「栄光なき天才たち」

― 戦火に消されたノーベル賞 H・G・モーズリー ―

 作.伊藤智義


1.街角
 ― 第一次大戦下 イギリス ―
  そこここに志願兵募集のポスターが貼られている。
 N「自然科学関係のノーベル賞には、存命中の人だけを対象にするという規定がある。
  この規定のため、かつて、九分九厘手中にしていたこの最高の栄誉を逸した青年が
  いた」

2.ポスターのアップ
  (図)
  それを真剣に見つめている青年。
 ― ヘンリー・ジェフリース・モーズリー(27) ―
 N「彼は、誰からも認められた天才であった ― 」

3.野営地
 ― 1915年 夏 ―
  全員整列している一個大隊。
 ― イギリス陸軍第一軍第三八旅団 ―
 指揮官「いよいよ明日、我々は最大の激戦地ガリポリへと向かうわけだが、本日はそ
  れを前に、本国から視察団がみえている。代表して、科学顧問の一人、スミス博士
  にお話を伺おうと思う」
  兵士たち。
 博士A「(兵士たちを見渡しながら)皆さんはいよいよ前線へ向かわれるわけですが、
  我が大英帝国の興亡はまさに皆さんの双肩にかかっています。すべては…」
  と言って言葉が止まり、視線が釘付けになる。
  部隊の中に見えるモーズリーの姿。
  博士A、けげんな表情になり、つかつかとモーズリーの前に来る。
 博士A「…モーズリー君か?」
 モーズリー「お久し振りです、スミス博士」
 博士A「モーズリー君…どうして君がこんな所に…」
 モーズリー「工兵中尉として、ここの通信部隊の指揮をとっています」
 博士A「そんなことをきいてるんじゃない。どうして君が軍なんかに…ラザフォード
  博士はどうした?」
 モーズリー「先生は関係ありません。自分で志願しました」
 博士A「バカな…」
 指揮官「(来る)どうしました?博士。モーズリー中尉が何か…?」
  見る博士A。
  みんなが見ている。
  博士A、何を思ったのか、急に引き返していく。
 博士A「(指揮官に)申しわけないが急用ができたので失礼する」
 指揮官「え?」
  けげんそうな兵士たち。 ― ザワつく。
  モーズリー。

4.車を飛ばす博士A
 「なぜモーズリーを戦場に…取り返しのつかないことになるぞ」

5.回想
 ― 1年前 マンチェスター大学 ラザフォード研究室 ―
  訪ねて来ている博士A。
 博士A「ラザフォード博士。あなたの所にはどんな元素もたちどころに判明できると
  いう装置があるそうですね?」
  モーズリーを紹介するラザフォード(イギリス科学界の中心的人物。1908年に
  はノーベル賞も受賞している)。
 ラザフォード「紹介しますよ。スミスさん。ヘンリー・グェン・ジェフリース・モー
  ズリー君。その装置の発明者です」
 モーズリー「はじめまして」
 博士A「ほう、君か…。論文は拝見させてもらったよ。さっそくで何だが、これを調
  べてみてはくれんかね(と試料を出す)。これは私が20年間調べ続けてきて、ど
  うも未発見の72番元素だと思うんだが、確信がなくてね」
  受け取るモーズリー。
 モーズリー「いいですよ。少々お時間を下さい」
  出ていくモーズリー。

6.実験室
  測定しているモーズリー。
 N「当時の科学界は、メンデレーエフの周期律表の発見以来、世界中で未知元素発見
  競争が展開し、熱気を帯びている状況にあった。
   その頃いろいろな元素の特性X線スペクトルの研究を始めていたモーズリーはそ
  こから“原子番号”という概念を発見、その測定方法を見い出した」

