「栄光なき天才たち」

― 白球に賭けた若者たち・東大野球部 ―

 作.伊藤智義


1.球場
  超満員の観客。
 ― 昭和21年6月13日 後楽園球場
    東京六大学リーグ戦
     東大対慶応 ―
 N「4年ぶりに復活した戦後最初の東京六大学野球は、食糧難などから一回戦総当た
  り制で行われた。神宮球場の使用不許可や選手不足など数々の困難を抱えて開幕し
  たリーグ戦だったが、終盤、かつてない異様な盛り上がりを見せていた ― 」

2.放送席
 アナ「さあいよいよ始まります。注目の慶東戦!全勝同志の対決は事実上の優勝決定
  戦っ!東大の初優勝なるかっ!?ここ後楽園球場は奇跡を一目見ようと超満員です
  っ!!」

3.場外
  あふれている人々。
  汗だくの係員。
 係員「もう入場券はありませんっ。押さないで下さいっ!もう入れませんっ」

4.スタンド
 観客A「ここまで東大は明治、早稲田、立教、法政と連破して4戦全勝だけど、いく
  らなんでも慶応にはかなわないだろう」
 観客B「何をっ!」
 観客A「だって慶応は別当、大島、河内とそろってるんだぜ。ここまで早慶戦を残し
  て3戦全勝。しかも東大と違って圧倒的な強さだ」
 観客B「たしかに東大が優勝することは、日本がアメリカに勝つことより難しいかも
  しれねえ。だけどよォ、強いヤツが勝ったって何も面白くねえじゃねえか」
 観客A「…」
 観客B「(ちょっとテレたように)奇跡ってよォ、あるんじゃねえかな」

5.スコア・ボード
  (先 攻)[一塁側]   (後 攻)[三塁側]
   東 大         慶 応
  9 伊佐岡       7 矢野
  5 立松        4 増山
  8 山崎(喜)     6 河内 (→毎日)
  1 山崎(諭)     8 別当 (→阪神)
  4 西村        1 大島 (→中日)
  6 井波        2 加藤 (→中日)
  7 立花        9 久保木
  2 堀越        3 管瀬
  3 八百        5 馬庭
 
6.マウンド
  慶応のエース大島が投球練習をしている。
  ズバン、ズバンと快速球が決まる。
   *
  見ている東大ナイン。
 山崎喜暉(よしてる)(センター)「速いな」
 山崎諭(さとる)(ピッチャー)「さすが球界No.1ピッチャーだな」
  部員の一人が、
 「おい、見ろよ。うちの応援席にのぼりが上がってるぜ」
 「え」と見る部員たち。
   *
  一塁側スタンド。
  超満員の観客の間から次々と白いのぼりが上がる。
 N「当時、東大には応援団がなかった。それがこの一戦を契機に、応援団が誕生する
  ことになるのである」
   *
  感慨深げに見ているナイン。
 喜暉「優勝したいな。梅原のためにも…(見る)アイツのおかげでここまでこれたん
  だからな」
 諭「ああ、優勝しよう」

7.青空に
  試合開始のサイレンが鳴って ―

8.病室
  ベッドに横になっている若者 ― 梅原。
  ボンヤリ窓から青空をながめている。
  ふと時計を見ると ― 2時半。
 梅原「2時半か…そろそろ始まる頃だな…」
  そこに看護婦、薬を持って入ってくる。
 看護婦「梅原さん。後楽園球場は満員だそうですよ」
 梅原「始まったんですか?」
 看護婦「みたいですよ」
 梅原「…」
  ― 突然ガバッとはね起きる。
  ビックリして見る看護婦。
 看護婦「どうしたんですか?」
 梅原「こうしちゃいられん。やっぱり行かなきゃ」
 看護婦「行くって、どこへ?」
 梅原「後楽園ですよ」
 看護婦「無茶です、そんな」
 梅原「しかし、行かなければ後悔する」
 看護婦「でも今から行ったって…」
 梅原「いいんです、最後の瞬間さえ見届けられれば…」
  看護婦。
 梅原「お願いです。行かせて下さい」
 看護婦「…」

