「栄光なき天才たち」
― 鈴木商店・世界への挑戦 C 一瞬の光芒 ―
作.伊藤智義
1.鈴木商店
N「大戦景気に乗って、ついに三井、三菱に並ぶ一大財閥(コンツェルン)を形成す
るに到った鈴木商店。だが、あまりに急激に膨れ上がったため、終戦後の反動不況
の到来とともに、身動きがとれず、経営は次第に悪化。
鈴木への融資を一手に引き受けていた台湾銀行(特殊銀行の一つ)は、ついに監
督員を鈴木商店へ派遣し、業務監督に乗り出した」
2.台湾銀行
台銀A「(説明している)我々台銀側の指導により鈴木商店は株式会社(資本金80
00万円)に改組。また関連会社の持株会社である鈴木合名を分離しました」
聞いている台銀首脳陣。
台銀A「関連子会社総数49。これらへの総投資額は、約10億」
「10億…」
「ほう」
どよめきが起こる。
N「これは当時の日銀券発行高に匹敵する巨額である」
台銀B「さすがは“日本一の煙突男”金子直吉だ。よくもそんなに事業を起こせたも
んだな」
台銀A「(続ける)子会社の中には豊年製油をはじめとして優良なものも多く、また
鈴木商店の貿易部門は今だ健在で極めて優秀です。したがって、不良会社を解散、
合併、売却等、うまく整理すれば、鈴木の立ち直りは十分可能です。ただ…(顔が
曇る)」
台銀C「ただ?」
頭取「金子か?」
台銀A「はい。金子直吉が総帥の座にいる限り、鈴木は絶望です。金子はこの期に及
んでもなお、事業を起こそうという男ですから」
「ウーム…」
と一同。
頭取「よし、ロンドンから高畑を呼び戻そう」
3.神戸港
― 大正15年 ―
下船してくる高畑。
出迎える金子。
金子「非常に心配かけたな。いろいろ儲けてくれたのに残念に思うが…」
高畑「ずい分大変なようですね?」
金子「いや、ワシは八八艦隊で儲けるつもりだったんだ。保険会社も三つ持ってるか
ら、そこで…」
*
N「大戦後の鈴木は不運の連続だった。やることなすこと、ことごとく裏目に出た」
4.神戸製鋼所
N「例えば、神戸製鋼所は、海軍中将を社長に迎え、八八艦隊の建造で危機を乗り切
ろうとしたが、軍縮会議(大正10年)はその目論見(もくろみ)を潰した」
5.三つの船会社とKライン
N「また、川崎汽船、川崎造船所船舶部、国際汽船三社共営のもとに発足した“Kラ
イン”は60隻50万トンを超える世界有数の大海運業者となっていったが、用船
料は予想(トン当たり10円)を大きく下回り、3円を割り、大正7年には900
円にまではね上がった船価も、ついに100円にまで暴落していた」
6.洋上を行く大船団
N「洋上を彷徨し続ける大船団。それはまさにこの時の鈴木商店を象徴する姿であっ
た」
7.鈴木商店
帳簿に目を通している高畑。
高畑「こりゃひどいな。ここまでひどいとは…」
永井「以前は事業を拡大するための前向きの借金だったが、今じゃ借金の利子を返す
ための借金。借金が借金を呼び、アッという間にこの状況だ。貿易の収益もすべて
金利にくわれ、赤字が累積し始めている」
N「永井幸太郎 ― 神戸高商時代からの高畑の同期。西川なきあと、支配人をも務め
た若手実力者の一人である」
永井「今や台銀の頭取だけが鈴木の死命を握っている」
高畑「…」
8.同・重役室A
金子「なんじゃコレは?」
高畑がレポートを提出している。
高畑「鈴木関連企業の整理案です」
金子「事業を切れというのか?」
高畑「ここは思い切った荒治療が必要です。今のままでは…」
金子「バカを申せ!」
高畑「しかし、今のように、家の半分が焼けているのに、バケツの水で消そうという
状態では…」
金子「おまえに何がわかる」
高畑「しかしですねっ!」
にらみ合う二人。
N「金子から見れば高畑はまだまだ小僧であり、高畑にとってみれば金子は、相変わ
らず世界一のガンコ者であった」
9.社長室
