「栄光なき天才たち」特別シリーズ 〜 宇宙を夢見た男たち 〜
― CV2号(4) ―
作.伊藤智義
1.村はずれの農家
N「1945年に入るとドイツの敗戦はもはや誰の目にも明らかだった。進攻してく
るソ連軍の銃声が、ペーネミュンデにも聞こえてくるようになっていた」
技師1が、あたりを注意深く見回し、窓を閉めきる。
2.同・中
N「一月末、フォン・ブラウンは、ペーネミュンデの幹部技師たちを村はずれの小さ
な農家に集めた」
技師1「大丈夫。つけられた者はいないようだ」
リーデル「親衛隊(やつら)はもう、オレたちを監視するどころではないのさ。この
戦争も、もう終わりだ」
フォン・ブラウン「そこでだ。今日、集まってもらったのは、これから先、我々はど
うするべきか、相談しようということなんだ」
一同。
フォン・ブラウン「私たちは、ドイツの重要な秘密兵器のことをよく知っている。だ
から、いよいよ最後のときが近づいたら、ドイツ軍に殺されてしまうかもしれない」
見る一同。
フォン・ブラウン「設計図を焼いたり、発射台を爆破したりするのと同じことなのだ。
軍の秘密を知っている人間が敵につかまって、ペラペラとしゃべられることを恐れ
ている。軍や秘密警察は私たちを殺すかもしれない」
技師1「なるほど。そういうこともあるだろう」
技師2「ひょっとしたら、秘密警察の連中は、敵に降伏するときに、私たちを“手み
やげ”にしようとするかもしれない。私たちを人質にするのだ」
技師3「そういうこともありうるね」
技師4「誰にもつかまらないように逃げまわることができればいいが、アメリカもソ
ビエトも、私たちを捜し回るだろう。いつかはきっと見つかってしまう」
リーデル「では、どうしたらいいだろう」
フォン・ブラウン「私は、敵が近づいてきたら、降伏して捕虜になるほかに手がない
のではないかと思う。軍に殺されたり秘密警察の人質になったりする前に、急いで
降伏してしまうのだ」
技師5「最後まで戦わないのか?」
グルートルップ「私たちは陸軍につとめてはいるが軍人ではない。技術者だ。戦うの
は、私たちのつとめではないだろう」
フォン・ブラウン「降伏するとした場合、ソビエト軍の捕虜になるのか、アメリカ軍
の捕虜になるのか、ということを考えてみなければならないだろう。どちらの軍隊
に降伏したらよいだろうか?」
考え込む一同。
沈黙。
フォン・ブラウン「私の兄は、戦争が始まる前に、アメリカに留学していたことがあ
るんだが、兄の話によると、アメリカは、あけっぴろげな良い国のようだし、科学
者や技術者も大切にしているようだ」
技師1「私もアメリカの方が良いと思います。私たちは、もともと宇宙旅行をしたい
と思って、ロケットの研究を始めたのです。宇宙旅行のような、お金のかかること
は、アメリカのような豊かな国でないとできないかもしれませんね」
技師2「そうだと私も思います。ロケットをもっと大きく育てゆくためには、アメリ
カの捕虜になった方がいいでしょう」
うなずく一同。
グルートルップ「たしかにそれが一番良いのかもしれないが…」
フォン・ブラウン「グルートルップ。何か他に?」
グルートルップ「いや。アメリカに降伏するのが一番でしょう」
フォン・ブラウン「…」
リーデル「よし、決まったな。ここにじっとしていたら、ソビエト軍が攻めこんでく
るだろう。西へ逃げて、アメリカ軍のいる所へ近づいた方がいいだろう」
技師3「西というとノルトハウゼン(V2号の地下工場がある)だな。でもどうやっ
て移動するんだ?」
フォン・ブラウン「私に考えがある。まかせてくれ」
3.ロケット研究所
N「ペーネミュンデでフォン・ブラウンのもとで働いていた技術者とその家族は約
5000人いた。これだけの人間と膨大な量のデータや記録フィルム、ロケットの
設計図や実験装置などを運ぶためには、100台のトラックが必要であった。しか
し戦局の悪化で、トラックを動かすガソリンを新たに手に入れることは絶望的であ
った」
4.エンジン開発部
フォン・ブラウン、来る。親衛隊の目を避けるように技師1に耳打ち。
