『BRAINS〜コンピュータに賭けた男たち〜』 第一部 苦難の開拓者たち

  第四章 ヴァネヴァー・ブッシュ @微分解析機

  作.伊藤智義


1.野原
 ― 1912年 アメリカ ―
 N「現代のコンピュータはデジタル式であるが、20世紀前半は、計算機といえばア
  ナログ式を意味していた。それは1台のアナログ計算機の存在による」
  一人の男が、前後に車輪が付いている変な箱を押している。
 N「デジタル計算機の前に大きく立ちはだかったアナログ式の名機“微分解析機”を
  作った男 ― 彼はアメリカにいた」
  無心にその装置を推しているその男のアップ。
 − タフツ大学大学生 ヴァネヴァー・ブッシュ(22) −
  友人たちが来て、冷やかす。
 友人1「ブッシュ、何だい、そのへんてこな装置は?」
 友人2「いいのかよ、こんなことしていて…。もうすぐ卒論の提出期限だぞ」
 ブッシュ「これがぼくの卒論さ」
 友人3「へ?確かオマエ、測量がテーマじゃなかったっけ?」
 ブッシュ「そうだよ。だけど一々計算して地形を求めていくんじゃ面倒くさくてね。
  それでコイツを作ったんだ」
  見る一同。
 ブッシュ「(自信満々)プロファイル・トレーサー(断面描跡器)だ」
 友人たち「?」
 ブッシュ「つまり、地面の高低を検知して、その地形を自動的に描いていく装置なん
  だ」
  ブッシュ、箱を開けて説明し始める。
  そこにその装置の設計図がかぶる。
 ブッシュ「地面の傾きを検知するとね、このペンがそれに合わせて動くわけだ。紙の
  方はもちろん車の動きに合わせて進む。するとだね」
  ブッシュ、ビリッと紙を切り取って、広げて見せる。
 ブッシュ「こんなふうに今通ってきた道筋の凸凹がわかる」
  驚く一同。
 友人1「それじゃこれを使えば面倒な測量をしないでも済むっていうことかい?」
 ブッシュ「そのために作ったんだから」
 友人2「面倒くさい計算も?」
 ブッシュ「だからそのために作ったんだってば」
 一同「(感心)へえ」
 ブッシュ「今は電気工学や機械工学が急速に発展している時代だ。それを使えば、世
  の中もっともっと便利になるはずだ。みんなが卒論のために追いまくられている複
  雑な計算だってきっと…」
  ハタと口が止まる。
 ブッシュ「(考える)まてよ…」
 N「ブッシュはプロファイル・トレーサーの開発で学士号と修士号を同時に取得する
  という離れ業を演じた」

2.グラウンド
 − 1920年代 MIT(マサチューセッツ工科大学) −
  一台の車が試走している。
 N「その後、ハーバード大学とMITで博士号を取得したブッシュは、GE(ジェネ
  ラル・エレクトリック)社、タフツ大学を経て、1919年にMITに就職する」
  その車を運転している学生1。
  助手席にはブッシュ。
 ブッシュ「どうだい、自分が改良したエンジンで運転している気分は?」
 学生1「最高に気持ちいいです。ブッシュ先生」
 ブッシュ「だろ?それが発明の本質だ。もっとアクセルを踏み込んでみたまえ」
 学生1「はい」
  排気管からちょっと火を吹き、加速するその車。
  ブッシュ、木陰で座っている学生に気付く。
 ブッシュ「おや?あそこにもくよくよした学生が…」
   *
  木陰。
  学生2が図面を前にため息ついている。
  その図面 − アメリカの地図にたくさんの線が張り巡らされている。
 学生2「電力網の計算か…大変な研究テーマを選んでしまったな。いくらやってもち
  っとも進まないよ…」
  グランドを疾走している車。
 学生2「あいつはいいな、楽しそうで…」
   *
  車の排気管がブフォ、ブフォと変な音を立てる。
 「アレ?」
  顔を見合わせる学生1とブッシュ。
  エンジンが火を吹く。
  爆発。
  投げ飛ばされる二人。
   *
  学生2、思わず立ち上がる。
  駆け寄る。
 学生2「大丈夫ですかあ」
   *
 「痛てててて…」と尻もちをついている二人。
 学生1「(振り返り)あー、ビックリした…」
 ブッシュ「ハハハ…。でも楽しかったな」
 学生1「ええ、とっても」
  心配で駆け寄ってきた学生2、二人のさわやかな顔に
 学生2「?」
 学生1「この感じなんですね、大切なのは」
 ブッシュ「そうさ。大切なのは自分が心から楽しむこと。私たちが研究や開発をする
  というこは、詩人が詩を書くのと基本的には変わらないんだよ。自分のやっている
  ことは世の中の役に立つだろうかとか商売になるかなんてくよくよ考えるのは筋が
  違う」
  学生2。
 学生1「(学生2に)ぼくは自動車のエンジンの改良を研究していたんだ。だけど…
  自分のやっていることは本当に意味のあることなのかって最近悩んでいてね。そし
  たらブッシュ先生が、使い物になるかどうかわからないぼくのエンジンを試してみ
  ようって…」
  学生1、楽しそうに笑う。
 学生1「この通り、失敗作だったけどね」
 ブッシュ「しかし君は、この失敗作を通じてエンジンの仕組みを深く理解した。実体
  験としてね。それは貴重な財産だ。何一つ無駄ではない」
 学生1「はい」
 ブッシュ「(学生2に)君もそう思わないかね…」
 学生2「(小さく)私も何か開発研究を選べば良かったな…」
 ブッシュ・学生1「?」
 学生2「自分のテーマは電力網の最適配置です。停電地域を迅速に復旧するにはどう
  いう配置にすれば良いのか、計算して求めるのです。これからの電気社会を支えて
  いくためには非常に重要な問題だと思ったんです。だけど…」
 ブッシュ「予想以上に計算が大変なわけだな」
 学生2「はい。このままでいくと何年たっても…」
 学生1「(同情)それは飛びきりつまらなそうだな…」
 学生2「つまらないよ。毎日机に向かいっぱなしで…気が変になりそうだ」
 ブッシュ「面白くしてみるかい?」
 学生2「え?」
 ブッシュ「数式は実体がないから実感がわきにくくて面白味がない。だったらその数
  式を目に見えるものに変えてみたらいい」
 学生2「どういうことですか?」
  ブッシュ、立ち上がり、横転している自動車に歩み寄る。
  カラカラ回っている車輪。
  ブッシュ、その車輪の上に、木の棒を意味ありげに立てる。
 ブッシュ「数式を計算する装置…作ってみないか?」
 学生1「(驚いたように)そんなことができるんですか?」
 ブッシュ「部屋に閉じこもってばかりが数学ではないぞ」
 学生2「面白そうですね!私もぜひ!」
 ブッシュ「よし、ついてきたまえ」