「金子を辞めさせる!?」
驚いて見る鈴木の若主人二代目鈴木岩治郎(55)。
他に金子や高畑ら、役員がそろっている。
台銀A「丁稚上がりの旧式経営では難関は切り抜けられない。ここは金子さんを勇退
させて、高畑らを中心に近代経営に切り替えるんです」
岩治郎「金子は鈴木の功労者だ。金子の運命は鈴木の運命。金子を辞めさせるわけに
は…」
台銀A「これは台銀側の決定です。あなた方の意見を聞くつもりはありません」
岩治郎「(見る)な…しかしっ!」
金子「岩次郎はん、ええです」
立ち上がる金子。
金子「台銀には逆らえん」
出ていく。
岩次郎「金子はん!」
一同。
高畑「…」
台銀A「(一同に)いいですね、鈴木は今日から生まれ変わるのです」
10.同・廊下
去っていく金子。
N「金子は辞表を提出した。
しかし ― 」
11.鈴木商店
朝。
「お早よう」
と入ってくる金子。
驚いて見る社員たち。
が、あわてて
「お、お早ようございます」
N「辞表を提出したものの金子は毎日のように出社してきた」
12.同・重役室A
自分のイスに座る金子 ― 何事もなかったかのように仕事を始める。
机の上にある西川の写真。
フト目を止める金子。
写真の中の西川。
金子「文蔵はん。ワシは辞めんよ。ワシがいなくて何ができる。鈴木家のためにワシ
とあんたが育てたこの店、必ずワシが守ってみせる」
13.同・重役室B
渋い顔の永井と高畑。
永井「金子さんは、別に私利私欲のために居座っているわけではないんだが…」
高畑「だからよけいに始末が悪いんだ。鈴木を救えるのは自分だけだと信じている。
自分一人で鈴木を背負おうとしている…」
思わずタメ息をつく二人。
N「金子がいる限り鈴木は絶望である。高畑は思うように身動きがとれない」
*
N「やがて危機は台銀に移る」
14.台銀
集まっている首脳陣。
台銀A「昭和元年現在における台銀の貸出高はついに5億円を超え、そのうちの3億
6千万円は鈴木関係であります。逆に預金高は9千300万円に激減して預貸率は
極度に悪化。このままズルズル鈴木に引きずられていけば、この台銀こそが潰れて
しまいます」
*
N「台銀と鈴木の関係は遠く金子が台湾開発に乗り出した頃から始まる。しかし戦中
戦後の活躍時代(大正9年まで)には“普通営業関係”であった。それが巨額貸出
へと鋭角化したのは大正10年からのことであった」
15.資料(『総合商社の源流鈴木商店』p180より)
図。
N「大正10年=1億円突破、12年=2億円突破、14年3億円突破…
鈴木に引きずられて次第に経営が悪化していく台銀は、日々のやりくりをコール
マネーに頼るようになった」
16.コール市場(の説明)
簡単に言えば、金融機関相互で短期資金の貸し借りが行われる市場のことである。
N「金融緩慢な当時、あまりコールの取り手もない中で、台銀だけがいつもコールを
取った。コール取引高は2億4千万円に達し、まさに命綱となっていた」
17.イメージ
鈴木商店に居座る金子。
N「金子の唯一の、そして最大の弱点、金融感覚の甘さが、鈴木を、そして台銀を、
危機におとしいれていく」
18.台銀
台銀B「そろそろ鈴木との関係を清算する時期に来てるのかもしれんな」
台銀C「(見る)どうやって?」
台銀B「うちが抱えている震災手形を政府に肩代わりしてもらって、日銀からの融資
をとりつける」
*
N「当時の台銀から鈴木への貸出しはその大部分が震災手形として残っていた。震災
手形は、関東大震災(大正12年)の際、金子が得意の政治力を発揮して得た融資
であった」
*
頭取「震災手形整理法案か…それに頼るしかないんだな…」
思い思いにうなずく一同。
N「震災手形整理法案 ― それは、政府救済への道を開く、鈴木にとっても最後の望
みであった」
19.首相私邸
