「栄光なき天才たち」

― 医学界の壁 鈴木梅太郎 ―

 作.伊藤智義


1.近代的な研究所
  そこで働いている人たち。
 N「よく日本は、応用力はすごいが独創的研究に乏しいと言われる。そのことで海外か
  らの風当りも強い。
   だが決して日本に独創的研究が生まれなかったわけではない。ただ、それが育ちに
  くい情況であったのは事実のようである」

2.飼育小屋
 ― 明治43年(1910年) ―
  かごやオリの中に、ハトや犬、猫、ねずみ、うさぎなどが飼われている。
 ― 東京大学農学部鈴木研究室 ―
  ある男が、その動物をていねいに調べている。
 ― 鈴木梅太郎36歳 ―
  鈴木の助手、A、B、Cも同じように動物たちを調べている。
  助手A、ふと視線が止まり、
 助手B「消えてる…」
 助手B「こっちもだっ!」
 助手C「こっちも!完全に治ってるっ」
 助手A「先生!やっぱり先生の考えた通り、脚気はオリザニンの欠乏症だったんですね
  っ」
 鈴木「(自信を深め)うむ」
  笑いがこぼれる一同。
 「これで脚気が征服できるぞっ!」
 N「脚気 ― 今ではほとんど聞かれなくなった病気であるが、当時の日本はこの脚気の
  猛威にさらされていた。脚気による死者は年間一万人近くにものぼり、医学界はその
  原因究明に全力をあげていた」

3.研究をしている研究者たちのカットの数々
 N「しかし不幸なことに当時の医学界は、世界的に有名な北里柴三郎の破傷風菌や志賀
  潔の赤痢菌の発見に影響され、細菌学が大はやりで、脚気菌の発見に血眼になってい
  た。”脚気は脚気菌による伝染病である”という学説にこりかたまっていたのである。
  そんな中で、医学者ではなく農芸化学者だった鈴木は、独自の研究を展開していた」

4.飼育小屋
  動物たちにえさをあたえている鈴木。
 N「鈴木は白米食に比べて、玄米を主食にしている人に脚気患者がいないことに目をつ
  けた。そしてついに、動物実験によって、米ぬかに含まれているある物質が欠乏する
  と脚気になることをつきとめたのである」

5.研究室
  研究をしている鈴木。
 N「鈴木は、この物質を米の学名オリザ・サティバにちなんで、オリザニンと命名し、
  その抽出に成功した」
  試験管をかざして見る鈴木。
 N「オリザニン ― 現在ビタミンB1と呼ばれている物質である。
  脚気とはまさに、ビタミンB1の欠乏症状なのである」
  鈴木、満足そうにうなずき、助手たちにその試験管を見せる。
  助手たち、顔を寄せ合うように近づけて見る。
 N「オリザニンの発見 ― それは、脚気の根治につながったばかりでなく、現在から見れ
  ば、三大栄養素(炭水化物、脂肪、タンパク質)、塩類に続く第五の栄養素、ビタミン
  を初めて発見した、歴史的大偉業だったのである」

6.学会
 ― 東京化学会 12月 ―
  顔を紅潮させ、壇上に上がる鈴木。

7.研究室
  助手たち、茶をすすりながら、くつろいでいる。
 助手C「今頃先生、熱弁をふるってるところですね」
 助手A「ああ。一生に一度あるかないかの晴れ舞台だからな。なんたって、脚気の特効
  薬を発見したんだからな」
 助手B「しかもそれは新栄養素の発見でもある ― 」
 助手A「うん。医学の流れを大きく変えるかもしれないな」
 助手C「(興奮してくる)なんだか、割れるような賞賛の拍手が聞こえてきそうですね」
  助手A、B、うなずく。

8.学会
  熱弁をふるっている鈴木。
 鈴木「…というように、動物実験に関する限り、オリザニンの欠乏により脚気になり、
  オリザニンを与えることにより脚気が治ることは明白です。このことから、脚気はオ
  リザニンの欠乏症であると結論できます」
  ザワつく場内。
 鈴木「しかし残念なことに私は医者ではないので、臨床試験(実際に患者に薬を投与し
  て、その効果を調べること)ができません。ですから、医学関係の皆様に、一刻も早
  くオリザニンの臨床試験を行なってオリザニンの人に対する有効性を確認して頂きた
  いのです。そして、皆様の一致協力のもと、一刻も早く、日本から脚気を追放しよう
  ではありませんか」
  鈴木、一礼して壇上をおりる。
  その上気した表情 ― 。
  が、場内、意に反して異様な雰囲気になっている。
  それに気づいて思わず立ちすくむ鈴木。
  沸き起こるはずの拍手が起きない。それどころかザワめき、嘲笑すら聞こえてくる。
  とまどいを見せる鈴木 ― 。
  と、どこからか、
 声「バカも休み休み言えっ!」
  ドキッと見る鈴木。