7.周期律表
 N「このモーズリーの方法こそ、それまで不完全であった周期律表を完全なものとす
  るとともに、未知元素を発見する決定的な武器となるのであった」

8.ラザフォード研究室
  くつろいでいる博士Aとラザフォード。
 博士A「でもホントかね?私はまだ信じられんよ」
 ラザフォード「何がです?」
 博士A「“モーズリーの方法”だよ。もし論文通りだとすると、世界中の科学者の半
  分は失業してしまうぞ」
 ラザフォード「(笑って)失業ですか?こりゃいい。…まあ、失業までとはいかない
  までも、転職しなけりゃならんでしょうな。他の分野に」
 博士A「(ムッとくる)エラい自信だな」
 ラザフォード「モーズリーは本物ですよ。彼は将来間違いなくイギリスを、いや、世
  界を背負っていく科学者になります」
 博士A「ま、お手並み拝見といきましょう」
  そこにモーズリー入ってくる。
 博士A「あ、モーズリー君。ちょうど今、君の話をしてたところだよ。ま、座りたま
  え」
 モーズリー「あ、どうも(と腰をおろし)あ、コレ、お待たせしました」
  と博士Aに一枚のデータを差し出す。
 博士A「(けげんそうに受け取る)お待たせしましたって…?」
 モーズリー「結果が出たんですが…さきほどの試料の…」
 博士A「(ビックリ)なんだって!?まさか…私が20年かけてきたものだぞ」
  ニヤッとするラザフォード。
 ラザフォード「で、結果は?」
 モーズリー「残念ながらすべて既知の元素でした」
 博士A「(呆然)信じられん…私が20年かけてきた研究がわずか2時間で…」
  モーズリー。
 ラザフォード「(なぐさめるように)確実に一つ、時代が変わったんですよ、博士」
   *
 N「この後、モーズリーの研究を継承して、少なくとも二人の科学者がノーベル賞を
  受賞している。モーズリーの研究はまさに、時代を画するものであったのである」

9.ラザフォード研究室
  一転して荒れ果てている。
  すごいけん幕でやってくる軍服姿の博士A。
 博士A「ラザフォード博士!博士!!」
  部屋の隅でラザフォード、顔を上げる。
 ラザフォード「やあ、スミスさん、お久し振り」
 博士A「そんな所で、何をなさってるんです?」
 ラザフォード「試料の整理ですよ。いやあ若い人がみんな戦争に行ってしまってね…
  こんなことまで自分でやらなければならないんです。ハハハ…(自嘲気味に笑う)」
  活気を失い、ほこりをかぶっている研究室。
 博士A「…なぜです?博士。なぜ、有能な若者たちを戦場に送ったりしたんですか?
  私は前線部隊でモーズリーに会いましたよ」
 ラザフォード「えっ、モーズリーに!?(身を乗り出し)モーズリーは元気でしたか?」
 博士A「ええ元気でしたよ、まだね。でもどうして?」
 ラザフォード「そりゃ私だって止めましたよ。でもダメなんです。彼らは科学者であ
  る前にまず、一人の青年なんです。正義を信ずる純粋な…あまりに純粋な…」

10.イメージ
  志願兵募集のポスター。
 “諸君の国は諸君を必要としている”

11.研究室
 ラザフォード「…」
 博士A「…」
 ラザフォード「でも私だって、ただ手をこまねいて見ているばかりじゃない。手は打
  ってあるんです。もうすぐ配置替えでモーズリーは前線を離れることになっていま
  す」
 博士A「(見る。 ― 力なく首を振り)もう遅い」
 ラザフォード「(見る)」
 博士A「モーズリーの部隊は明日にもガリポリに向かってしまう」
 ラザフォード「(ビックリ)ガリポリへ!?」

12.ガリポリの地図
  (地図)
 N「予想に反しトルコがドイツ側に立って参戦したのに伴ない、イギリス海相チャー
  チルは強力なリーダーシップを発揮し、アジアとヨーロッパを隔てるダーダネルス
  海峡を突破するとともに、ガリポリ半島に75万の兵力を上陸させるという大胆な
  作戦を計画した」

13.ガリポリ上空
 N「四月、六月と二度にわたる失敗にもげずチャーチルは、三度八月作戦を強行しよ
  うとしていた。
   *
   ガリポリ半島こそ、当時の連合国軍兵士にとって、最も死に近い激戦地であった」

