「栄光なき天才たち」

― 特別シリーズ・近代日本の科学者群像@「北里柴三郎B」 ―

 作.伊藤智義


1.イメージ
  華やかなノーベル賞授賞式。
 N「1901年(明治34年)、20世紀の幕開けとともに、科学界にビッグ・イベ
  ントが誕生する ― ノーベル賞。ノーベル賞は初めての国際的な賞であり、その
  賞金額の大きさから、第一回目から科学界の熱い関心を集めていた。
   その第一回目から、早くも日本人が一人、候補にあがっていったという。その一
  人とは、北里柴三郎か、あるいは志賀潔のどちらかであることは間違いない。そし
  て注目の医学生理学賞の受賞者は、北里と縁(ゆかり)の深い人物であった」

2.伝染病研究所
  科学雑誌を手に志賀、来る。
 志賀「へえ、ノーベル医学生理学賞はベーリングか…先生、これ、ご覧になりました
  か?」
 北里「(渋い顔)ああ」
 志賀「惜しかったですね。ベーリングがとるんだったら先生がとってもおかしくない」
 所員A「いや、北里先生がとるべきなんだよ」
 所員B「おや、北島さん。ベーリングのもとに留学してきた人の発言としてはちょっ
  と意外ですねェ。北島さんとしては、北里先生にも、ベーリングにも、できれば一
  緒に受賞してもらいたかったというところですか?」
 北島「とんでもない。北里先生が単独で受賞すべきところだよ。その受賞理由を見て
  みろよ。ジフテリアの血清療法の創始、となっているだろ?血清療法を創始したの
  は北里先生なんだぜ。ねえ、先生」
 北里「ん?うん。…まあ、賞とはそんなもんなのかもしれん。ただ、これでまたあの
  青山が何か言うんじゃないかと思うと、ちょっとうんざりするがね」

3.東大医学部
 青山「フン、北里め、とうとうバケの皮がはがれたな。血清療法の創始者は自分だな
  どと大ボラ吹きおって。これでハッキリしたな」
 教授A「はい」
 N「この年、緒方を引き継いで青山が東大の医学部長に就任。以後16年間、日本医
  学界のドンとして君臨する。この青山こそ、権威主義の象徴であった」
  青山。
 ― 北里…いつか潰してやる ―

4.赤ちょうちん
  志賀と北島が一杯ひっかけている。
 北島「オレは留学していたから良く知ってるんだが、ベーリングは科学者じゃない。
  政治家だな」
 志賀「政治家?そんな話は聞いたことがないぞ」
 北島「今回のノーベル賞にしても、ベーリングは政治家を動かしている。強大なドイ
  ツ帝国をバックに賞を取りにいった」
 志賀「ほう、そりゃすごいな。それじゃとてもかなわんな」
 北島「かなわんどころじゃないぜ、哀しくなるよ。だってそうだろう?日本じゃ日本
  人のすぐれた業績を、日本人の手で潰そうとしているんだぜ?こんなバカな話があ
  るかよ」
 志賀「たしかに…」
 北島「なぜなんだろうな…なぜ…日本はこれから欧米諸国に追いつかなくちゃいけな
  い時なのに、なぜ…。もし北里先生に、日本医学界が全面的にバックアップする体
  勢をとっていたら、滞独6年であれだけの業績を上げた人だぜ、どこまで業績を積
  み重ねたことか…。ドイツで“研究の虫”と語り継がれる世界のキタサトが、今じ
  ゃ争いにまみれてる…」
  グッと酒をあおる北島。
 声「それはまだ日本が未熟だということだよ」
  北里、隣に座る。
 北里「オヤジ、オレにも一本」
 オヤジ「ヘイ」
 北里「日本は、まだ、日本人が信用できんのだよ。日本人の能力が信用できない」
  北島。
 北里「もっとはっきり言えば、何が正しくて何が正しくないのか、何が大事で何が大
  事じゃないのか ― そういう判断力が今だに日本人にはないんだな。だから既成の
  権威に頼ってしまう。欧米の言うことには何でも盲従するくせに、自国で生まれた
  独創的な研究には徹底的に抑え込もうとする。それは自分たちでは判断できないか
  らなんだ。だからいきおい、拒絶してしまう」
 北島「…」
 志賀「なんだか哀しい話ですね」
 北里「ああ、哀しい話だ。 ― オヤジ、おでんを適当にみつくろってくれ」
 オヤジ「ヘイ」
    *
  赤ちょうちん、ロングになって ― 。