9.病院・表
  ビッコを引きながら出てくる梅原。
 N「この時の主力山崎喜暉、山崎諭と、この梅原は、ともに昭和17年の入学生であ
  った」

10.昭和17年当時の六大学リーグの数カット
 N「入学してすぐ、3人はそろってリーグ戦に出場した」
  豪快なフォームで投げる諭(ピッチャー)。
  バックホームする喜暉(レフト)。
  懸命なブロック、梅原(キャッチャー)。
 N「が、それもつかの間、戦局の悪化とともに野球は禁止、リーグは解散に追い込ま
  れる」

11.神宮外苑陸上競技場
 N「そして翌18年10月23日、学徒出陣」
  雨の中、整然と整列している丸坊主の学生たち。
  その中にいる諭、喜暉、そして梅原。
 N「彼らは学生のまま戦地へと散っていった」

12.焼け野原と化した東京
 N「そして敗戦 ― 」

13.焼け野原にポッカリ浮かぶ東大野球部合宿所 ― 一誠寮。
  ボロボロの復員服を着た喜暉、感慨深げに見上げる。
  喜暉「へえ、ここは無事か…」

14.同・中
 「こんにちは」と入ってくる喜暉。
  が、人気がない。
 喜暉「誰もいないんですか?」
  キョロキョロする喜暉。
  ふと目が止まる。
 “一誠寮”の額。
  正確には“一せい(誠の字にノが書かれていない)寮”と書かれている。

15.回想
  額に文字を書いている東大総長長与又郎。
  じっと見る部員たち。
 部員A「あれ?総長、“誠”という字が違うんじゃありませんか?“ノ”の字が足り
  ません」
 総長「(ニヤッとして)“ノ”の字は東大が優勝した時に入れるよ」

16.一誠寮
 喜暉「(フッと思わず笑みがもれる)伝統の額もまだ無事か…」
 声「その“ノ”の字は、オレたちの手で入れてみせようじゃないか」
  ドキッと振り向く喜暉。
  梅原が立っている。
 梅原「無事だったんだな、ヨシテル」
  喜暉の顔 ― 驚きから歓喜へと、みるみる変わってくる。
 喜暉「梅原、おまえこそっ!」
   *
 N「ここから東大野球部は、再建の第一歩を歩み出す。
   がしかし、すでにこの時、梅原はもう野球のできる体ではなかったという(脊椎
  カリエス) ― 」

17.後楽園球場
  喜暉、カーンと打つ。が、
 アナ「3番の山崎喜暉も平凡なライトフライ」
  ライト、とる。
 アナ「1回表、東大は快腕大島の前になすすべなく三者凡退」
  大島、汗一つかかず涼しい顔で降りていく。
  1塁途中で立ち止まっている山崎喜暉、自分の両手を見つめ、
 ― まだしびれてる。スゴイ球威だ… ―
  喜暉の肩を諭がポンと叩く。
 諭「なあに、こっちも0点に抑えればおんなじさ(ニヤッと笑う)」
   *
  マウンドに上がる諭。
 アナの声「さあ、注目の人、山崎諭、今マウンドに上がりましたっ!東大が優勝する
  もしないも、すべてこの人の右腕にかかっていると言っても過言ではありませんっ」
 「サトルーっ!」の声がかかる。
  投球練習を始める諭。
  豪速球がズバンと決まる。
   *
 「ほう…」
  驚いたように見る慶応ナイン。
 大島「なかなか速いじゃないか…」
 別当「うん」
   *
 球審「プレイボール!」
   *
  諭、感慨深げに一つ息をつく。
 ― 夢のようだ。今オレは大観衆のマウンドに立っている。そして野球をしている…
   ―
  諭、大きく振りかぶって。
 声「(かぶる)えっ!?サトルが生きてるっ!?」

18.回想(再会したばかりの喜暉と梅原)
 梅原「野球部を再建するのにエースがいなくちゃ話にならんだろ」
 喜暉「しかしサトルは確か特攻隊で…」
 梅原「無事だったらしい。今、郷里の静岡で、木を切っているといううわさをきいた」
 喜暉「木を?」
 梅原「うん」

