『BRAINS〜コンピュータに賭けた男たち〜』 第一部 苦難の開拓者たち

  第四章 ヴァネヴァー・ブッシュ AMemex

  作.伊藤智義


1.イメージ
  侵攻するドイツ軍。
 N「1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦の火ぶたが
  ヨーロッパで切られる」

2.イメージ
  核分裂。
 N「その9ヶ月前、ドイツで今世紀最大の発見がなされた。核分裂 − そのニュース
  は世界を駆けめぐった」

3.会議室
 N「ブッシュはアメリカ科学界の指導者たちを集めて一つの決断をする」
  ブッシュを中心に、カール・T・コンプトン(MIT学長)、ジェームズ・ブライ
  アント・コナント(ハーバード大学総長)、フランク・ジュウェット(米国科学ア
  カデミー総裁)などの面々。
 コンプトン「原子爆弾?」
 ブッシュ「私は原子物理の専門ではないので確信はないのですが、核分裂を利用すれ
  ば、想像を絶する爆弾が作れると聞きました」
 コナント「理論的にはどうもその通りらしい。たった一発の爆弾で都市が一つ消滅す
  るという計算も出されている。しかし、技術的な問題が多すぎて実現は不可能だと
  いうのが物理学者たちの間での一般的な見解だ」
 ブッシュ「可能性は、ゼロ?」
 コナント「20年、30年後はわからない。ただ、この戦争が終わるまでに開発され
  る可能性は極めて低い」
 ジュウェット「しかし、万が一、ドイツに先を越されたら…」
  一同の顔色が一瞬青ざめる。
 ジュウェット「一つ確実に言えることは、もしどこかの国が原子爆弾の開発に成功し
  たとしたら、間違いなくその国は世界を支配できる…」
 一同「…」
 コンプトン「(つぶやく)可能性が否定できないのであれば、やらなければならない
  な。自由社会を守るために…」
 ブッシュ「(うなずく)私はそういう研究が自由に行える国家的組織の必要性を痛感
  しています。しかもそれは大統領直属でなければならない」
 コナント「軍人を通すとろくなことにならんからな」
 ブッシュ「皆さんにも協力をお願いしたい」
  うなずく一同。

4.ホワイト・ハウス
  一枚の報告書に目を通している大統領フランクリン・D・ルーズベルト。
 ルーズベルト「国防研究委員会?」
  来ているブッシュ。
 ブッシュ「科学技術力が世界の行方を左右するのです。大統領」
  ルーズベルト、うなずいて書面にサインする。
 『OK−FDR(了解−フランクリン・D・ルーズベルト)』
  見るブッシュ ― うなずく。
   *
 N「1940年6月、国防研究委員会設立。初代委員長に就任したブッシュは、その
  1年後、さらに権限の強い上部組織『科学研究開発局』を設立し、その初代局長に
  就任する」

5.同・表
  出てくるブッシュ。
 N「最盛期には全米の科学者のうち、その3分の1までもがブッシュの下で働くこと
  になる」

6.ロックフェラー研究所
  微分解析機の改良機『ロックフェラー微分解析機』の開発が行われている。
  研究員の中心はかつての学生たち。
  その中で精力的に働いているブッシュ。
 ブッシュ「問題は安定性だな。電気的に処理できるところは置き換えて…」
 研究員1「(心配そうに)先生、大丈夫なんですか?」
 ブッシュ「何が?」
 研究員1「先生はもうただの先生ではないんでしょう?政府の仕事とかいろいろ…」
 ブッシュ「私の一番の仕事は『微分解析機』。公務はその次さ」
  研究員1、入り口の所に目をやる。
  そこにはブッシュの秘書がハラハラしたように待っている。
 秘書「長官、2時から大統領との懇談会が入っているんですよ!わかってますよね?」
  時計を見るブッシュ。
 ブッシュ「まだ、10分も余裕があるじゃないか」
  平然と仕事を続けるブッシュ。
 ブッシュ「(研究員たちに)もう予定から2年半も遅れているんだ。うかうかしてら
  れないぞ。計算の需要はますます増えている。この改良機『ロックフェラー微分解
  析機』を待ち望んでいる人が大勢いるんだ。彼らをガッカリさせてはいけない」
 研究員2「しかし最近、デジタル式計算機の開発が行われていると聞いたんですけど、
  大丈夫でしょうか?」
 ブッシュ「(茶化して)バベッジの解析機関でも作ろうという変わり者がいるのかい
  ?」
 研究員2「違いますよ!なんでもリレーをスイッチング回路に使うのだそうです」
 ブッシュ「(笑って)ハーバードとベル研だろ?」
 研究員2「知っているんですか?」
 ブッシュ「科学研究開発局でも予算の援助をしているからね」

