「栄光なき天才たち」
― 若すぎたヒーロー エヴァリス・ガロア ―
作.伊藤智義
1.大学・教室
数学の授業。
N「ガロアという名前を、知っている人は少ないかもしれない」
つまんなそうに講義をしている先生。
N「大学で数学を勉強している人は『群論』というものをやると思うが、」
居眠りをしている学生。
N「その難しい数学『群論』を創始したのが、二十歳にも満たない若き天才、ガロアな
のである ― 」
学生 ― 気持ちよさそうに熟睡している。
2.街かど
― フランス 1831年冬 ―
石段に腰をおろし、ペンを片手に思索にふけっている男がいる。
― エヴァリスト・ガロア19歳 ―
若者Aが一通の手紙を振りかざしながらかけてくる。
若者A「オーイ!ガロア!来たぞっ!科学アカデミーから返事が来たぞっ」
ハッとして振り向くガロア。
― 来た? ―
ガロア「(立ち上がる)来たのか、とうとう…」
若者A「(手紙を手渡し)今度のは自信があんだろ?」
ガロア「ああ、絶対だよ。数学の歴史を変えるほどの論文だったんだからな」
急いで封を切るガロア。
*
N「当時、数学界においては、パリ科学アカデミーは絶対的な権威を誇っていた。
会員には、数学史上にサン然と名を残すコーシーをはじめ、フーリエ、ポアソン、
アンペールなど、そうそうたるメンバーがそろっていた」
3.イメージ
各人物の横顔。
N「科学アカデミーに認められること、それはすなわち、数学界に華々しくデビューす
ることを意味していたのである」
4.街かど
読んでいるガロア。
しかしその表情は、非常に険しくなっている。
若者A「(のぞき込むように)おい、どうなんだ!何て言ってきた?」
ギロッとにらみつけるガロア。
若者A。
ガロア、その手紙をビリビリ破り捨てると、ムッとして行く。
ビックリする若者A。
若者A「お、おい、どうしたんだ、ガロア…」
ムッとしたままズンズン歩いていくガロア ― その悔しさのにじみでた横顔。
N「これはガロアが科学アカデミーに提出した三つめの論文だった。前二作は審査を任
されたコーシーの机の上で紛失し、今回は審査はされたが、不採用の決定が下された
のだった」
5.ガロアの部屋(アパート・夜)
ランプの明りのもと、机に向かっているガロア。
N「その夜、ガロアは科学アカデミーに対する憤りを書きつづっている」
殴りつけるように書いているガロア。
「(書かれていく文字)…………………………………………………………………………
科学アカデミーは、この論文を理解したくなかったのか、それとも理解できなかっ
たのか ― 」
と、そこでペンが止まる。
ガロアの顔に再び怒りがこみ上げてくる。
バン!
とペンを叩き置き、目の前の原稿をクシャクシャに丸め、
「クソッ!」
とゴミ箱にたたきつける。
投げ捨てられた原稿 ― 勢い余って、ゴミ箱からコロコロッとこぼれる。そこに、
N「(かぶって)歴史的に言えばそれは事実だった。科学アカデミーはガロアの論文を、
この時点では理解できなかったのである」
6.夜の街
ポケットに手をつっ込み、ズンズン歩いていくガロア。
― クソッ!おいぼれに何がわかるっ! ―
逆の方向から、酔っぱらった男たちが数人、陽気にやってくる。
気づかずズンズン歩いていくガロア。
ドスン!
と、酔っぱらいのひとり(男1)にぶつかり、男1、尻もちをつく。
男1「何すんだよ、兄ちゃん」
ガロア「(見る)フラフラ歩いてんのが悪いんだろっ!」
男2「なんだとォ?(肩をつかむ)」
ガロア「離せよっ(払いのける)」
男2「なにすんだよ(と、ドンと突く)」
ガロア「(ムカッとくる)なにすんだよっ!」
と、男2に殴りかかる。
男2 ― ふっとぶ。
一瞬呆然となる男たち。
興奮して呼吸が震えているガロア。
男3「テメェ…(仲間に)やっちまえっ」
男たち、ワーッと殴りかかってくる。
ガロアも負けじと応戦する。
激しいケンカ。
*
その光景 ― ロングになり、
7.夜空
8.公園(夜)
人気のない、寂しい公園。
そこのベンチに ― ぼろぼろになったガロアが寝かされている。
その横で、ひとりの少女がガロアの傷の手当をしている ― マリア(18)。
ガロア ― 「ウーン」とうなり、意識を取り戻してくる。
マリア「あ、気がついたのね。良かったあ。私、最初、死んでるんじゃないかと思って
ビックリしたんだけど…」
ガロア ― ぼんやりマリアの顔を見ている。
マリア「あ、私?私はマリアっていうの。日曜日にはこの公園に絵を描きに来るんだけ
ど、今日は夜景を描こうと思ってさっきここに来たら、あなたが倒れてるでしょ、ビ
ックリしちゃって…」
ガロア ― ただぼんやりマリアの顔をながめている。
マリア「(ちょっと不安になり)…大丈夫?」