9.研究室
  鈴木、非常に険しい表情で帰ってくる。
 助手A「お帰りなさい、先生」
 助手B「どうでしたか?学会は」
 助手C「すごい反響だったでしょう」
 鈴木「…」
  グッと唇をかむ。
 「?」 ― 顔を見合わせる助手たち。

10.研究室B
  小さな個室。
  その薬品に汚れた机に ―
  鈴木が険しい表情のまま座っている。
 ― なぜだ…なぜ… ―

11.回想(学会)
 学者A「(バカにしたように)ちょっと動物に効いたからって、いい気になって…」
   *
 学者B「しょせん百姓学者には医学のことは何もわからんのだよ」
   *
 学者C「(聞こえよがしに)ぬかで病気が治るんなら、小便を飲んでも効くんじゃない
  か」
  ドッと沸く場内。
  嘲笑の渦に包まれる鈴木。
  ― 呆然。
 声「(かぶる)なぜ…なぜ…」

12.研究室B
  鈴木 ― 。
 N「圧倒的な西洋コンプレックス。
   当時の日本の医学界は欧米で認められたものしか取り上げない風潮が極めて強かっ
  た。
   しかも鈴木は門外漢の農芸化学者。
   権威主義でこりかたまった医学界にとって、神聖なる医学に農学者が口をはさむこ
  とは、たえ難きことだったのである」

13.研究所(木造)外景
  雪がちらついてくる。
 N「この悲しむべき医学界の体質は、後々のビタミン発見の先取権、ひいては1929
  年度のノーベル医学・生理学賞をめぐって、大きな影響を与えることになる。
   鈴木と時を同じくして、ヨーロッパでもビタミンの研究が、まさに始まろうとして
  いたのである」

14.研究室
  助手A、郵便物の束を机の上に投げ出す。
  見る助手B、C。
 助手B「(一通を手にとり)何だい、コレは?」
 助手A「先生が協同研究を申し込んだ病院からの返事だよ」
 助手C「ああ(と、うなずく)。それで、ぼくたちのパートナーはどこに決まったんで
  すか?」
 助手A「(首を振る)どこにも」
 助手B、C「どこにも?」
 助手A「ああ。どこの病院からも返事はノーだっ」
 助手B「ノー?これ全部?」
 助手A「ああ、これ全部っ!」
  助手A、憤然として、
 助手A「学会の反応といい、病院側の態度といい、オレにはわからんよ…いったい本気
  で脚気を治療しようという人がいるのかどうか…」
 助手C「しかしなぜ?これだけハッキリしたデーターもそろっているのにっ」
 助手A「わからん…ただいくら動物実験を続けても、人に効くがどうかを示さないと誰
  も見向きもしてくれないのは事実のようだな」
  助手C。
 助手A「(苦渋に満ちた表情で)先生に臨床試験の機会さえ与えてくれれば…」
 助手C「…」
  放り出された郵便物の束 ―

15.飼育室(夜)
  裸電球の薄明り。
  助手Cがひざを抱えて座っている。
  ボンヤリ動物たちをながめている。
  ― というより、何か考えごとをしている様子。
 助手C「(ポツンとつぶやく)臨床試験か…」
  と、遠くで、ガチャンという物音。
 助手C「ん?(と顔を上げる)」