14.山中
 ― ガリポリ 八月九日 未明 ―
  道なき道を強行しているイギリス軍第三八旅団。
  みな疲れ果てている。
 「一体どこまで行くつもりだ?もうまる一昼夜、歩きづめじゃないか」
  などのささやきが聞える。
  そこにモーズリーの遺書がかぶるように、
 「 これは私、すなわち目下英軍地中海遠征軍と共に作戦中の工兵中尉ヘンリー・グ
  ェン・ジェフリース・モーズリーの遺言である。私は私のすべての動産・不動産お
  よびそれが将来生じる利子のすべてをロンドンの王立協会に、病理学、物理学、生
  理学、化学、または自然科学の他の分野の実験的研究の促進に用いることを条件に、
  贈る。
   1915年6月27日、みずから作製
          ヘンリー・G・J・モーズリー」
  モーズリーが率いる通信部隊。
  兵士A、フラフラとよろける。
 モーズリー「(支えて)大丈夫か?」
 兵士A「大丈夫です」
 モーズリー「オレの肩につかまれ」
 兵士A「大丈夫です、中尉」
  まだあどけない顔が残っている兵士A。
  汗をぬぐって再び歩きだす。
  いつ果てるともしれない強行軍。
 兵士A「(ポツリと)こんな時になんですけど…ぼくは中尉の下で働けて本当に良か
  ったと思ってます」
  見るモーズリー。
 兵士A「やっぱり中尉はただ者じゃなかったんですね」
 モーズリー「え?」
 兵士A「この間の視察団ですよ。中尉の顔を見たとたん、ビックリしちゃって…」
 モーズリー「ああ、あれか…あれは…」
 兵士B「ぼくは知ってましたよ、中尉のこと。中尉はマンチェスター大学のラザフォ
  ードの所で研究をしていたんでしょう?」
  見るモーズリー。
 兵士B「ぼくはケンブリッジの学生なんです。いや、正確に言えば、だったんですが
  …」
 モーズリー「ほう、そりゃ初耳だな」
 兵士B「(笑って)ええ。今でもぼくは覚えてますよ。うちの先生がひどく興奮して
  いたのを。マンチェスターの若者がどえらい研究成果を発表したって」
 兵士A「(尊敬のまなざし)へえ、それが中尉なわけですか…どうりで他の人たちと
  は雰囲気が違うと思った」
 兵士B「ぼくも初めてわかった時は驚きましたよ。どうしてこんな人がこんな所にい
  るのかって…」
 モーズリー「…(話題を変えるように)それで君、大学は?」
 兵士B「やめました。志願するために」
  モーズリー。
 兵士B「戦争が終わったら、また大学に戻ろうと思っています。 ― (自嘲気味に笑
  って)最近はそんなことばかり考えています。戦争が終わったら、あれもしようこ
  れもしよう…なんかやり残したことがたくさんあるように思えて…」
 モーズリー「…」
 兵士B「今度はケンブリッジじゃなくてマンチェスターにしようかな。そうしたらぼ
  くを、助手として使ってくれますか?」
 モーズリー「もちろん。君が希望するならね」
 兵士A「あ、ぼくもついでに…」
 兵士B「おまえ、ついてこれるのか?」
 兵士A「え…?」
 モーズリー「いや、かまわんよ。 ― それじゃ戦争が終わったら、三人でノーベル賞
  でもめざすかい?」
 兵士B「ホントですか?約束ですよ」
 モーズリー「うん」
  そこに指揮官、来る。
 指揮官「モーズリー中尉。どうやら我々の部隊ははぐれてしまったらしい。他の部隊
  と連絡をとってみてくれないか?」
 モーズリー「はい大佐」
  通信機材を準備する通信部隊。
  そこに兵士1、来る。
 兵士1「大佐、もうすぐそこで林から抜けられます。草原に出られるようです」
 指揮官「本当か?」
 兵士1「はい」
 指揮官「(ホッとして、モーズリーに)連絡はあとだ」
  再び進む一隊。

15.草原
  林から出てくる一隊。
 N「しかし密林を抜け出した彼らを待ち受けていたのは…」
  朝もやの中、目の前に広がる要塞の数々。
 指揮官「あれは何だ?本隊に追いついたのか?」
 兵士2「ち、違います!トルコ軍ですっ!」
  砲撃が飛んでくる。
 「危ない!」
  指揮官をかばうように地に伏せるモーズリー。
  激しい攻撃が始まる。
 指揮官「モーズリー中尉!本隊に連絡を!」