ガロア。
マリア「…」
ちょっと小首をかしげ、ガロアの目の前で手を振ってみたりする。
*
二人のほかには誰もいないその公園 ―
*
更けてゆき ―
9.公園(昼)
やわらかな日差し。
人々でにぎわっている。
その中には、絵を描いているマリアの姿も。
妙に真剣な表情で描いているマリア。
そこにガロア、現われる。
ガロア「やあ。このあいだはどうも」
マリア「(見る)あら? ― まあ!もういいの?」
ガロア「ああ、すっかり」
マリア「それにしても偶然ね。また会うなんて」
ガロア「(見る。小さく笑い)偶然じゃないよ。君、日曜日には絵を描きにここに来る
って言ってただろ?」
マリア「(見る)え?」
10.ベンチ
座っているガロアとマリア。
マリア「へえー、ガロアっていうの」
ガロア「(うなずく)数学の勉強してるんだ」
マリア「え?数学?」
フフフ…と笑い出すマリア。
ガロア「?」
マリア「(いたずらっぽく)数学を勉強してる人って、ケンカ好きなのね」
ガロア「え?(見る ― フフッと笑い)まあ見ててくれよ。あと三年もたてばぼくの時代
がくる」
マリア。
ガロア「科学アカデミーでグランプリかなんか受賞して、全世界にぼくの名まえが響き
渡るんだ」
11.イメージ
科学アカデミー。
大勢の数学者の前で論文を発表するガロア。
拍手の渦に包みこまれる。
快心の笑み ― ガロア。
12.ベンチ
想いにふけっているガロア。
マリア「(フフッと笑い)うぬぼれ屋さんなのね」
ガロア「天才は誰だってうぬぼれ屋だよ。自分自信を信じ切れないヤツに何ができるっ」
マリア。
ガロア「(見る)ぼくの名まえを覚えておいて損はないぜ。新しい時代を開く男の名前
だからね」
マリア ― ちょっと驚いたようにみる。
またフフッと笑う。
13.街
歩いていくガロアとマリア。
ガロア「数学っていったって、そんなに難しいことはないんだ。ガウスなんか定規とコ
ンパスで正十七角形をかいただけで数学の帝王だなんて言われてんだぜ」
マリア「なんだかあなたといると私まで才能があるような気がしてくるわね。なんだか
すごい絵が描けそうな…」
ガロア「そうだよ。まずは自分を信じること、すべてはそれからさ」
マリア「(横目で見る)また始まった」
ガロア、見る。
マリア、フフッと笑い出し、ガロアの腕をとる。
*
楽しそうに歩いていく二人。
その二人を遠くから見つめている男がいる ― ブール(22)。
ブール「(悲しく険しい顔つき。つぶやく)マリア…どうして…」
14.公園
暖かな日差し。
咲きみだれる花花。
― 1832年春 ―
絵を描いているマリア。
それをすぐうしろのベンチに座って見ているガロア。
のどかな昼下がり。
ガロア「ねえ」
と立ち上がり、歩み寄りつつ、
ガロア「その絵が描き上がったら、南の方に行ってみないか?」
マリア「(描きつつ)旅行?」
ガロア「うん。たまには他の場所で描いてみるのもいいんじゃない?」
マリア「(振り向き)ホント?うれしい!私ね、一度…」
と言いかけた口が、ドキンと止まる。
マリア「…」
ガロア「?」
見る。
ブールが非常に険しい顔つきで立っている。
マリア「ブール…」
ブール。
ガロア「(マリアに小さく)誰?」
マリア、ガロアを見る。― 困ったように視線をはずし、
マリア「ブール・デュシャトレ…私の婚約者よ…」
ガロア「えっ…」
ビックリするガロア。
ブール「(強い口調で)ガロア君。君に決闘を申し込む!」
グッと決闘状を差し出すブール。
ガロア・マリア「(ビックリ)決闘?!」
ブール ― 。
15.街(夜)
険しい表情で黙々と歩いていくガロア。
並んで歩いていくマリア。
マリア「(ガロアの様子をうかがいつつ)決闘なんて、なんてバカなこと言いだしたの
かしらね」
ガロア「…」
マリア「バカバカしすぎて、あきれちゃうわね(フフッと笑おうとするが、うまく笑え
ない)」
ガロア「…」
マリア、また何か言おうとするが、
(ガロアの堅い表情)
やめる。
マリア「…」
間。
とてつもなく長い間。
マリアの表情 ― 思いつめたものになっている。
マリア「(ポツリと)私、ブールと結婚するわ」
ガロアの足、ピタッと止まる。
ガロア「どうして?」
マリア「(涙声)ブールには私しかいないのよっ!あのおとなしいブールが決闘なんて
よっぽど…ブールには私が必要なのよっ!」
ガロア「それじゃぼくは…」
マリア「あなたには数学があるわ。私たちとは違うのよ。才能があるし、自信に満ちあ
ふれてるし…私なんかいなくたってあなたは…」
ガロア「(ポツッと)自信なんかないよ」
マリア。
ガロア「自信なんか、これっぽっもないよ。だってそうだろ?誰も認めてくれないんだ
