『10番目の選手』

作.伊藤智義

ヤングジャンプ第13回青年漫画大賞原作部門準入選受賞(1985年秋)

(画.中田満穂「ヤングジャンプ1986/1/20増刊ザ・グレート青春号」掲載)

 


 

1.甲子園球場

 大歓声。

 ランナーが二塁にいる。

アナの声「準決勝第二試合、岩波高校対新村商業。九回表、岩波、二死ながら土壇場で

 同点のチャンスを迎えています。二塁ランナーが返れば同点。バッターは三番の長岡

 

 バッター、構えている。

 ピッチャー、セットポジション。

アナの声「ピッチャー、セットポジションから第三球

 ピッチャー、投げる。

 バッター、打つ。

アナの声「打ったっーっ!ライト前っ!ヒットッ・・」

 ランナー、打球音とともにスタートを切っている。

アナの声「ランナーは三塁を回って ―、アッと、止まりましたっ、止まりました。三塁

 コーチャー、両手を大きく広げてランナーを止めました」

 ランナーを懸命に止めた三塁コーチャー。背番号15のその選手 山田広志。

アナの声「ああ、ライトからはいい球が返ってきました

 キャッチャーミットへ、ストライクの絶好の返球がおさまる。

 その場面、そのまま画面に収まり

声「この試合のポイントはここですね」

 

2.スタジオ

 その画面を見ながら、

解説者「この三塁コーチャーの判断です。二死二塁、一点負けてる、しかも最終回、普

 通なら回してしまいますね、心情的にも突っこませたい所です。それをあえて止めた。

 いや、止めることができた。これは打球の速さはもちろん、ライトの肩、ランナーの

 足、次の打者のバッティング、すべてが頭に入っていなければできないことです」

アナ「あの場面、もし突っこませていたら本塁手前、タッチアウト、ゲームセット、と

 いうわけですね?」

解説者「そうです」

アナ「このあと岩波高校に連打が続き、逆転で決勝進出を果たしたわけなんですが、今

 日の殊勲者ともいえるキャプテンの山田君、実は選手としてではなく、三塁コーチャ

 ーとしてベンチ入りしているそうなんですよ」

解説者「ほう。三塁コーチャーとして ?」

アナ「ええ。その辺のところを岩波の立川監督にお伺いしてあるんですが、ちょっとそ

 れを見ていただきましょう」

 画面、グランドからインタビュールームにかわる。

声「つまり監督、山田君は、三塁コーチャー専門の選手として育て上げたわけですか?」

 

3.インタビュールーム

監督「そうです。一年の秋から徹底的に

記者1「一年の秋から?」

記者2「ずっとですか?」

記者3「ずっと三塁コーチャーとしてだけ ?」

監督「そうです。この二年間、山田には三塁コーチャーのノウハウだけを教え込んでき

 ました。言うなれば10番目の選手ですよ」

記者1「10番目の選手?」

記者3「すると山田君、君は今まで試合に出たことは?」

 監督の横に広志がいる。

広志「選手としては一度もありません。でも毎試合、10番目の選手として参加している

 つもりです」

記者3「ハア、10番目の選手ね」

監督「長年高校野球の監督をやっているとわかってくるんですよ。高校生に冷静な判断

 を求めることは無理だということが。私自身、何度も何度も子供たちの判断ミスで大

 事な試合を落としてきました」

記者2「それで三塁コーチャーを養成してみようと思ったわけですか」

監督「そうです。もう、野球は9人でやる時代は終わりましたよ。特にうちみたいな、

 とりたてて優れた選手のいないチームは、ベンチ入りしている選手全員が、いや選手

 だけでなく、監督、部長、それに応援団、それぞれすべてが…」

記者1「しかし監督、そうすると他校より一人少ない14人で戦わなければならないわけ

 ですが、その点、かなりのハンディでは?」

監督「ですから、それ以上に山田の存在は大きいんですよ」

 広志。― その顔に、

監督の声「(かぶる)選手としては使い物にならない三塁コーチャーをあえてベンチ入

 りさせることで、選手個々のスタンドプレーを戒め、フォア・ザ・チーム、チームの

 ために、の意識を徹底させることに成功したわけです」

 広志

監督の声「山田をあえてキャプテンにしたのもそのためです。大した力のない今年のう

 ちが、ここまでこれたのも、みんながみんな、チームのためにやってきたからです。

 その象徴が山田なわけです」

 広志 じっと何かに耐えるように聞いている。

記者3「(メモをとりつつ)ハア、なるほど。 しかし山田君、君だって一度くらいは

 試合に出てみたいと思うだろう?」

 顔を上げる広志。

広志「(キッパリ)いいえ。チームが勝ってくれさえすれば、それで自分は満足です」

 監督、満足そうにうなずく。

 この場面、再び画面に収まって

 

