『BRAINS〜コンピュータに賭けた男たち〜』

コンピュータの基礎講座D 電子化と計算速度の進化


 コンピュータは演算速度の向上により飛躍的な発展を遂げてきた。その転機となったのが電子式の導入である。戦前の卓上計算機は歯車式であったので、その演算速度は人間が筆算するのとほとんど変わらない。それが電気機械式のリレーを利用することによって約千倍になり、電子式の真空管でさらにその千倍になって、コンピュータ時代の幕が開く。

 その流れは1948年に発明されたトランジスタによって一気に加速する。トランジスタは真空管と同様な機能を固体で実現したもので、真空管が不安定で壊れやすいのに対して、取り扱いやすく、しかも小型化が可能であった。今日の高度な電子工学はトランジスタの出現によってなされたものであり、今世紀最大の発明といわれる。

 1959年には、トランジスタ・抵抗器・コンデンサ等を一つのシリコン上に実装したIC(集積回路)が開発され、その後、さらに実装密度の大きなLSI、VLSIへと発展していく。それにともなってコンピュータの演算速度は、およそ10年で100倍という驚異的な割合で向上していくことになる。

[コンピュータの世代]

        時代     素子
 第1世代   1950年代   真空管
 第2世代   1960年代前半 トランジスタ
 第3世代   1960年代後半 IC(〜1000トランジスタ)
 第3.5世代 1970年代   LSI(〜10万トランジスタ)
 第4世代   1980年代前半 VLSI(10万トランジスタ以上)

 第1世代は真空管の時代である。1951年にレミントン・ランド社(1955年からスペリー・ランド社、現ユニシス社)により世界最初の商用コンピュータUNIVAC−1が発売され、コンピュータ産業が本格的に始まる。UNIVAC−1はENIACを作ったモークリーとエッカートによって開発されたものである。2年遅れてIBMがコンピュータ事業に進出する。

 第2世代ではトランジスタの使用により、高性能の大型計算機が出現した。日本がコンピュータ産業に参入を始めたのはこの頃である。

 第3世代は、それまで技術的にはスペリー・ランドに遅れを取っていたIBMが、世界最初の、ICを本格的に採用したIBMシステム360を発表した時代である。IBMシステム360はコンピュータ史を画するもので、IBMによる市場支配を決定付けるものとなった。

 第3.5世代では、インテル社が演算回路・制御回路を1チップに集積したマイクロプロセッサを開発し、コンピュータの小型化・高性能化が進んだ。1970年代後半にはパーソナルコンピュータが、80年代に入ってワークステーションが相次いで出現し、コンピュータが個人ユースの時代を迎え始める。と同時に、クレイ・リサーチ社により、科学計算用に高速化を目指したスーパーコンピュータが開発される。

 第4世代に入ってICの集積度がさらに上がると、小型・パーソナル化が一層進む。この頃から市場の支配はハードウェア・メーカーからソフトウェア・メーカーへと移っていく。IBMの支配が終わり、マイクロソフトの時代を迎える。

 1982年からは、通産省が10年計画で『第5世代コンピュータ開発計画』を実施した。第4世代までは使用するハードウェア技術によって分類してきたが、『第5世代』では知的な推論機能や並列処理など、それまでのアーキテクチャとは大きく異なるシステムの実現を目指した。

 現在最速のコンピュータは演算速度が100Gflopsに達している。 flopsは演算速度を測る単位で1秒間に行える(浮動小数点数の)演算数を表す。 G(ギガ)は10億のことなので、つまり100Gflopsとは、1秒間に1千億回の演算を行う速度である。それはENIACの実に1億倍の速さである。

 このように、コンピュータ史において電子式導入の意味は極めて大きい。私たちも『コンピュータ=電子計算機』と見がちである。そのため『ABCが世界最初のコンピュータである』という主張がなされた。コンピュータ史上、激しく議論されたこの問題は、法廷での判決が下された後もいまだに定まってはいない。裁判ではENIACで使われた技術のうちのいくつかはABCのものであったことが認められた。しかし、だからといってABCが最初のコンピュータであったとは言い難い。電子式は最も重要な要素の一つであるが、コンピュータの要素はそれだけではないからである。

 『プログラム可変内蔵方式をもってコンピュータと定義する』という考え方がある(星野力「誰がどうやってコンピュータを創ったのか?」共立出版)。プログラム可変内蔵方式(次巻で解説予定)を採用することによって、はじめてコンピュータは『チューリング・マシン』を実現し、複雑な情報処理を行うことが可能となるからである。そういう意味ではABCは(ENIACも)コンピュータの域には達していない。

 しかし、たとえ最初のコンピュータだとは認められなかったとしても、ABCの業績がおとしめられることは何もない。誰もが不可能だと思っていたあの時代に真空管で計算機を作り上げた功績は十分賞賛されるべきものである。一方ENIAC側も、たとえABCの先行技術があったとしても、そのことによってその評価が下がることはない。基本原理がわかることと、それを実用化することとは別の問題であるからである。当時の本格的な電子計算機開発は国家的規模のプロジェクトを必要としていた。それを組織し成し遂げたENIACチームの功績も計り知れない。

 ABCもENIACも、コンピュータ開発の黎明期を飾る記念碑的マシンとして、後世に語り継がれていくはずである。


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