ぜ?一度だって認めてもらったことなんかないんだぜ?自信なんか生まれるわけない
じゃないかっ!」
マリア「だってあなた…」
ガロア「そう誰かに言ってなくちゃ…自分には才能があるんだって、誰かに言ってなく
ちゃ、自分自身に言いきかせていなくちゃ、つぶれてしまいそうなんだよっ」
マリア。
ガロア「本当は毎日毎日、ビクビクしてて不安で不安で…君を失ったらぼくは…」
ガロア。
ガロア「もう何も失いたくないんだっ!もう何も失いたく…」
マリア「…」
間。
マリア「でもお願い、決闘だけはやめて。二人が傷つくのなんか、みたくないわ」
ガロア「…」
間。
ガロア「ぼくだって怖いさ。だけど、彼の勇気から逃げるわけにはいかないよ」
ガロア、行く。
マリア ― 。
マリア「(ガロアの背に、悲痛に叫ぶ)あなた、ピストル使ったこと、あるのっ?」
ガロア、一瞬ピクッとなるが、
そのまま行く。
ガロア「…」
16.ガロアの部屋(夜)
ランプの灯のもと、机に向かっているガロア。
N「決闘の前夜、ガロアは友人宛ての手紙の中に、最後の論文を書いた。新しい数学の
時代を開く、最後の論文を ― 」
堅い表情のまま、一心に書き進めていくガロア。
17.手紙
「(書かれていく文字)………
この証明には、いくらか補足しなければならないことがある。しかし、ぼくには時
間がない。」
18.部屋
ガロア、そこで手が止まる。
19.手紙
「しかし、ぼくには時間がない」の一文。
20.部屋
ガロア「…(見ている)」
間。
ガロア ― 再び書き始める。
21.手紙
「(書かれていく文字)
いつか、この書なぐった原稿を解読して、有益だと思うような人たちが現われるこ
とを、ぼくは希望している。
心をこめて E・ガロア」
22.部屋
書き上げた手紙をじっと見つめているガロア。
そして、静かにペンを置く ― 。
23.沼地(朝)
朝もやの中、二人の人影が見えてくる。
ブールとガロア。
そのまん中に、二丁のピストルが置かれている。
ブール「どちらか一方にだけ、弾丸が入っているように頼んでおいた。好きな方をとれ
よ」
ガロア ― うなずき、ピストルを取る。
ブールも続いて取る。
*
ブールとガロア、至近距離で構えている。
ブール「教会の鐘が合図だ。いいか?」
ガロア「うん」
*
脈打つ心臓の鼓動 ― 。
ガロアとブール、緊張のあまり、凍りついたようになっている。
(二人の鼓動だけが高く鳴り響き ― )
遠くに見える教会。
24.教会
その鐘。
25.沼地
二人。
26.鐘
そこに ―
朝日がスーッと差し込んできて、
鐘、静かに鳴り始める!
27.沼地
ガロア、ハッとし、夢中で引き金を引く!
が、“カチッ”と不発の音。
と同時に、
“バーン!”と発砲の音。
(以下、急激にスローモーションになり ― )
ガロアの顔 ― みるみる苦痛にゆがんでくる。
28.回想
マリア。ちょっと驚いた表情で、
マリア「え?数学?」
*
ガロア「(見る ― フフッと笑い)まあ見ててくれよ。あと三年もたてば、ぼくの時代が
くる」
29.悲痛にゆがむガロアの顔
その瞳に、涙がにじんでくる。
30.イメージ
科学アカデミーで、拍手の渦に包まれるガロア。
31.ガロア
あふれ出す涙。
32.イメージ
科学アカデミーの壇上。
喜びの余り、マリアを抱きしめるガロア。
33.ガロア
涙が止まらない。
34.イメージ
現実には一度も実現しなかった、最高の晴れ姿。
35.ガロア
がっくりひざをつき、崩れていく ― 。
36.沼地
(スローモーションとけ)
ビックリした表情でガタガタ震えているブール。
ブール「やっちまった…打っちまった…」
声「オイ」
ブール、ビクッと見る。
ガロアが必死にしゃべりかけようとしている。
ガロア「最後に…頼みがあるんだ…」
見ているブール。― 恐くなって、
「ワーッ!」と逃げだす。
ガロア「(気づかず、必死に)ぼくの名前を、覚えておいてくれ…ぼくの名前は、ガロ
アっていうんだ…エヴァリスト…ガロア…」
力尽きるガロア ― 。
*
N「1832年5月30日、ガロアは死んだ。二十歳。
*
その後、ガロアのわずか数十ページの論文が理解されれるのには、さらに十数年の
歳月を要した。
彼の早すぎた死は、数十年にわたって数学の進歩を遅らせたと言われている
― 」
*
鐘の音 ― 静かに澄み渡る。
37.数学の授業風景(現在)
あいかわらず淡々と進んでいる。
居眠りをしている例の学生の姿も見える。
N「無味乾燥な授業の端端にも、様々なドラマが、秘められているのである
― 」
その熟睡している学生の、ちょっと間の抜けた寝顔がアップになって ―
(終)
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