5.伝染病研究所
  新築。
  その威容を見つめる北里と所員たち。
 志賀「ついに完成しましたね」
 北里「うむ。これでようやく、わが国にも世界に遜色のない伝染病研究所ができあが
  ったわけだ。ここから新しい日本医学の一ページが開かれる…いや、開くんだ、我
  々の手で」
  うなずく所員たち。
 N「明治39年(1906年)、芝・白金台町に伝染病研究所を移転新築。それは当
  時、コッホ研究所(独)、パスツール研究所(仏)と並んで、世界三大研究所とも
  呼ばれうる研究機関であったという。それは北里への社会的評価の高さを如実に示
  すものであった」

6.東大医学部・学部長室
 教授A「はっきり言ってまずいんじゃないですか?青山先生。あれだけの施設はちょ
  っと東大(うち)にもありませんよ」
 青山「わかっておる」
 教授A「しかも細菌学全盛の今の医学研究において、伝染病研究所のあるなしでは雲
  泥の差」
 青山「(イライラ)わかっておるっ」
 教授A「コッホしかり、パスツールしかり…今のまま北里に伝研ある限り、我々は…」
 青山「(立ち上がり)わかっておるっ!」
  ビックリして言葉を失う教授A。
  青山。
  ― 険しい表情。
 N「青山のイラ立ちとは裏はらに、北里・伝研側から三たび、世界的業績が生まれる」

7.研究所
 ― 1909年(明治43年) ドイツ・国立実験治療研究所 ―

8.同・実験室
  一人の日本人が動物実験(ウサギ)をしている。オリにはそれぞれ番号札がついて
  いる。
 「401番…これもダメか…」
  そうつぶやいて、ノートにメモしていく日本人。
 N「秦佐八郎(1873〜1938)。第三高等学校(現在の京大教養学部に相当)
  卒業後、軍隊を経て1898年、伝染病研究所に入り、1907年ドイツに留学」
 秦「402番…これもダメ…」

9.同・所長室
  所長。
 N「ポール・エールリッヒ(1854−1915) ― 1908年度のノーベル医学
  生理学賞の受賞者。しかし、彼の生涯最大の業績は、日本からやってきた無名の青
  年医学者、秦佐八郎によってもたらされるのである。
   当時エールリッヒは梅毒の化学療法物質を探し求めていた」

10.同・実験室
  実験をしている秦。
 N「梅毒は長年人類を悩ましてきた病気で、末期には精神障害を起こし死に到る。世
  界中の多くの医学者がこの難病に挑んでいたが、この時まで、治療は皆無であった。
   エールリッヒは数百にも及び物質を合成し、秦はそれらすべてについて動物実験
  をくり返していた」

11.所長室
  エールリッヒのもとに所員1、2、来る。
 所員1「所長、どういうことですか?いつまであの日本人に動物実験をさせておくつ
  もりですか?」
 所員2「動物実験といえば、一番重要なパートですよ。日本人なんかに…」
 エールリッヒ「日本人日本人と、バカにしてはいけない。私は20年ほど前、コッホ
  の研究室にいた時、ある日本人と一緒に仕事をしたことがある。その日本人は、私
  の目の前で次々と偉業を連発していった。まさか、まさか、の連続で、当時の私に
  はとても信じられなかったのを、今でも覚えてるよ。その男は、わずか数年のうち
  にコッホの右腕とまでになり、そして彗星のようにドイツを去っていった」
 所員1「その日本人とは?」
 エールリッヒ「キタサト」
 所員1・2「キタサト…」
 エールリッヒ「ハタはキタサトが送り込んできた男だ。信用できる。もしこの行き詰
  まった局面を打開できるとしたら、それはハタだろう」
 所員1「しかし、キタサトは特別ですよ。日本人はやっぱり日本人だ。我々は…」
  そこに秦、飛び込んでくる。
 秦「所長!見つかりました。来て下さい」
 エールリッヒ「なに、見つかった?」
  所員1、2、顔を見合わす。
 「そんなバカな…」

