「栄光なき天才たち」特別シリーズ 〜 近代日本の科学者群像U 〜
「理化学研究所」 ― F 敗戦 ―
作.伊藤智義
1.壊滅した街
― 広島 ―
仁科ら視察団が、声もなく立ち尽くしている。
将校A「仁科博士…これはやっぱり…」
仁科「間違いありません。原爆です…」
2.新聞見出し
N「新型爆弾により広島壊滅 ― その報は日本中を駆けめぐった」
3.海軍技術研究所
N「その日、竹内は目黒の海軍技術研究所にいた。戦時研究員の肩書きが残っていたた
め、電波兵器の研究をさせられていたのである」
広島第一報を見てガク然となる竹内。
― そんなバカな… ―
そこに将校B、来る。
将校B「お前はこの前まで理研で原爆の研究をやっていたそうだが。われわれの得た情
報では、アメリカは月産二発のペースで原爆を作っているという。そんなにたくさん
出来ると思うか」
竹内「そんなベラ棒なはずはない。わたしたちのやり方では、100年ぐらいはかかる。
いくらアメリカだって、そんなに出来るはずはありません」
N「ところが広島投下の3日後 ― 」
4.イメージ
わき上がるキノコ雲。
― 8月9日 長崎 ―
5.海軍技術研究所
ひどく叱られている竹内。
将校B「お前たちが先日いったようなありさまだから、かくのごとき状態になったのだ!」
竹内「…」
その悔しさのにじみ出た顔にかぶって、
― どうやってアメリカは… ―
6.高校
― 旧制山形高校 ―
N「木越は山形にいた」
食い入るように新聞を読んでいる木越。
N「山形に疎開して、なおも六フッ化ウランを作っていたのである」
木越「やられたか…」
*
N「そして武谷は、巣鴨の東京拘置所で検事の取り調べを受けていた」
7.東京拘置所
N「いよいよ裁判にかけられるというところであった」
8.同・取り調べ室
検事1、来る。新聞を広げ、
検事1「お前が研究していたというのは、この爆弾のことか」
武谷「そうです」
検事1「検事をみんな集めるから話してくれ」
*
検事たちに説明する武谷。
*
武谷「…と、これが原爆というものです」
何がなんだかわからずポカンとしている検事たち。
武谷「(一つ息をして)それでは、具体的にどれくらいの威力があるか説明しましょう」
うなずく検事たち。
武谷「ある地点で一発の原爆が爆発したとする。すると太陽が約17時間照射するのと
同じエネルギーが10分の1秒くらいに加わったことになる。いま吸収率を10%と
して ― 」
さらさらと計算する。
武谷「1000mさきの1mmの厚さの鉄板が溶けることになる。人間を木材と同じと
し ― 」
また計算していく。
武谷の表情から、次第に血の気が引いていく。
武谷「十分に焼けどをし ― 」
検事たち。
武谷「つまりみんな死んでいる」
息をのむ検事たち。
武谷「広島は死に絶えている ― 」
検事たち「…」
武谷「アメリカはまだ数発持っているかもしれません。ボヤボヤしているとまた落ちて
くる。飛行機が単機でくるときは危険だから深い穴に入っていた方がいい」
検事1「(真っ青になって)お前、もういいからさっそく、仁科研へ帰って研究を続け
てくれ」
武谷「え?(と見る)」
検事たちのあまりに真剣な表情に、
思わず苦笑する武谷。
検事2「何がおかしいんだ?」
武谷「帰って研究してくれって?こりゃいいや。ハハハ…」
声をたてて笑い出す武谷。
検事たち。
*
N「昭和20年8月15日、敗戦 ― 」
9.理研
みんなが集まっている所に、武谷、来る。
武谷「どうしたんだよ、みんな。しょぼくれちゃって。負けちゃったもんはしょうがな
いじゃないか」
玉木「いや、違うんだよ。仁科さんが、まだ帰ってきてないんだよ」