7.イメージ
  この時期開発されたデジタル計算機。
  ハワード・エイケンとハーバード・マークI。
  ジョージ・スティビッツとベル研究所モデルV。

8.ロックフェラー研究所
 研究員3「ライバルになるでしょうか?アナログ式には本質的な欠点がある」
  ブッシュ。

9.イメージ
  アナログとデジタルの計算精度の解説。
 N「アナログ計算機の欠点 ― それは本質的に測定器であるので、機械の測定精度以
  上に計算精度を高くできないということである。微分解析機は1%程度の誤差が許
  されるのなら申し分のない計算機であったが、それ以上の精度が要求される場合に
  は使いものにならなかった」
   *
 N「だからもし、デジタル式がアナログ式と同程度以上に速くなれば、アナログ式は
  消える運命にあった」

10.ロックフェラー研究所
 ブッシュ「確かに将来的にはデジタルも有望だろう。将来性を見込んで政府も金を出
  している。だが、現段階では恐るるに足りない。まあ、少なくとも今後10年は我
  々の敵にはならないだろう」
  安心する一同。
  秘書が焦っている。
 秘書「長官!」
  時計を見るブッシュ。
 ブッシュ「おっと、もう時間か…」
  手早く身支度をするブッシュ。
  去り際に若い研究員5の肩をたたく。
 ブッシュ「楽しいかい?」
 研究員5「ええ、とっても」
 ブッシュ「結構!」
  みんなに向かって
 ブッシュ「この新型微分解析機で再び世界をあっといわせようじゃないか!」
 一同「はい!」

11.同・表
  出てくるブッシュと秘書。
 秘書「(せきを切ったようにまくし立てている)2時から大統領にお会いした後、4
  時からは国防研究委員会の会合が…5時半からは財界の…」
 ブッシュ「OK!OK!」
  活気がみなぎっているブッシュ。
  車に乗り込む。

12.ロックフェラー研究所
 N「1941年12月『ロックフェラー微分解析機』完成」
  完成したロックフェラー微分解析機。
  見学者の前でデモが行われている。
  研究員たちが説明している。
 研究員1「ポイントの一つはパンチカードでの入力が可能になったことですね。今ま
  で一日がかりだった初期設定の作業が、ほんの数分で済みます。つまり、トータル
  な処理時間が大幅に改善され、操作性も…」
  しかし、見学者はまばら。
  手持ちぶさたの研究員たち。
  その中にブッシュもいる。
 研究員2「せっかくの初公開なんですが、さすがに訪れる人は少ない。残念ですね」
 ブッシュ「時期が悪すぎたよ」
 研究員3「1週間前に日本が宣戦してくるとはね…。みんな計算機どころではなくな
  りますよ」
  相変わらず秘書がイライラしている。
 秘書「長官!こんな所でいつまで油を売っているつもりですか!これから官邸で…」
  見るブッシュ。
 秘書「(ハッとなり、必死に弁解する)あ、こんな所と言ったのは、別にそういう意
  味ではなくて…」
 ブッシュ「(笑って見せ)わかってるよ。行こう!」

13.イメージ
  真珠湾攻撃。
 N「12月7日(日本時間8日)、日本がハワイ真珠湾を攻撃、アメリカがついに第
  二次世界大戦に参戦」
   *
 N「しかし、ロックフェラー微分解析機の反響が少なかったのは、それだけが原因で
  はなかった」

14.ブッシュの長官室
 ブッシュ「電子計算機ENIAC?」
  説明に来ている男。
 男「陸軍弾道研究所とペンシルヴァニア大学が共同で開発したいとのことです」
 ブッシュ「あの不安定な真空管をスイッチング回路に使うだって?」
 男「計算速度が飛躍的に向上するそうです」
 ブッシュ「理論的にはね。しかし真空管を1度に1万本以上も安定に動作させること
  など不可能だ」
  男。
 ブッシュ「却下だ。そんな非現実的な物に政府が金を出すわけにはいかん」
 男「そうでしょうか?」
  ブッシュ。
 男「長官は科学行政のトップとして、非現実が現実化するこの異常な現実を、つぶさ
  に見てきているのではありませんか?」
 ブッシュ「(見る)」

15.砂漠の実験場
  実験台にセットされている原子爆弾。
 ― 1945年7月16日 ―
 N「世界大戦という異常な状況の下で、科学技術は想像を超える速度で進化していた。
  数十年かかるといわれた原子爆弾がわずかに5年で完成する」
  はるか離れたところに建っている監視棟。
  その中にいる科学者たち。アイ・マスクを装着する。
  そこにいるブッシュ。
  点火。
  一瞬の静寂の後、ものすごい勢いで爆発する原子爆弾。
  ブッシュ ― 驚いたように見る。身体が凍りつく。
 ブッシュ「…」
  係の男が叫ぶ。
 「火球、目視半径150メートル!上昇します!」
  ブッシュ ― 震撼としているその表情。
 ― 我々は…人類はどこまで行こうとしているのか… ―