4.スタジオ

アナ「チームのために自らを犠牲にするあの精神、実に高校生らしく、すがすがしいで

 すねえ」

解説者「全くです」

アナ「明日、甲子園大会10日目、決勝戦は岩波高校と英和学園との間で午後一時プレイ

 ボールです(頭を下げる)」

 それがそのままテレビ画面に収まり

 

5.宿舎

 そのテレビのスイッチが消される。

 テレビを消した選手Aがタメ息まじりに

選手A「まいっちゃうよなあ」

 岩波ナインが集まっている。

選手A「決勝打を打ったのはオレだぜ。どうしてオレより広志の方がヒーローになるん

 だ?」

選手B「しかたないよ。ホラ、テレビってサ、そういうの、好きじゃない」

選手A「だけどよォ、三塁コーチャーなんか、ほんとは誰だってできるんじゃないか?

  こう、(物まね)腕を回したり、両手を広げて ストップ!ストップ! それ

 だけだろ?実際試合してんのはオレたちじゃないか」

選手C「そりゃそうだよな。いくら三塁コーチャーがよくったって、オレたちがやらな

 けりゃどうにもならんしな」

選手A「そうだろ?だからさあ…」

 と言いかけた時、

声「やめろよ」

 見る選手A。

選手D「(立ち上がり)そりゃいくらなんでも言いすぎじゃないか。そこまで言ったら

 広志が…」

 部屋の隅に座っている広志。

選手A「広志が、なんだよっ。オレは本当のことを言っただけじゃねえか。本当のこと

 を言って何が悪いっ」

選手D「テメエ、それでも…」

 広志、慌てて間に入る。

広志「(あいそ笑いを浮かべて)おいおいやめろよ。明日は大事な決勝戦なんだからサ

 ア」

選手A「うるせえっ!脇役は引っ込んでろっ!」

 広志、つきとばされて、壁に頭をぶつける。

 思わず顔をゆがめる広志。

 その悔しさのにじみでている横顔に

 大歓声、かぶってくる。

 

6.スコアボード

 

英和学園

 

 

 

 

 

アナの声「(かぶって)さあ、第68回甲子園大会、決勝戦もいよいよ大詰め9回の表。

 岩波、初優勝まであとひとり」

 

7.岩波応援団

 「あとひとり」コール。

アナの声「しかし粘る英和もランナー満塁とし、一打逆転という場面を迎えております」

 

8.英和応援団

 祈るような応援。

アナの声「あっと、ここで岩波、ピッチャーが替わる模様です」

 

9.グランド

 マウンドに、背番号10にかわって背番号11が上がる。

場内放送「岩波高校、選手の交替をおしらせします。ピッチャー、大川君にかわりまし

 て中川君…」

 投球練習を始めるピッチャー。

 背後には、一塁、二塁、三塁、それぞれのランナー。

アナの声「とうとう三番手のピッチャーが上がります。総力戦になってきました。岩波

 はこれで…あっと、14人

 

10.岩波ベンチ

 奥に座っている広志。

アナの声「14人すべて使い切りました。ベンチ入りしている14人の選手、すべてを使い

 切りました」

 ゲームなど見ていない、ひとりうつ向いている広志。

アナの声「まさに総力戦。まさにチーム一丸となって初優勝にむかいます岩波高校。14

 人の選手すべてが…」

(すべての音が次第に消えてゆき―)

 広志 ―。

 ある種の屈辱感にじっと耐えている。

 その顔。

 じっと耐えて座っている広志の顔。

 そのアップ。

 間。

 そこに ―、

 (快音)カキーン!!