3.ブッシュの教授室
  学生1、2にプロファイル・トレーサーを見せるブッシュ。
 ブッシュ「これはぼくが学生の時に作った装置なんだがね、これをこう地面の上で動
  かすと、その凸凹が検知できるんだよ」
 学生1・2「ハア…」
 ブッシュ「それはつまり、地面の傾きを自動的に積分しているのと同じことなんだ」
 学生2「積分?数学のですか?」
 ブッシュ「そう。こんな装置で積分ができてしまうんだ。面白いだろ?」

4.イメージ
  積分と積分器の仕組み。
 N「車輪の組み合わせで積分を行う装置を積分器という」
  (図)
   *
  電力メータ。
 N「家庭に付けられている電力メータなどはその典型的な例である。時々刻々と変化
  する電力を機械的に積算し、結果的にメータで全電力を表示する」

5.ブッシュの教授室
 ブッシュ「この積分器をうまく組み合わせるといろいろな微分方程式が解けるんだ。
  世の中の現象はたいてい微分方程式で記述されるから、大部分の問題が解決できる
  というわけさ」
  (図)
 学生2「電力網の問題も微分方程式です」
 ブッシュ「だろ?」
 学生1「へえ、こんなもんでねえ…」
  学生1、プロファイル・トレーサーをまじまじと見る。
 ブッシュ「いや、それは例えの例えでね。本当に計算に使うためには、もちろんもっ
  と本格的な物を作らなければならない。今研究の最中なんだ」

6.研究室・表
  学生1、2を連れてくるブッシュ。
  入り口に
 『Development Room for Differential Analyzer』
 学生2「微分解析機(Differential Analyzer)?」
 ブッシュ「そう名付けてみた」

7.同・中
  学生1、2を連れて入ってくるブッシュ。
 ブッシュ「ここがその開発室だ」
  部屋を見回す二人の学生。
  中では数人の学生が研究開発に勤しんでいる。
  ブッシュ、学生3に声をかける。
 ブッシュ「どうだい?シャフトの組み合わせは?」
 学生3「いいモーターが手に入ったんですよ。これでバッチリです」
  うなずくブッシュ。
  学生4が笑顔でブッシュに
 学生4「ブッシュ先生。また、いたいけな学生をだまして連れてきたんですか?」
 ブッシュ「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。私はただ、つまらなそうにして
  いた学生がいたから、研究のなんたるかをだね…」
  笑いが起こる。
  学生1、2の顔に
 − そうだ。こういう雰囲気なんだ。求めていたものは… −
 ブッシュ「(学生1・2に)もちろん強制するつもりはない。テーマを選ぶのは君た
  ちの自由だ」
 学生1・2「(同時に)いえ、ぜひ参加させて下さい」

8.イメージ
  開発の様子と微分解析機の仕組み。
 N「微分解析機のように、長さなどの物理的な連続量を測定して計算値を求める装置
  をアナログ計算機という。デジタル式のように一々数字の演算を行わずに結果が得
  られるので、処理速度が速いという特徴を持つ」
   *
  アナログとデジタル(時計などの例で)。
  アナログ…連続的。
  デジタル…離散的。
 N「そのために、微分解析機は機械式であったにも関わらず高速演算が可能であった」