19.裏山
 ― 静岡・掛川 ―
  軍刀で無心に木を切っている諭。
 N「山崎諭は海軍特別攻撃隊回天(人間魚雷)の一員だった。
   死ぬことを義務づけられた男の終戦。生きている喜びと表現しがたい虚脱感。こ
  の時の諭は頭の中が空っぽだったという」
  ただ無心に木を切っている諭。
  そこに母親、来る。
 母親「サトル、東京から電報だよ」
  見るサトル。
  無表情に受け取り、開く。
 電報「マタヤキュウヲデキルヒガキタ マッテイル」
  見ているサトル。
 “ヤキュウ”の4文字。
  サトル。
  ― その瞳から突然、
  ドッと涙があふれてくる。
  ビックリして見る母親。
  サトル ― 。
  その光景がロングになって ―

20.一誠寮・前
  出迎えに出ている喜暉と梅原。
  大きなリュックを背負った男がゆっくり現れる ― 諭。
  無言で再会する3人。
  諭 ― リュックをおろし、
 諭「米と…ミソだ」
  涙をこらえるようにうなずく喜暉と梅原。
   *
 N「こうして、野球部の土台は固まった」

21.大学・正門
 “飯より野球の好きな者、集まれっ!”
  のポスターを貼る梅原。
 喜暉「今時、野球やるヤツなんているかなあ」
 梅原「(キッパリ)いるさ。必ず」

22.グランド
  続々と集まってくる学生たち。
  満足そうな梅原、そして喜暉と諭。
 N「しかし人数はそろったものの東大野球部はとにかく弱かった。もともと弱かった
  ものが戦争でガタガタにされたのだから、弱いのは当り前だった。
   そこで彼らは考えた。徹底して基礎を身につけようと ― 」
   *
  地をはうような猛烈なゴロ。
  新入部員、グラブに当てながら、はじく。
 「ホラ、もういっちょう!」
  新入部員たちに激しいノックをくり返す喜暉と諭、そして梅原。
  地面にはいつくばるようにボールを追う部員たち。
  ノックしている者たち。
  そこにかぶって、
 ― 素質がなくても守備は鍛えればいくらでもうまくなる。オレたちが勝つにはこれ
  しかない。練習しか… ―
 N「当時彼らはよく『何故、あんなに消耗することをこの食べ物のない時にするんで
  すか?』と聞かれたという。しかし彼らは、野球をやることによって、失われた青
  春を取り戻そうとひたむきであったのである」
   *
  梅原、ノックをした瞬間、「うっ」と崩れるように倒れる。
 喜暉「おい梅原!どうしたっ」
  心配そうにかけ寄る部員たち。
  大の字になって肩で息をしている梅原。
 諭「おまえ、たまにビッコ引いてたけど、本当はずい分悪いんじゃないのか?」
 喜暉「おい梅原!」
  じっと空を見つめたままの梅原。
  その無表情に見える梅原の顔に、スッと一筋、涙が走る。
  部員たち。
 梅原「(ポツンと)やっぱり野球はいいなあ」
 「?」と部員たち。
 梅原「一度でいいから、優勝したいなあ」
 部員たち「…」
  梅原 ― 。
 N「この日を境に梅原はユニフォームを脱いだ。しかし野球部再建への情熱はおとろ
  えることを知らず、マネージャーとして縦横無尽の活動を開始する。
   しかしそのことは、結果的に梅原の病状を早めること意味していた」
   *
  練習に打ち込んでいる部員たち。
  そこに学生服の梅原、ビッコを引いて来る。
 梅原「おーい!リーグ戦の復活が決まったぞォ!」
  見る部員たち。
 「やったーっ!!」
  その光景、ロングになり ― 。
  大歓声、再びかぶってくる。