武谷「え?広島に行ったっきり?」
玉木「うん。連絡もない」
研究者A「まさか先生…」
見る一同。
研究者B「まさかってなんだよ?」
研究者A「いや、出て行く時、ひどく責任を感じてるみたいだったから…」
玉木「(否定)まさか」
一同。
N「しかしリアリストの仁科は、豹変して帰ってきた」
ひょっこり帰ってくる仁科。
すこぶる元気で、第一声は、
仁科「サイクロトロンの修理はどうなっている?」
あっけにとられる一同。
仁科「(ニコニコして)世の中が変わったのだよ」
10.大サイクロトロン
補修工事の指揮をしている仁科。その顔には生気がよみがえってきている。
N「湯川の中間子論(昭和10年発表、昭和24年ノーベル物理学賞)に始まる素粒子
物理学は、戦後、飛躍的な発展を遂げ、現在にまで到っている。その素粒子物理学で
主役となるのが、サイクロトロンなどの加速器であった」
玉木「(来る)しかし良かったですね先生。この大サイクロトロンが残って…」
仁科「本当だよ。戦争が終わって、長い間のムダをとりかえさなくちゃならないからな。
10年かけて作ってきたコイツがやっと使えるんだ。本当に良かった」
しみじみとなる仁科。
そこにGHQがドカドカやってくる。
米兵1「危ないからどきなさーい!」
「?」
と研究者たち。
仁科「何ですか?あなたたちは」
米兵1「これは廃棄します」
仁科「(ビックリ)えっ!?」
米兵1「原子爆弾の研究は一切禁止だ」
米兵1、合図を送る。
騒音を響かせ、解体作業を始めるGHQ。
仁科「やめてくれっ!サイクロトロンは原爆とは関係がないっ!」
しかし ― 、
N「5日間にわたって破壊しつくされたサイクロトロンは、昭和20年11月29日、
東京湾に投棄される」
11.イメージ
東京湾に捨てられるサイクロトロン。
12.理研
サイクロトロン跡地。
ボー然と立ち尽くしている仁科。
N「こうして理化学研究所は、核物理学のメッカとしての使命を閉じる。戦後の日本は
田無の東大核物理学研究所に加速器をつくるまで17年の長い冬眠期を迎えることに
なったのである」
13.仁科家
病床についている仁科。
大河内が見舞いに来ている。
大河内「あれほどタフだった君が胃をやられて倒れるとは、よほどサイクロトロンのこ
とがこたえたんだねえ」
仁科「仕方ないですよ。ぼくはすっかりあきらめています。将来、何年後になるかわか
らないけれど、よしふたたび建設を許されても、そのときにはもう一度つくろうとす
る気力は、ぼくにはもうなくなっていることでしょう」
大河内「何を弱気なことを言っている。我々にはまだやらなければならないことがたく
さんあるじゃないか。とにかく日本の科学界を再建しなければ…」
そこに、
「仁科先生、大変ですっ!所長が…大河内先生が…」
と玉木、入って来る。
大河内「どうしたんだね、そんなにあわてて…私がどうかしたのかね?」
玉木「あ、大河内先生…。ニュースは、お聞きになりましたか?」
大河内「ニュース?」
玉木「先生が…」
14.新聞見出し
“理研所長大河内正敏、戦犯指名”
“科学陣で逮捕命令を受けた最初の人”
(昭和20年12月16日)
15.巣鴨拘置所
大勢の記者に囲まれて大河内、来る。
大河内「(インタビューにこたえて)別に心の動揺を感じませんが、私などがこの列に
入ることは、実に意外でした。東條内閣顧問という肩書も経済顧問というだけで何ら
発言権も与えられず馘(くび)になりましたし…まあしかし、そんなことはどうでも
よいでしょう」
そこに秘書A、来る。
秘書A「先生」
見る大河内。
秘書A「(涙ぐみ)何不自由なく育った先生が、ろうやに入れられてしまうなんて、私
はふびんでふびんで…」