16.廊下
  歩いていく助手C。
  暗闇の中、一室だけ明りのついている部屋がある。― 鈴木研究室。

17.研究室
  ドアが開き、助手Cの顔がのぞく。
  そののぞいた顔が、
 助手C「あれ?先生 ― 」
  鈴木が割ってしまったビーカーを片づけようとしている。
 鈴木「あ、山田君。いや、つい手をすべらしてしまってね、この通り、大事な試料が台
  無しだ。ハハハ…」
 助手C「あ、ぼくがやりますよ」
  助手C、入ってきて、ガラスの破片を拾いはじめる。
 鈴木「やあ、すまんね」
  鈴木、一息ついて立ち上がる。
 鈴木「ところでどうしたんだい?こんなに遅く ― 」
 助手C「動物たちの世話ですよ。今週はぼくが当番なんです。それより先生こそどうし
  たんですか?こんなに遅くまで」
 鈴木「ん?うむ…家にいても落ち着かなくてね…」
 助手C「(見る)何かあったんですか?」
 鈴木「うむ…」
  イスに座る鈴木。
 鈴木「実は今日、製薬会社の人が来てね、オリザニンを製品化してもいいと言うんだ」
 助手C「えっ?!ホントですかっ?!」
 鈴木「うむ。しかし断わった」
 助手C「断わった?!(思わず立ち上がる)なんでですかっ?!」
 鈴木「製品化なんか、できるわけないじゃないか。まだ臨床試験が終わってないんだぞ」
 助手C「しかしっ!」
 鈴木「(見る)もし人には効かなかったらどうする?」
 助手C「え?」
 鈴木「いくら動物実験でいい結果を出しても、人にも効くとは限らない。もし人には効
  かなかったら、それこそ取り返しのつかないことになる」
 助手C「…」
 鈴木「だいち、医者の信用が得られなければ、いくら薬を出したって意味がないだろう」
 助手C「…」
 鈴木「まあ座りたまえ」
  助手C ― 座る。
 鈴木「それで今日、またいくつかの病院に当たってみたんだ」
 助手C「(見る)」
 鈴木「やっぱりどこも相手にしてくれなかったよ」
  助手C。
 鈴木「行った先々の病院を見るとさ、どこにも、もう手の施しようがないほどの脚気患
  者がいるんだ。悔しくてね…何だか無性に腹が立ってきて…」
 助手C「…」
 鈴木「何なのかね、あの態度は。医者のプライドなのかね。農学者なんか相手にできな
  いという…」
  憤然となる。
 鈴木「だけど、そういう問題じゃないだろうっ!?」
 助手C「…」
 鈴木「現実に今、こうしてる時にも、脚気で死んでいく人がいるんだっ。 ― そう考える
  といてもたってもいられなくなってねえ…」
 助手C「…」
 鈴木「(寂しそうに笑って)山田君、お茶でも飲むかい?」
  と立ち上がる。
 鈴木「酒のがいいかな?」
 助手C「(真剣な表情)先生 ― 、どこも相手にしてくれないなら、ぼくたちがやればい
  いじゃないですか」
 鈴木「(戸棚の中を捜しつつ)え?何をだい?」
 助手C「臨床試験 ― 。ぼくたち自身がやれば…」
 鈴木「(驚いたように見る。小さく笑って)それができないから苦労してるんじゃない
  か」
  鈴木、一升びんを見つける。
  しかし、助手C、真剣な表情を崩さない。
  何かを思いつめている ― 。

18.研究室(昼)
  研究を続けている鈴木と助手A、B。
  だが、助手Cの姿は見えない。
 鈴木「(作業を続けながら)最近、山田君の姿が見えないが、どうしたんだ?」
 助手A「なんだか体の調子が悪いとかで、ここんところ寝こんでるようですよ」
 鈴木「ん?病気か?」
 助手A「ええ」
 助手B「(冗談ぽく)まさか脚気じゃないだろうな?」
  鈴木、ドキッと見る。
 助手A「(Bに)オイオイ、いくら冗談でも言っていいことと悪いことがあるぞ。もし
  万が一にでもこの研究室から脚気患者が出てみろ、オレたちの今までの努力はその瞬
  間パーだ。先生に失礼じゃないか」
 助手B「(頭をかき)すいません、先生」
 助手A「おまえ、医学界の回し者じゃないのか?」
  ドッと笑いが起こる。
  温和に笑っている鈴木。
  そこに、ガラガラと戸が開き、助手C、入ってくる。
 助手A「あ、山田、今ちょうどおまえのうわさをな…」
  と歩み寄りかけた足が、フト止まる。
  助手C ― 顔面蒼白。今にも倒れそうに柱にすがりついている。
 助手C「(しぼり出すように)先生…オリザニンを…」
  と言いかけて助手C、フラフラッと倒れる。
 助手A「山田っ!(と、かけ寄る。そして振り向き)先生っ!」
  鈴木、助手B、心配そうにかけ寄る。