23.後楽園球場
  カーン!!と快音。
 アナ「打ったーっ!!慶応別当、痛烈っ!レフト前ヒットっ!!」
  と同時にセカンドランナー、スタートを切っている。
 アナの声「セカンドランナー増山、3塁を回ったっ!慶応、ついに先取点かっ!?」
  レフト、懸命のバックホーム!!
 レフト「行かせてたまるかっ!!」
  猛然とホームに突っ込んでくるランナー。
  返球がまっすぐキャッチャーへ。
 アナの声「いいボールが帰ってきたぞっ!これはきわどいっ!クロスプレーだっ!」
  ホームベース上、キャッチャー、必死のブロック。
  砂ぼこりを上げ、猛然と突っ込んできたランナーともつれるように重なる。
   *
  見る東大ナイン。
   *
  見る慶応ナイン。
   *
  観客A。
  観客B。
   *
  審判、見定め、
 「アウトっ!!」
  と高々と手を上げる。
   *
 「ワーっ!!」と湧き上がる東大応援席。
   *
  ガックリの慶応ベンチ。応援団。
   *
 アナ「アウトっ!アウトです!5回裏、またしても慶応、チャンスをつぶしましたっ
  !」
   *
 諭「(レフトに)ナイスプレーっ!」
   *
  大歓声の中、手を上げてこたえるレフト。

24.スコアボード
  5回裏に0が入り、そこまできれいに両軍とも0が並ぶ。

25.スタンド
  ザワつき出す。
 「これはひょっとすると…」
 「ひょっとするぞ」

26.慶応ベンチ
 監督「(イライラしている)なぜだ?なぜ1点が取れない…(マウンドにむかう投手
  大島に)オイ大島!1点もやるんじゃないぞっ」
   *
 N「ここまで毎回のようにランナーを出している慶応に対して、東大は無安打。しか
  し得点は0対0.慶応には次第に焦りが、東大には次第に期待がふくらんでいった。
   そう、このシーズンにおける東大の快進撃は、まさにこのパターンであったので
  ある ― 」

27.回想
  1回戦 対明治。
  四球を連発する明治の投手。
  喜んでホームインする押し出しのランナー。
  汗びっしょりのマウンド上。
 N「開幕戦で極度に緊張した明治のエース小川の自滅により圧勝。
   東大12−5明大」
   *
  2回戦 対早稲田。
  平凡な1塁線のファールゴロ。それが小石に当たってフェアグランドに。
 「アッ」となる早大守備陣。
  1塁へ駆け抜けるバッター。
  ホームを駆け抜ける3塁ランナー。
  ボー然となる早大ナイン。
 N「8回2死3塁、ファールがイレギュラーしてフェアグランドに入る奇跡のヒット
  で東大先取。そのまま逃げ切る。
   東大1−0早大」
   *
  3回戦 対立教。
  守備につく東大ナイン。
  そのとたん降雨 ― アッという間にどしゃ降りに。
 N「8回裏に逆転し、9回の守備についたとたん雨が降りだし、雨天コールド。
   東大2−1立教」
   *
  4回戦 対法政。
  サヨナラヒットを放つ東大沢田。
 N「延長12回サヨナラゲーム。わずか2安打の勝利だった。
   東大2−1法大」
   *
 N「こうして東大は、僅少差を固い守りで守り抜き、勝ち進んできた」