16.海軍省
  すごい勢いで抗議に来ているラザフォード。
 ラザフォード「今すぐガリポリ進攻作戦の中止を!さもないと大変なことになる!」
  ビックリして見る係員。
 係員「な、なんですか、あなたは?」
 ラザフォード「君じゃ話にならない。チャーチルに、大臣に会わせてくれ。私はアー
  ネスト・ラザフォードだ」
 係員「え?(と見る)少々お待ち下さい」

17.大臣室
 チャーチル「なに、ラザフォード博士が?フン、科学者が何の用だ。丁重にお帰り願
  え」
 係員「はい」
  とそこにラザフォード、押し入ってくる。
 チャーチル「(見る)博士が私に何のご用ですかな?軍への協力の申し入れですか?」
 ラザフォード「(懸命に)今すぐ、ガリポリ侵攻作戦を中止してもらいたい」
 チャーチル「ん?…何をおっしゃるかと思えば…」
 ラザフォード「無謀だ。無謀すぎる。あなたはいったい何人の犠牲を出せば気が済む
  んだ!」
 チャーチル「(ムッとくる)あなたが口出す事柄じゃないっ」
 ラザフォード「(見る)」
 チャーチル「…(抑えて)今までの犠牲に報いるためにも、なんとしてもガリポリは
  とらねばならんのですよ」
 ラザフォード「勝算はあるんですか?」
 チャーチル「当り前だ!いくら博士といえども、そういう言動は許されませんよ」
  とにらむチャーチル。
  にらみ返すラザフォード。
  ― ガックリ肩を落とす。
 ラザフォード「あなたは何人、私の宝を奪えば気が済むんだ…」
 チャーチル「学者に何がわかる。戦争をしているのは我々なんだ。いいですか?実際
  に戦争をしているのは我々…」
 声「(悲痛にかぶる)ダメです!連絡とれませんっ!」

18.ガリポリ
  トルコ軍に囲まれ、孤立無援のイギリス軍第三八旅団。
  激しく銃弾が飛びかっている。
  くぼ地に入っているモーズリーの通信部隊。
  無線で連絡をとろうとしている兵士Aとモーズリー。
 モーズリー「焦るな。落ち着いて何度も繰り返すんだ」
  必死に応戦している兵士B。
 兵士B「中尉、援軍はまだですかっ!このままでは全滅ですっ」
 モーズリー「がんばるんだ、ギルバート。もうすぐ連絡がつく」
 兵士A「ダメです。いくらやっても…」
 モーズリー「大丈夫。もう一度…」
  兵士B、引き金を引くが。カチッカチッというばかりで弾が出ない。
 兵士B「(叫ぶ)中尉!弾が…」
  と振り返った瞬間、肩をやられるB。
 モーズリー「ギルバート!」
  思わず腰を浮かすモーズリー。
 兵士A「(ハッとなる)中尉!立っちゃダメだ!」

19.銃口のワンショット
  火を吹く。

20.モーズリー
  一発の弾丸が、モーズリーの頭を、打ち抜く。
 兵士A・B「中尉っ!」
  宙を舞うモーズリー。
  ― 即死。
 N「ガリポリ侵攻作戦は、ついに五万五千人の戦死者を数え、連合軍側にとって第一
  次大戦史上最大の失敗に終わる」
  その姿ロングになり、
 N「この作戦の最大の責任者チャーチルは、この失敗により一時失脚するが、以後、
  “この失敗を良い教訓”にして、栄光の道をひた走っていく。おまけに1953年
  にはノーベル文学賞まで受賞するのである」

21.いつ果てるともなく銃声が響き続ける戦場の全景に ―
 N「一方、ノーベル賞は絶対確実と言われていた青年モーズリーは、その栄誉すら与
  えられず、歴史の彼方に埋もれていく」

22.イメージ
  モーズリー。
 N「モーズリーの死は世界中を駆けめぐり、敵国ドイツにおいてさえも、心からの弔
  文が述べられたという ― 」


 (終)


解説


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