大河内「私なら大丈夫。心配はいらないよ」
入っていく大河内。
16.文理大学(のち東京教育大→筑波大)
N「すべてを失い途方にくれる実験家に対して、文字通り“紙と鉛筆”でできる理論グ
ループは、軍事研究から解放され、生気を取り戻しつつあった」
― 朝永ゼミ ―
N「その核となったのが朝永振一郎(仁科研研究員・文理大教授)であった」
朝永のもとに30人近い若い研究者が集まっている。
N「この荒涼たる環境の中で朝永は、坂田(阪大)、武谷らの提唱したC中間子仮説を
容れて、“くりこみ理論”を確立していく。やがて、アメリカでもややおくれて、の
ちにノーベル賞を共同受賞(1965年)するシュウィンガーが同じ研究を進めてお
り、つばぜりあいが演じられていることが判明すると、朝永は」
17.イメージ
朝永「まさか、こちらはサツマ芋を食べながらやっているとは思わないだろうね。むこ
うはビフテキなんかで馬力をつけているんだから…」
N「そう笑って言ったという」
18.理研
仁科、元気に姿を現わす。
仁科「さあ、バリバリやるぞー!」
N「昭和21年に入ると仁科の健康は回復、そして4月 ― 」
*
所員の喜びで迎え入れられる大河内。
N「疑いが晴れて大河内が釈放される」
「どうでしたか、中の様子は。ずい分ご苦労されたでしょう」
大河内「なに、窮すれば通ずるでちっとも困らなかったね」
「どんなこと、考えてました」
大河内「トンカツでビールが飲みたかったね」
笑いがもれる一同。
N「理研復興へと、すべてが大きく動き始めようとしているかのように思えた。
しかし ― 」
仁科、ふと見ると、
GHQがじっと大河内を監視している。
仁科「…」
19.所長室
大河内「理研(ここ)に出入りするなと!?どういうことだ?」
仁科の立ち会いのもと、吉田茂(当時外相)が来ている。
吉田「これはGHQの意向なんです。どうもGHQは大河内さんのことを良く思ってい
ない…」
大河内「自分がこの敗戦日本の再建のために努力するのは国民として当然のことだと思
っている。それが悪いということであれば、ふたたび巣鴨に捕えられても悔いはない」
吉田「しかしそれでは…」
そこにGHQ、入ってくる。
「話し合いはまだ終わらんのかね?」
見る一同。
大河内「…」
N「11月、大河内、所長を辞任」
20.正門
大河内「(仁科に)あとのことは、よろしくお願いします」
無言で頭を下げる仁科。
*
寂しく去っていく大河内。
― その後姿。
*
N「さらにそこに財閥解体の嵐が襲いかかる。コンツェルンを形成していた理研は、集
中排除法にふれるから解体せよという指令が発せられたのである。これこそ致命的な
衝撃だった」
21.イメージ
財閥解体を伝える各紙。
N「こうして、科学者たちの自由な王国、栄光の理化学研究所は、時代の荒波の中に消
えてしまうのである ― 」
*
N「その後理研は、仁科を所長とし、一研究機関として再出発を図る。
一方、理研を追われた大河内は、その後、公職も追放され、昭和27年8月29日
不遇のうちにその生涯を終える」
22.イメージ
現在の理研。
N「現在、特殊法人理化学研究所は埼玉県和光市に、一研究機関として存続している。
しかし、かつての理化学研究所のような存在は、現在はどこにも存在しない。そし
て、今後も二度と出現しないだろうといわれている」
23.イメージ
理研と、大河内、鈴木、寺田、仁科らの研究者たち。
N「それはまさしく、近代日本科学の青春時代に突如として出現した、奇跡の産物だっ
たのである ― 」
(完)
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