フォン・ブラウン「ロケット燃料のアルコールを使って、トラックを走らせることは
できるかい?」
技師1「(見る)エンジンを少し改造すれば…」
フォン・ブラウン「(うなずく)頼んだよ」
技師1「まかせて下さい!」
5.イメージ
各所に指示して回るフォン・ブラウン。
N「当時ペーネミュンデに君臨していた親衛隊の上司たちはあわただしい戦局に対処
するため、ペーネミュンデを留守にすることが多かった。そこに目をつけたフォン
・ブラウンは、ペーネミュンデから逃げ出す準備を着々と進めていく」
6.倉庫
ズラリとトラックが詰まっている。
技師2「準備は完了しました。もういつでも大丈夫ですよ」
フォン・ブラウン「(うなずく)今夜決行しよう」
技師2。
フォン・ブラウン「あ、そうだ。トラックにはVZBV(特別配備計画の頭文字)と
書いておいてくれるか?」
技師2「え?(見る)」
フォン・ブラウン「念には念をいれておかないとな」
技師2「(ニヤリと笑って)わかりました」
*
N「フォン・ブラウンが今後も宇宙ロケットの研究を続けるには、貴重な実験資料と
今やフォン・ブラウン・チームと呼ぶにふさわしい自分を中心とするノウ・ハウを
持った技術者集団が一緒にいなければならなかった。彼らをここで死なせてはなら
かった」
7.深夜
ペーネミュンデから、続々と出発するトラックの列。
N「それは、宇宙ロケットにすべてを賭けたフォン・ブラウンの、執念の逃亡作戦で
あった」
8.深夜の道を進行するトラックの列
その最前列に乗っているフォン・ブラウンとリーデル。
リーデル「割とすんなりいったな」
フォン・ブラウン「親衛隊はもう、組織がズタズタなんだよ」
リーデル「検問だ」
緊張するリーデル。
フォン・ブラウン「大丈夫。ぼくにまかせてくれ」
9.検問所
止められるフォン・ブラウンのトラック。
監視兵「民間人の移動は禁じられている!お前ら何者だっ!」
フォン・ブラウン、顔だけ出し、トラックに書かれたVZBVの文字を指さす。
フォン・ブラウン「我々は特別配備計画の者だ。この移動命令は親衛隊のヒムラー長
官から直接出されたものだよ。少尉」
ビクッとなる監視兵。態度が一変する。
監視兵「ご苦労様です!どうぞお通り下さい!」
顔を見合わせてニヤリと思わず笑ってしまうフォン・ブラウンとリーデル。
*
検問所を次々と通り抜ける100台のトラック
*
高笑いのリーデル。
リーデル「あいつ、ヒムラーの名前を聞いてビビリやがった。こいつは愉快だ」
10.深夜の道を行くトラックの列
N「ペーネミュンデからノルトハウゼンまで400km。昼間は連合軍の飛行機が上
空を飛び回っているので森の中にひそみ、夜間の行軍が続く」
*
フォン・ブラウン「また検問だ」
リーデル「(楽しそうに)今度はオレにまかせてくれ」
11.検問所
止められるトラック。
リーデル「(顔を出し)我々は特別配備計画のものだ。この移動命令は親衛隊のヒム
ラー長官から直接出されたものである!」
声「ヒムラー隊長がどうしたって?」
監視兵の後から、男が現われる。
ビックリするリーデル。
リーデル「カムラー所長…」
その声で、トラックから顔を出す技師たち。
フォン・ブラウン。
現われたのは、ドルンベルガーの辞任後に所長に就任した親衛隊の上級将校、カム
ラー。
カムラー、フォン・ブラウンの所に歩み寄ってくる。
緊張感、一気に高まる。
カムラー「(小声で)アメリカ軍が迫っている。我々はロケット兵器で戦局を逆転し
なければならない。そこで貴官は至急トップクラスの科学者と技術者500名を選
び、アルプス山中に退避せよ」
フォン・ブラウン「え?」
驚いたように見る。
フォン・ブラウン「アルプス山中に退避、ですか?」
カムラー「列車は用意してある」
*
N「意外なことにカムラーは、許可も得ずにペーネミュンデを逃亡したフォン・ブラ
ウンらをとがめなかった。それどころか、退避命令を出したのである」
12.列車
乗っている技師たち。
フォン・ブラウン「どうした?グルートルップ。さきからこわい顔して…」