16.イメージ
  電子計算機ENIAC。
 N「翌1946年、電子計算機ENIAC完成。アナログ計算機の時代は、ブッシュの予
  想よりはるかに早く幕を閉じる」

17.MITの計算機室
  微分解析機が設置されている。
  そこに一人ポツンと立っているブッシュ。
  ブッシュ、懐かしそうに微分解析機に触れている。

18.同・表
  廊下を歩いてくるMIT学長コンプトン。
  コンプトン、そのまま通り過ぎようとするが、入り口が開いているので立ち止まる。
  中を見るコンプトン。
 コンプトン「おや?」

19.同・中
  入ってくるコンプトン。
 コンプトン「珍しいね、長官。こんな所に来るなんて」
 ブッシュ「(見る)長官はやめて下さいよ、学長」
  コンプトン、笑いながら来る。
 ブッシュ「(微分解析機を点検しながら)どうですか?こいつの調子は?」
  コンプトン、見る。言いにくそうに
 コンプトン「ジェイ・フォレスターという活きのいい男がいてね」
  ブッシュ。
 コンプトン「 MITでもデジタル計算機の研究を始めることになったんだ」
  ブッシュ、微分解析機を点検しながら、つぶやく。
 ブッシュ「ものすごい勢いで世界が変わっていく…」
 コンプトン「気を落とす必要はない。時代の流れだ。誰にも逆らえない」
 ブッシュ「変わりゆく世の中…人類の知識の総量は驚くべき割合で増えています。こ
  のままでは、いつか私たちは自分たちが生み出した情報の洪水の中で溺れてしまう。
  自分たちが生み出した知識が私たちを混乱させ、破滅に導くおそれもある」
 コンプトン「原子爆弾?」
 ブッシュ「それも大きな問題の一つですね」
 コンプトン「つまり、人類は自分たちの生み出してきた知識をきちんと管理しなけれ
  ばならないということかね?」
 ブッシュ「しかも個人のレベルでね。それが『今』を作ってきた私たちの責任でもあ
  るんじゃないかと…」
 コンプトン「ふむ…」
 ブッシュ「(見る)私は来るべき計算機のあるべき姿を模索しにここに来たのです。
  別に感傷にひたるためではありません。もう一度原点に戻って考えてみたくて…」
  コンプトン。
 ブッシュ「例えば…ある機械に向かって、これこれの情報が知りたいと話しかける」
  微分解析機を指差しながら、話し始めるブッシュ。
 ブッシュ「するとその機械は、その情報を検索してきて即座に提示してくれる」
  コンプトン。
 ブッシュ「逆にね、この情報を保存しておいてくれというと、即座にしかるべき場所
  に整理して取っておいてくれる…そんな個人図書館のような秘書のような装置が、
  近い将来必ず必要になると思うんですよ」
  コンプトン。
 ブッシュ「思考のおもむくままに知的活動を援助してくれる、そんな装置が…」

20.イメージ
  論文『As We May Think』。
 N「戦争終結直前の1945年7月、ブッシュは論文『As We May Think(思考のお
  もむくままに)』を執筆、そこでMemexと名付けたシステムを発表する」
   *
  Memex。
  額に付けた小型カメラのような入力装置やディスプレイのような出力装置。本体の
  機械。
 N「コンピュータが単なる計算機械以上には想像され得なかった当時、その重要性に
  気付いたものはほとんどいなかった」
   *
  現代のパソコンとの比較。
 N「しかしそれは、まさしく現代のマルチメディア・コンピュータのシステムに他な
  らなかった。その思想は後世に受け継がれ、戦後30年を経て一気に花開くことに
  なるのである」

21.キャンパス
  外に出てきているブッシュとコンプトン。
 コンプトン「君はやっぱり研究している方が似合うな」
  別れていく二人。
 「あ、そうだ…」と立ち止まるブッシュ。
  振り返って、コンプトンに
 ブッシュ「学長!」
  振り返るコンプトン。
 ブッシュ「ロックフェラー微分解析機が先日、アメリカの勝利をはじき出しましたよ
  !」
  キョトンとした感じで見るコンプトン。
  笑顔になって
 コンプトン「それは良かった!」
  ブッシュ、子供のような笑顔で手を振り、再び歩き出す。

22.イメージ
  ブッシュ。
 N「アナログ式で計算機の歴史に一時代を築いた男 ― ヴァネヴァー・ブッシュ(18
  90−1974)」
   *
  MIT。
 N「彼の伝統を受け継いだMITは、今日に至るまでコンピュータ・サイエンスの最
  高学府として世界に君臨し続けている」


 (A・終)


                                                              1996.12.6 脱稿

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