28.後楽園球場
 N「しかし対慶応戦では、思わぬ所でその鉄壁の守備網が崩れる。運命の7回 ― 」

29.グランド
 球審「ボール、フォア!」
  1塁へ向かうバッター。
 アナ「さあ、慶応7回も1死からランナーを出したぞっ」
  諭のもとにかけ寄るキャッチャー。
 キャッチャー「大丈夫。まだ球は走ってるぞ」
  うなずく諭。
 アナの声「ここで迎えられるバッターは4番別当っ!」
  見る諭。
  別当登場。
 「別当ーっ!」
 「たのむぞーっ!」
  の声が飛ぶ。
  諭。
 ― ここが勝負だ ―
  別当。
 ― オレが決めてやる ―
  1塁ランナー河内、ジリジリとリードをとる。
 河内「…」
  ゴクッとつばを飲む。
  諭、モーションを起こす。
  と同時に河内、スタート。
 アナの声「河内、走ったっ!」
  別当、強引に打ちにいく。
 アナの声「ヒットエンドランだっ! ― がしかし別当、平凡な3塁ゴロ」
  諭。
 ― よし、打ちとった ―
  サード、軽快にさばいて1塁へ。
  1塁 ― 余裕で間にあい、
 塁審「アウトっ」
  とその瞬間、ランナー河内、
 ― 勝負っ! ―
  と2塁ベースを蹴るっ!
 アナの声「あっと、ランナー河内、2塁を回って3塁へっ!しかしこれは暴走だっ!」
  キャッチャー、ファーストに叫ぶ。
 「サードっ!!」
  ファースト、一瞬あわてるが、すぐさま3塁へ矢のような送球。
  が、その瞬間
 「あっ」
 「あっ」
 「あっ」
  と見る観客、東大ベンチ、東大ナイン。
  3塁への送球、ランナー河内の腕に当たって方向が変わり、3塁に入ったショート
  のグラブをはじいてレフトへ転々と転がる。
  それ見て3塁コーチャー、グルグル腕を回す。
 「回れ!回れ!」
  河内、一気にホームへ。
  レフト懸命にバックアップするが ―
  あきらめる。
  河内、手を叩きながらホームイン!
 アナの声「先取点は慶応!東大ナイン、呆然っ!ノーヒットで1点を失いましたっ!
  !」
   *
  スタンド。
 「ドーっ」とどよめきともため息ともとれる嘆声が流れる。
   *
  対照的に湧き上がる慶応ベンチ。
  慶応応援団。
   *
  ボー然と立ち尽くしている東大ナイン。
   *
  センター喜暉、ナインに叫ぶ。
 喜暉「まだ試合は終わっちゃいないぞっ!」

30.スコアボード
  7回裏の1点を除いて、きれいに0が並ぶ。
 N「が、試合はその後も淡々と進み、ついに最終回もツーアウトとなっていた ― 」

31.慶応応援団
  湧き上がるような応援。
 「あと一人!」「あと一人!」

32.東大応援席
  懸命の応援。
 「フレー!フレー!東大!」

33.グランド
 アナの声「差はわずかに1点っ!しかし東大最後の攻撃もツーアウト、ランナーなし
  っ!東大初優勝の夢、ついにここでついえるのかっ!?」
  2番立松、祈るようにしばし目を閉じ、打席に入る。
  マウンド上。
  大島、したたり落ちる汗をぬぐって、モーションに入る。
 N「しかしこの時、固くなっていたのは、むしろ慶応の方であった」
  大島、投げる。
  立松、打つ。
  が、平凡なショートゴロ。
 「アー」とスタンドを埋めるタメ息。
 アナの声「平凡なショートゴロ。万事休す!」
  が、これをショート河内、はじく。
 「アア―っ!」
  タメ息が一瞬にして歓声へ。
  1塁をかけ抜ける立松。
 アナ「名手河内、エラー!!1塁セーフ!!」
  ボー然の河内。
 大島「気にするな」
   *
 アナ「ここで迎えるバッターは、3番山崎喜暉!貧打東大の中にあって最も信頼でき
  るバッターですっ!」
 「よし!」とバッターボックスに入る喜暉。
   *
  東大ベンチ。
  監督。
 ― 連打は期待できない…一か八かだっ ―
  とサインを出す。
   *
  サインを見ているランナー立松。
 ― ん?盗塁…よし! ―
  ジリジリとリードをとる立松。
  ピッチャーのモーションと同時にスタート。
 アナ「ランナー走った!しかしキャッチャー加藤は強肩だぞっ」
  加藤、捕球と同時にセカンドに送球。
  しかしこれがとんでもない暴投。
 アナ「アアっ!」
  ボールはセンターへ抜け、ランナーは一気に3塁へ。
  湧き上がる東大ベンチ。
  ボー然となる慶応応援団。
 アナの声「慶応、痛恨のエラー連発!ついに東大、土壇場で一打同点のチャンスをつ
  かみましたっ!奇跡は再び起こるのかっ!?」
  騒然となってくる場内。
  マウンド上に集まる慶応内野陣。
 キャッチャー加藤「スマン」
 ピッチャー大島「気にするな」
 ショート河内「オレの所に打たせろ。自分のミスは自分で…」
 大島「気にするなって」
  努めて明るく、
 大島「オレたちが東大なんかに負けるわけがないだろう。オレは打たれん」
   *
  再び守備位置に戻る慶応ナイン。
   *
  ピッチャー大島をじっと見つめている喜暉。
 N「異様な雰囲気の中で、喜暉は、ピッチャー大島の顔から血の気が引き青ざめてい
  くのがわかったという」
  喜暉。
 ― いけるぞっ。こっちのペースだっ ―