グルートルップ「変だと思いませんか?カムラーのやつ…」
フォン・ブラウン「ん?うん。私もそれは考えていた」
グルートルップ「これは“人質列車”じゃないでしょうか?」
フォン・ブラウン。
グルートルップ「カムラーはこの地域のユダヤ人収容所の責任者でもある。連合軍に
捕まればその罪状を問われることは明白です。だから私たちを…」
フォン・ブラウン「それはあり得るな。最後には殺されてしまうというウワサも一部
にはあるようだ。しかし今の我々には他にとるべき道はないよ。とにかく、ここは
ひとまずカムラーの意図に従い、あとは機を見て…」
スッと立ち上がるグルートルップ。
グルートルップ「降ります!」
フォン・ブラウン「(ビックリして見る)降りるって…」
グルートルップ「残してきた妻や母親も心配ですし」
*
デッキ。
飛び降りようとするグルートルップを必死に止めようとするフォン・ブラウン。
グルートルップ「私はもう、親衛隊(かれら)に従いたくはないんですっ!」
フォン・ブラウン「しかし今キミに抜けられたら…」
グルートルップ「またどこかで!」
飛び降りるグルートルップ。
フォン・ブラウン。
アッという間に闇の中に消えていくグルートルップ。
*
飛び降りたグルートルップ。
列車が闇にすい込まれていく。
13.アルプス山中
N「こうしてグルートルップはフォン・ブラウン・チームから離脱したが、大部分の
科学者や技術者たちはカムラーの命令通りオーストリアとの国境に近いアルプス山
中に散り散りになってひそんだ。
そこでビッグ・ニュースに接した」
14.山中のホテル
ラジオ。
「臨時ニュースを申し上げます。ヒトラー総統閣下はボルシェビキとの最後の戦いを
終えられ、本日午後野戦司令部で死去されました。くり返します…」
その報を興奮して聞いているフォン・ブラウンと数人の技師たち。
*
そのホテルに、技師5が飛び込んでくる。
技師5「ヒトラーが死んだぞっ!ヒトラーが…」
しかしフォン・ブラウンたち、さきほどの興奮した表情とは打って変わって皆、黙
り込んでしまっている。
技師5。
技師1「ヒトラーが死んだということは、ドイツが負けたということでもある」
技師5「それはそうだが…」
技師2「我々はもう、グズグズしてはいられないんだ。早く態度を決めなければ…」
フォン・ブラウン「予定通りアメリカ軍に投降しよう」
見る一同。
フォン・ブラウン「もし将来、ロケット研究が続けられるとすれば、それはアメリカ
しかない。アメリカに賭けてみようじゃないか」
うなずく一同。
15.坂道
降りてくるフォン・ブラウン一向。
兵士たちに取り囲まれる。
フォン・ブラウン「アメリカの方ですか?」
うなずく兵士。
フォン・ブラウン「私たちはドイツのロケット科学者のグループのものですが、アメ
リカ軍に降伏したいのです。司令官の所に連れていって下さい」
キョトンとなる兵士たち。
兵士1「お前ら、気は確かか?」
*
N「1945年5月2日早朝、フォン・ブラウンはアメリカ軍に投降した」
16.米軍・対敵情報司令部
連れてこられるフォン・ブラウン一行。
N「そして結局、118名のフォン・ブラウン・チームと100基のV2号、そして
トラック3台分の実験資料がアメリカに渡ることになる。
*
一方その頃、ペーネミュンデはソビエト軍の支配下にあった」
17.ペーネミュンデ・ロケット研究所
ソ連技術調査団が施設、部分等を視察している。
N「V2号関係の施設の大部分を占領地域におさえたソ連も、ドイツに残ったロケッ
ト技術者のうち約200名を、なかば強制的にソ連に連行する。
その中には幹部技術者はほとんどいなかったが、ただ一人、グルートルップの姿
があった」
18.アメリカに向かうフォン・ブラウン
19.ソ連に向かうグルートルップ
*
二人の姿が重なって ― 、
N「こうして、戦後の米ソ宇宙開発競走は始まるのである」
(C−4・終)
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