首相若槻礼次郎、振り向く。
「金子さんが?」
男1「はい。お会いになりたいそうですが」
若槻「よし、わかった。すぐ行く」
が、
フト思い直して、
若槻「いや、やめておこう」
男1「(見る)」
若槻「今はいないと言ってくれ」
男1「はい」
20.同・表
男1「すみませんが、先生は今…」
金子。
N「金子は最後の切り札、政治力にすべてを託した。しかしすでにこの時、鈴木の衰
退とともに金子の政治力もかすんでいた。
それでも金子は政治家回りを続けた。鈴木商店を一人で背負って奔走する」
21.浜口雄幸邸
男2「先生は今…」
断られる金子。
22.後藤新平邸
男3「あいにくですが…」
断られる金子。
金子、けげんな表情になる。
金子「ワシは“鈴木商店の”、金子だが…」
男3「はい、存知ておりますが」
金子「それでも会えんと?」
男3「あいにくですが…」
金子「…」
男3「失礼します」
門を閉める男3。
金子「オイ、ちょっと待て」
門、ガチャンと閉まる。
金子「…」
23.国会
N「議会は震災手形整理法案をめぐって激しく紛糾していた。受けて立つのは金子と
関係が深い岩槻憲政会内閣。攻撃するのは政友会。その背後には三井があると言わ
れた」
議員1「政府は“あの”鈴木を救済するというのかっ!正体をよく見てみろ、相手は
不良分子の結晶ではないかっ!」
「そうだ!」「そうだ!」
激しくぶつかり合う与党と野党。
24.字幕
N「“あの鈴木を救済するのか” ― 世論は鈴木に否定的だった」
25.さまよい続ける金子直吉
その姿に、鈴木批判の新聞記事、次々にかぶる。
金子。
― なぜじゃ ―
その顔に怒りがこみ上げてくる。
― 工商立国を推進し、“煙突男”と言われるまでに各種近代工業の導入につとめた。
国家がやらねばならぬことを、鈴木がやってきた。大戦中には15億の外資を海外
から集め、日本を債務国から債権国へと導いた。いわば国家事業を代行して、その
ために傷ついた鈴木じゃ。それを…。一時の窮状さえも救えんというのか ―
26.井上準之助邸
来る金子。
男4「すみませんが、先生は…」
ギロッとにらむ金子。
27.同・二階の一室
去っていく金子の後ろ姿を、窓越しに見ている井上準之助。
井上「(思案顔)うーむ…どうしたものかな…」
金子の小さな後ろ姿。
それが突然立ち止まり、
クルッと振り向く。
井上「?」
28.金子
怒り爆発。
「なぜじゃあ!」
*
井上「…」
N「議会から、井上準之助を会長にした台湾銀行調査会が調査にのりだす。
そして ― 」
29.台銀
首脳陣。
頭取「本当か?」
台銀A「ほぼ間違いありません。震災手形法は成立される見通しです」
「ほう」
安堵の声がもれる。
台銀B「これで台銀は救われる」
台銀A「ただ、政友会の反対にあって、若干成立時期がずれ込みそうですが…」
頭取「まあ、それはしかたがない。しばらくはコールでつないでいけばいいことだ」
30.鈴木商店
高畑と永井。
永井「震災手形法成立の見通しか…。金子さんの底力かな?」
高畑「金子さんも“奇跡”の人だからな。底知れないものがあるのかもしれん」
31.同・重役室A
金子。
久しぶりにうまそうにお茶をすすっている。
32.同・重役室B
高畑「しかし現実にはまだ、鈴木の政府救済が正式に決まったわけじゃない」
うなずく永井。
高畑「金子さんが金子さんなりに頑張っている今、我々もベストの方法を取らねばな
らない。そうすれば道は開けるはずだ」
永井「うむ」
*
N「しかし、最後に三井が立ちはだかった」
33.三井銀行
頭取池田成彬。
N「震災手形法案が付帯決議つきで貴族院を通過した昭和2年3月23日、コール市
場への最大の出し手である三井銀行は、一挙に3千万円という大金を引揚げた」
34.台銀
一転して、苦渋に満ちた首脳陣。