12.実験室
  試薬を見せる秦。
 秦「606番です」
 エールリッヒ「(けげんな顔になり)606?」
  思わず笑い出す所員1、2。
 所員1「それはすでに二年前に研究済みさ。結果は全く効果なし」
 秦「これが動物実験の結果です」
  606番のオリ ― ウサギが元気にとびはねている。
 所員1「嘘だ!確かにあの時は…」
 所員2「ああ。何の効果も認められなかった」
 エールリッヒ「…」
  ウサギ。
 エールリッヒ「どんな実験をしたのか、教えてくれないか」
 秦「はい」
    *
 N「エールリッヒは検定に検定を重ねたのち、秦の発見を受け入れ、それが人間に用
  い得ることを認めた」

13.学会
  研究報告をしているエールリッヒと秦。
 N「1910年4月19日、ヴィスバーデンの内科学会は非常な興奮に包まれた。
   “梅毒の特効薬発見せり!” ― このニュースは世界中を駆けめぐり、歓喜をも
  って迎えられた」

14.イメージ
  サルバルサン606号。

  [化学式]
  ジオキシ・ジアミノアルゼノベンゾール・ジヒドロクロライド

 N「商品名サルバルサン606号 ― それは20世紀に全盛を迎える化学製剤開発の、
  第一号であったのである」

15.東京
 N「一方同じ頃、日本においても医学史上に特筆すべき研究発表がなされようとして
  いた。それは意外にも北里・伝研側の人間でもなく、青山・東大医学部側の人間で
  もなかった」

16.学会
 ― 明治44年(1910年)12月 東京化学会 ―
  発表している一人の学者。
 ― 鈴木梅太郎(東大農学部農芸化学科教授) ―
 鈴木「…つまり、脚気は脚気菌による伝染病ではなく、米ヌカから抽出された新栄養
  素、オリザニン(ビタミンB1)の欠乏症だったのです」
 N「この研究は、医学の中にビタミン学という一分野を開く画期的なものであったば
  かりでなく、長年に渡って日本の医学界を対立させてきた根本原因 ― 脚気菌問題
  にピリオドを打つはずのものであった。
   が、しかし ― 」
 青山「フン、百姓学者が。イワシの頭も信心からと言うが、米ヌカで病気が治るんだ
  ったら、ションベン飲んでも治るんじゃないのか」
  爆笑の場内。
 鈴木「…」
 N「青山のこの一言で、鈴木の大発見は黙殺された。この日本で生まれた真に独創的
  な業績は、ヨーロッパに持ち去られ、世界的なビタミンブームを巻き起こす。その
  間、ビタミンに関して二人の学者がノーベル賞に輝いているが、鈴木は、その名を
  医学史上にとどめることすらできていない」

17.イメージ
  青山。
 N「外国追従と主体性の放棄 ― 日本の医学界の権威はその上に形成されてきている。
  “オリザニンの発見”の場合は、その典型である。“権威の象徴”青山は、ドイツ
  医学を盲従し、ありとあらゆる独創性を踏み潰す。
    *
   そして、この青山に、宿敵北里・伝染病研究所をぶっ潰す、絶好のチャンスがや
  ってくるのである」

18.議会
 ― 大正3年(1914年)4月、大熊内閣成立 ―
 N「青山は、大隈重信の主治医であった」

19.大隈邸
  大隈の診察に来ている青山。
 青山「(検診しながら)どうですか?新内閣の状況は?」
 大隈「いやあ、なかなか厳しいよ。まずやらなければならないのは行政改革、財政整
  理なんだが、どこを整理しても角がたつからねえ。なかなか難しい。どうだね?青
  山君。医学界の頂点に立つものとして、医療行政について、何か意見があるかね?」
  青山の手が、ピクッと止まる。
 青山「それならば、是非整理しなければならないことがあります」
 大隈「(見る)」
    *
 N「それは突然起こった」