19.病院
  寝かされている助手C。
  時おり胸をグッと反らし、苦しそうに両手で何かをつかむような格好をする。
  その助手Cの心臓部を、看護婦がぬれタオルで冷やしている。
 医者「(鈴木たちに)脚気です」
  ビクッと見る鈴木たち。
 医者「それもかなり症状が進んでいて、いつ脚気衝心(心臓発作)を起こしてもおかし
  くないくらい、非常に危険な状態です」
  ガク然となる鈴木たち。
 医者「(小声になり)親類の方がいるのなら、いまのうちに連絡しておいた方が…」
 助手A「ウソだっ!!うちの研究室から脚気患者が出るわけがないっ!!」
  と、医者につかみかかる。
  ビックリする医者。
 鈴木「やめないかっ!」
 助手A「(振り向き)しかしっ」
 鈴木「山田君の症状が脚気であることは、我々が一番よくわかるはずだ…」
  見る助手A。
  見る助手B。
 鈴木「…」
  沈痛な一同 ― 。
  看護婦が振り向き、鈴木を見る。
 看護婦「呼んでますけど…」
  鈴木、見る。
  助手C、枕もとに来た鈴木に、必死にしゃべりかける。
 助手C「先生…オリザニンを…オリザニンをください…」
  沈痛に視線を落とす鈴木。
 助手C「先生…動物に効いたんです…人間にだって…それをぼくが…」
  鈴木、突然ハッとなる。
 鈴木「山田っ、おまえ、まさか…」
 「うっ」と胸を反らす助手C。
 助手C「(懸命に)先生…オリザニンを…オリザニンを…」
 鈴木「…(呆然と見ている)」
  が、パッと振り向き、助手たちに叫ぶ。
 鈴木「今すぐ研究室から、ありったけのオリザニンを持ってきてくれっ!」

20.病院・廊下(夜)
  心配そうに座っている鈴木と助手A、B。
  医者がブツブツ文句を言っている。
 医者「あんな得たいの知れないものを飲まして…患者にもしものことがあったら、あな
  たの責任ですよっ!」
  鈴木 ― 無言。
 医者「えっ!聞いてるんですかっ!」
  鈴木。
 医者「まあ、どっちみち、あそこまで症状が進むと助かる見込みはほとんどないですけ
  どねっ!(と見る)」
  鈴木、あくまで無言。
 医者「(怒り出す)だいだいアンタ、医者の資格、持ってないんでしょう?!あんなん
  で脚気が治ったら、ノーベル賞もんですよっ!」
  鈴木 ― 。
  医者、怒りに震えてくるが ― 憤然として去る。
  あくまで無言の一同。
  夜は更けていき ―

21.朝

22.病室
  驚嘆している医者の顔。
  その顔が振り向き、
 医者「奇跡だっ!」
  入ってきたばかりの鈴木たち、見る。
 医者「信じられない…」
 鈴木「どうしたんですかっ」
 医者「良くなってるんですよっ!全く…良くなってるんですっ!」
  鈴木。
  ― つかつかと入っていく。
  助手C ― 上半身を起こしている。
  鈴木。
 助手C「(明るく)先生、オリザニンは、人にも効くみたいですよ」
 鈴木「…」
  何か言おうとするが、熱いものがこみ上げてきて、言葉が出てこない。
  鈴木 ― 。

23.朝日に輝く病院・外景
  窓越しに鈴木たちの姿も見える。
  その上空 ― 澄みきった青空。
  そこに ― 、
 N「翌明治44年(1911年)、三共製薬から脚気の特効薬として、オリザニンが発
  売される。
   が、脚気による死者はいっこうに減らなかった。医学会が、がん強に反発したため
  である。
   大正12年、脚気による死者は二万七千人を数え、そのピークを迎える」

24.偉そうにしゃべっている医学者たち
 N「鈴木の研究が認められるようになるのは、十年後、欧米でビタミンの研究が盛んに
  なってからであった」

25.精力的な研究を続けている鈴木と助手たち
 N「1929年、エイクマン(オランダ)とホプキンス(英)は、ビタミンの発見によ
  り、ノーベル賞を受賞した。
   が、鈴木の研究は今もって、海外では適正な評価を受けていない ― 」
  真剣な表情で研究を続ける鈴木たちの姿がアップになって ― 。


 (終)


解説


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