」
 軍人「米国海軍のために是非博士に指揮して頂きたいのです」
 アタナソフ「(うろたえている)いや、私にはまだやらなければならないことが…」
  心配そうに見ているベリーとジーン。
 軍人「今は戦時なのですよ、博士」
 アタナソフ「…」

20.キャンパス
  学生が話をしながら歩いていく。
 学生1「マイクが陸軍に入隊したそうだ」
 学生2「(驚いたように見る)そうか…彼はペンを捨てて剣を取ったか…」
   *
  その奥、アタナソフ、ベリー、ジーンの三人が話をしている。
 ベリー「私の所にもカリフォルニアの軍事関係の会社から誘いが来ています」
 アタナソフ「(見る)どうするつもりだ?」
 ベリー「行こうと思います。まもなく私も大学院を修了しますし…」
 アタナソフ「そうだな。今は国家危急の時だからな」
  うなずいて立ち上がるアタナソフ。
 アタナソフ「ABCは一時中断だ。また平和な時代が戻ったら再開しよう!」
  うなずくベリー。
 ベリー「で…就職するついでといっては何ですが、ぼくもそろそろ結婚を考えてまし
  て…」
 アタナソフ「え?」
  ジーンが嬉しそうにベリーの腕を取る。
 ジーン「私と!」
 アタナソフ「(驚く)ほう!そいつはおめでとう!全然気付かなかったよ」
  照れくさそうに笑うベリーとジーン。
 アタナソフ「そうとわかれば乾杯だ!」
 ベリー「イリノイまで200マイル…」
 ジーン「かっ飛ばして行きますか!」
  三人の顔が輝いて −。
   *
 N「しかしABCの開発が再開されることはなかった」

21.イメージ
  ENIACの開発を進めていくモークリー。
 N「戦後すぐ、ENIACが登場したからである。しかも、その栄光を手にしたモー
  クリーは、その栄光の大きさの前に、アタナソフらの先駆的研究を黙殺してしまう
  のである」

22.イメージ
  ベリー。
 N「そして1960年、ベリーはその栄光に浴することなく、謎の自殺で他界してし
  まう」

23.裁判所
 − 1973年10月19日 ミネアポリス地方裁判所 −
 N「さらにその10年後、企業間の激しい特許紛争の副産物として、ABCはようや
  く再発見される」

24.同・法廷(冒頭のシーン)
  裁判官が木槌を叩く。
 裁判官「判決 − ABCマシンの先行技術を認め、エニアックの特許を無効とする」
  見るアタナソフ。
  ジーン。
  ざわつく場内。
 ジーン「アタナソフ先生!」
  うなずくアタナソフ。
  ジーンが手にしている一枚の写真。
  そこに写っている若き日のアタナソフと助手のクリフォード・ベリー、その後ろに
  ジーン。
 アタナソフ「やったよ、ベリー。私たちはついに歴史に名を刻んだよ」
   *
  その若き日の写真にABCがかぶって −。
 N「アタナソフ・ベリー・コンピュータ − それは、電子式の幕を開け、ENIAC
  への道を作った計算機として、その功績は大である」


 (A・終)

                                                            1996.9.24脱稿

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