20.官報
 「 勅令
   伝染病研究所を、内務省から文部省へ移管する。
   大正3年(1914年)10月14日 」

21.伝染病研究所
  先を急ぐ所員A、B。
 所員A「一体どういうことなんだ?所長の北里先生に一言もなく移管するなんて…」
 所員B「大隈は先生の力を恐れたんだ」
    *
  先を急ぐ所員C、D。
 所員C「力?」
 所員D「北里・伝染病研究所は、講習会などを通して、今や全国の医師、衛生官に強
  大な支配力を持っている。しかも北里先生は、大隈の政敵、原敬・政友会に親しい。
  そこで、行革を大義名分にバッサリと…」
 所員C「それに青山がからんだ」
 所員D「間違いない」

22.所長室
  来る所員たち。
  官報を怒りの表情で見つめている北里。
 北里「(官報をひきさき)オレに、青山の下に入れというのかっ!」

23.議会
  激しい論戦。
  新聞見出し、かぶる。
 「大隈内閣は、北里を毒殺せるものなり!」

24.東大医学部
  大勢の報道陣が詰めかけている。
  それを前にして、
 青山「大隈総理のなされたことは至極当然のことであると私は思う。行政整理、財政
  整理は強く世論の要求していることである。それを大隈総理はみごとに…」
 記者1「しかし、一説によると今日の移管問題はあなたの策謀であると」
 青山「私の策謀?(にらむ)どういう意味だっ」
 記者1「(ビビる)いや、そういう意見に対して、何か一言あれば…」
 青山「ま、今回のことで、何かと言われているようだが、君たちよく考えてみたまえ。
  今回の措置はただ伝研の管轄を内務省から文部省に移しただけなんだぞ。何も北里
  所長をクビにするとか、降格するとか、そんなことは何一つ言ってないんだ」
 記者2「しかしそれは、実質的には北里博士が青山教授の下に入るということを意味
  するのではないですか?」
 青山「何をバカなことを言う。私は東大の教授、北里博士は伝研の所長、以前と全く
  変わらんじゃないか」
 記者2「それはそうですが…」
  記者たち。
  青山 ― その口元が微かに笑う。
 ― 北里…早く頭を下げに来い ―

25.伝研・所長室
 所員1「どうするんですか?先生」
  北里。
  所員たち。
 北里「(つぶやく)オレは世界のキタサトだ、束にして勝負してやる…」
  封筒を出し、筆を手にする北里。
  封筒の上に書かれていく“辞表”の二文字。
  見る所員たち。

26.伝研・全景
  落ち葉が舞い降りる中、続々と伝研を離れていく北里と所員たち。
 N「北里をはじめ、所員たちはそろって辞表を提出。これが世にいう“伝研騒動”で
  ある」

27.伝研・所長室
  北里にかわってそのイスに座っている青山。
 N「翌大正4年(1915年)、伝染病研究所は東大医学部付置となり、青山が医学
  部長兼任で所長の座につく」
 青山「とうとう手に入れてやったわ、ハッハッハッハ…」
  豪快な高笑い。
 N「こうして北里対東大医学部の対決は東大側の勝利に終わる」

28.現在の研究所
 N「現在、伝染病研究所は東大付属医科学研究所と名称を変え、世界有数の施設を誇
  っている」

29.建築中の研究所(大正時代)
 N「一方、伝研を追われた北里は、再び私立北里研究所を設立(現北里研究所及び北
  里大学)。さらに慶応医学部の創設に尽力する。
    *
   こうして医学界は新たな局面に突入する」

30.イメージ
  東大医学部(鉄門会)と慶応医学部( )。
 N「緒方対北里で始まったささいな対立は東大対慶応という二つの大きな流れとなっ
  て、以後、良きにつけ悪しきにつけ、日本医学界に多大な影響を与えていくのであ
  る」

31.イメージ
  北里。
 N「明治中期に突如として出現した巨人、北里柴三郎。その生涯は、日本の近代化を
  考える上で、極めて興味深い」


 (終)



 解説


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