N「法案成立までコールだけに頼らねばならなかった台銀は、たちまちやり繰りがつ
かなくなった」
頭取「(しぼり出すように)しかたがない…」
N「3月25日、台銀は遂に鈴木を見放した」
35.鈴木商店
呆然と立ち尽くす社員たち。
永井。
高畑 ― 。
そこに新聞記事、かぶって、
N「4月2日、鈴木商店は倒産した」
36.海辺
ぼんやり座っている金子。
まわりで子供たちが遊んでいる。
ただぼんやり座っている金子。
N「この倒産を引き金に、日本は金融恐慌に突入。政財界は大混乱に陥る」
37.新聞見出し
“4月17日 若槻内閣倒壊”
“4月18日 台銀休業”
“4月 ○日 全国銀行一斉休業”
38.銀行
詰めかける多くの人々。
「金返せーっ!」
「オレの金をっ!」
N「この恐慌を通して、中小金融は三井、三菱、住友、安田、第一の五大銀行に吸収、
支配され、鈴木商店の崩壊と前後して、既成財閥は莫大な力をたくわえ込んでいく」
39.海辺
ぼんやり海を見ている金子。
その無表情の顔に ― 。
スーッと涙が一筋伝わる。
「ウっ、ウっ」と声を押し殺すように泣き出す金子。
*
回りでは子供たちのキャッキャッした歓声だけが響き渡って、
N「ここに“三井物産=鈴木商店”の第一期総合商社黄金時代は終わりを告げ、以後、
“三井物産=三菱商事”の時代へと移っていくのである ― 」
*
40.小さなオフィス
― 10ヶ月後 ―
創業の準備をしている高畑たち。
社員1「この机、どこに置きます?」
高畑「そうだな、ここに並べるか」
社員と一緒になって机を運んでくる永井。
永井「再起第一歩だな」
高畑「ああ。鈴木は潰れても、社員は残る。“世界のスズキ”を通して世界中を相手
に戦ってきた男たちが ― 」
永井「やれるかな?オレたちは」
力強くうなずく高畑。
N「昭和3年2月、高畑は、永井らとともに貿易商社日商を設立。資本金100万円、
社員40人足らずの小会社。折からの激しい不景気に加え、旧鈴木商店の負債を多
く抱え込んで『3年保てば、逆立ちもの』と言われた」
高畑「新しい門出を祝って」
一同「乾杯!」
ささやかながら乾杯する社員たち ― その面々。
N「しかしわずか40人とはいえ、選りすぐった鈴木の精鋭だけにその活躍はめざま
しく、以後、急速に発展していく」
41.ビル(現代)
N「この日商こそ、現在の六大商社の一つ、日商岩井である(昭和43年岩井産業と
合併)」
*
N「一方、金子は ― 」
42.戦時下の街
年老いた金子がブツブツつぶやきながら歩いてくる。
金子「少し金が欲しいのう」
すれ違った男がハッと振り返る。
男「金子さん」
金子「(見る)」
男「私ですよ、鈴木商店の時、外国通信部でお世話になった木村です」
金子「ああ…」
*
男「今、お金に困ってるんですか?」
金子「(見る)あるのか?」
男「5千円ぐらいなら」
金子「10万両ほど欲しい」
男「…」
金子「(笑って)実はいま、石炭液化について考えている。その方面に使いたいんじ
ゃ」
N「金子は最後まで“煙突男”であった。
*
昭和19年2月、鈴木再興を最後まで思い続けながら、金子直吉はこの世を去っ
た。79歳。最終肩書き、大陽産業相談役」
43.神戸の空に ―
N「希代の事業家金子直吉。鈴木は金子によって興り、金子によって潰れた。しかし、
金子によってまかれた工業の芽は、それ以後の日本を支える原動力となるのである」
44.神戸製鋼・帝人・石川島播磨重工業・豊年製油など各社(現在)に、
金子、
西川、
高畑、
の三人がかぶって、
N「すい星のように現れ、そして消えていった鈴木商店。それはまさに日本経済史上、
最もダイナミックな会社であった ― 」
(終)
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