9.イメージ
  完成する微分解析機と、ブッシュをはじめとする開発スタッフ。
 ブッシュ「スイッチをいれてみたまえ」
 学生2「はい」
  緊張気味、スイッチをいれる学生2。
  モーターが勢いよく回り始める。
 「おお…」
 学生1「ぼくたちの作った計算機が動いている…」
  感激の学生たち。
 N「1931年、微分解析機完成」
  喜びの一同。
  ブッシュ。
 N「それは歴史上最初の科学計算に使用し得る本格的な汎用計算機であった」

10.イメージ
  世界地図に微分解析機の導入場所。
 N「微分解析機は大きな反響を呼び、国外の研究機関も含めて全部で7〜8台製作さ
  れた。ブッシュの名は微分解析機とともに世界に響き渡っていく」

11.キャンパス
  ブッシュがMITの学長カール・コンプトンと並んで歩いている。
  上機嫌のコンプトン。
 コンプトン「いやあ、ブッシュさん、すごい反響だよ。どこへ行っても微分解析機の
  話題で持ちきりだ。今まで、とかくアメリカの大学はヨーロッパからバカにされて
  きたけど、我がMITに関しては、もうそんなことをいう人はいなくなった。私も
  学長として鼻が高いよ」
  楽しそうに笑うコンプトン。
 ブッシュ「(嬉しそうに)こんなものでは終わりませんよ。微分解析機はもっと良く
  なる。いま、大規模な改良プロジェクトを計画中なんです。ロックフェラー財団が
  資金を出すというのでね」
 コンプトン「ほう、それは素晴らしい」
 ブッシュ「不思議と今はアイデアが次から次へとわいてくる。楽しくってしょうがな
  い。身体がいくつあっても足りないくらいですよ」
 コンプトン「うむ」
  笑顔を見せるブッシュ。
 コンプトン「(真顔に戻り、見る)君の工学部長兼副学長への昇進が決まったよ」
 ブッシュ「え?」
 コンプトン「全会一致でね」
  ブッシュ ― 静かに喜びがこみ上げてくる。

12.工学部長室
  そこにいるブッシュ。
  格段に良い環境。
  ブッシュもまんざらでもない。
 ブッシュ「やっぱり広い部屋は気持ちが良いね。ラジオも置けるし…」
  ラジオをつけ、鼻歌まじりに席に戻るブッシュ。
  が、ラジオから流れてくるニュースにドキリとなる。
 ラジオ「ドイツでは国民と国家の危急除去のための法律、いわゆる全権委任法が賛成
  多数で議決されました。これでヒトラー政権の事実上の独裁が決まり…」
  ブッシュ、一転、表情が厳しくなる。

13.研究室
 学生3「先生が辞める!?」
  驚く学生たち。
 学生4「なぜ?」
 学生1「カーネギー研究所の所長に就任するそうです」
 学生3「バカな…。MITよりカーネギーの方が良いというのか?」
 ブッシュ「カーネギーの方が政府に近い」
  入ってくるブッシュ。
  見る一同。
 ブッシュ「世界が再び危機に直面しようとしている。アメリカもただでは済まないだ
  ろう」
 学生3「しかし何も先生が政治にまで…」
 ブッシュ「私はアメリカ建国の地ニューイングランドで生まれ育った人間だ。アメリ
  カの守る義務がある」
  一同。

13.キャンパス
  学生たちと別れるブッシュ。
 学生2「先生、『ロックフェラー微分解析機』はどうするおつもりですか?」
 ブッシュ「もちろん続ける。場所は変わるけど、これからもよろしく頼む」
   *
  去っていくブッシュ。
   *
  見送っている学生たち。
  そこに学長のコンプトンが来る。
 コンプトン「私も、学長職を提示して引き留めようとしたんだが、ダメだったよ。こ
  うと決めたら頑固な男だ」
  一同。
 コンプトン「彼も牧師の子だからな。ああ見えても常にまわりのことを考えて行動し
  ている。自分を犠牲にする覚悟はできているんだろう」
  見る一同。
 コンプトン「(ちょっと茶目っ気)私も牧師の子なんだけどね」
  一同。

14.カーネギー研究所・所長室
  ブッシュ。
 N「1939年、カーネギー研究所長に就任したブッシュのもとに、一人の亡命ユダ
  ヤ人科学者が訪れる」
  入ってくる男。ハンガリー出身の亡命ユダヤ人物理学者、レオ・シラード。
 ブッシュ「(見る)原子爆弾?」
 シラード「(訴える)ナチスが開発する前に何とかしなければ大変なことになります」
  ブッシュ。
   *
 N「第二次世界大戦の足音がすぐそこまで迫っていた。それは科学者たちの戦いでも
  あった」


 (@・終)


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