34.スタンド
  梅原、来る。
  スコアボードを見上げると、

   一二三四五六七八九  計
――――――――――――――――
東大 00000000   0
――――――――――――――――
慶大 00000010   1

  グランドは3塁にランナー。バッターは“ヨシテル”。
  梅原、人ごみをかき分け懸命に前に進む。
  最前列から、
 梅原「ヨシテルーっ!頼むぞーっ!優勝だーっ!!」

35.グランド
  ハッと見る喜暉。
 ― 梅原… ―
  意を決したようにグッと唇をかみ、ギュッとバットをしぼり込み、構える喜暉。
 喜暉「さあ来いっ!」
 アナの声「さあいよいよ大詰め!大島が投げ勝つか?山崎が打ち砕くかっ!?」
  顔面蒼白の大島。気を静めるように、
 ― オレたちは負けない。東大なんかに負けてたまるかっ ―
  大きく振りかぶって、
 ― 勝負は強いやつが勝つんだっ! ―
  と、こん身の力を込めて投げ込む。
   *
  グッと踏み込んでいく喜暉。
 ― 優勝するのは…オレたちだっ! ―
  カッ!
  とバット、みごとにボールをとらえる。
  ムン!
  とバットを振り抜く喜暉。
  ハッと見る大島。
 ― しまった! ―
  カーンという快音とともに地をはうようなゴロが三遊間方向にとぶ。
 「ワーっ」と身を乗り出す人々。
 アナ「強烈っ!三遊間っ!同点かっ!?」
 梅原「やったーっ!」
  が、その時、ショート河内、横っ飛び。
 ― 自分のケリは、自分でつけるっ! ―
 「アッ」と見る諭。
 アナの声「と、とったーっ!!ファインプレーっ!」
 (大観衆 ― 歓声から悲鳴に変わって ― )
  河内、すぐさま起き上がって1塁へ矢のような送球。
 アナ「1塁、間にあうかーっ!」
  懸命に走る喜暉。

36.回想
  梅原と再会する喜暉。

37.懸命に走る喜暉

38.回想
  諭と再会する梅原と喜暉。

39.懸命に走る喜暉
 ― 1塁ベースしか見えない。

40.回想
  大の字になっている梅原。
 梅原「一度でいいから、優勝したいな」

41.グランド
  送球、ファーストへ。
  喜暉、1塁ベースへ懸命のヘッドスライディング。
  湧き上がる砂ぼこり。
  が ― 、
 1塁塁審「アウトっ!」
   *
 「ワーっ!!」
  喜びが爆発する慶応ナイン。
   *
  湧き上がる慶応応援団。
   *
  対照的にドーっとタメ息が流れるスタンド。
   *
  梅原。
   *
  諭。
   *
  ガックリ力尽きる東大ナイン。
   *
  起き上がれない喜暉 ― 。
 N「こうして、東大の奇跡は幕を閉じる」

42.球場全景
  いつの間にか、夕日に真っ赤に染まっている。
 N「二日後、慶応は早稲田をも圧倒し5戦5勝で優勝、東大は4勝1敗で史上唯一の
  2位を記録した」

43.グランド
  諭に促されて、力なく起き上がる砂まみれの喜暉。
  スタンドから、
 梅原「(叫ぶ)ヨシテルーっ!」
  見る喜暉。
 梅原「リーグ戦は復活したばかりだ。まだ秋もある。今度はオレもグランドで…。約
  束しただろ、“一誠寮”の“ノ”の字は“オレたち”の手で入れようって」
  見ている喜暉と諭。 ― フッと笑顔になり、顔を見合す。
  笑顔を見せる梅原 ― 。
 N「しかし、野球部再建にすべてを賭けた梅原が、再びグランドに立つ日は来なかっ
  た。翌年春、梅原は他界する」

44.“一誠寮”の額(現在)
 N「東大野球部合宿所には現在も“一誠寮”の額が飾られている。しかし、そこの
  “せい”の字には、今もって“ノ”の字が書き加えられてはいない」


 (終)


解説


[戻る]