 音声、突如よみがえる。

 ハッと見る広志。

 岩波ベンチ。

 

11.アナ

 「打ったあーっ!!痛烈っ!ピッチャー返しーっ!!」

 

12.グランド

 打球、真一文字にピッチャーへ。

 思わず身を引くピッチャー。

 が、よけきれず、打球はもろに顔面へ―。

アナの声「アアーッ!!」

 

13.悲鳴を上げる岩波応援団

 

14.グランド

 倒れるピッチャー。

 ボールは転々と三塁前へ。

 サード、ボールを拾うが、どこにも投げられない。

 ホームベースをかけ抜け、喜んでベンチに戻るランナー。

アナの声「ピッチャー強襲ヒットッ。同点!英和、土壇場で追いつきましたっ!!」

 

15.沸き上がる英和応援団

 

16.岩波ベンチ

 一瞬呆然となっている監督。

 心配そうに見ている広志。

 ― が、広志、ハッと何かに気づき、

 チラッと監督を見る。

 

17.グランド

 うずくまったままのピッチャー。

 心配そうなナイン。

アナの声「しかし大丈夫でしょうか?顔に当たったようですが…」

解説者の声「顔ですね。もろに当たりましたからねえ…あっと、タンカが運ばれてきま

 したよ」

 タンカに乗せられるピッチャー。

 運ばれていく。

アナの声「大丈夫でしょうか。ケガの具合いが心配されます」

 

18.岩波ベンチ

 監督 苦悩。

アナの声「それにしても岩波、苦しくなりました。岩波にまだ、投げられる人がいるん

 でしょうか」

部長「どうするんです?監督」

監督「…(考えている)」

(広志、努めてさりげなく様子をうかがっている。)

監督「確か長岡は中学の時ピッチャーをやっていたって言ってたな?」

部長「はい。確か…」

監督「よし、ピッチャーは長岡にやらせよう」

部長「じゃ、ショートはどうするんです?」

監督「ライトから中嶋を回す」

部長「じゃライトは?」

監督「山田を入れる」

(広志。)

部長「(驚いて)山田?山田を使うんですか?」

監督「当り前だろっ。人がいないんだ、使うしかないだろっ!使うしかっ!!」

 広志。

 ― その手がのび、グッとグローブをつかむ。

 

19.バックボード

場内放送「岩波高校、選手の交替をお知らせします。ピッチャー、中川君にかわりまし

 て長岡君。ショート長岡君にかわり中嶋君。ライト中嶋君にかわりまして山田君が入

 ります」

 選手の名前が入れ替わっていく。

 

20.ライト

 守備につく広志。

 二、三度、パンパンとグローブをたたく。

 

21.マウンド

 ピッチャーとキッチャーの打ち合せ。

捕手「細かいことは要求できないが、ライトにだけは打たせるなよ」

投手「(チラッと広志を見る)―ああ」

捕手「とにかくここまできたんだ、思い切っていこう!」

投手「(うなずく)」

 

22.ベンチ

監督「(つぶやく)山田の所には打たせるな…」

部長「(ボソッと)だから山田なんか、ベンチ入りさせなきゃよかったんだ」

監督「(にらむ)なにっ!」

 

23.グランド

アナの声「さあ試合再開ですっ!英和、九回表二死満塁、一転して勝ち越しの大チャン

 スを迎えております」

 捕手。

内角だぞっ。内角

 ピッチャー、うなずく。

 

24.ベンチ

部長「(ブツブツと)地方大会は18人までベンチ入りできたからいいようなものの甲子

 園では15人しかベンチ入りできないんだ。だからあれほど言ったのに…山田を入れる

 余裕なんかないって」

監督「(すごい形相でにらんでいる)なにをいまさら…監督はオレだっ!」

部長「(見る)もし山田で負けたら、監督の責任ですよ」

監督「(見る)なにっ…!!」

部長「(見ている)」

監督「キサマ…」

部長「…」

 視線をはずす。

監督「…」

 怒りを静めるように、視線をそらす。

オレは間違っちゃいない

 監督。

野球はトータルアートなんだ。みんながみんな、好き勝手なことをやってたんでは勝

 てない。個々を犠牲にしてまでもチームのためを考えた時、本当に強いチームが生ま

 れる。すべてが監督の、このオレの指示に忠実に従うことができた時のみ、勝利があ

 るんだ。それを徹底させるためにも三塁コーチャーは重要だ。山田の存在は重要なん

 だ。 オレの理論は間違っちゃいないっ

 と、その時、

 バコッ!と鈍い音。

 ハッと見る監督。

 部長。

 ベンチ。

 

25.グランド

アナの声「デットボールッ!」

 打者、腕を押えながらも、喜び勇んで一塁へ向かう。

 投手、帽子をとって謝るが ガックリ。

アナの声「痛いっ!これは痛いっ!岩波、痛恨の押し出しデットボールッ!今、勝ち越

 しのランナー、ホームイン!」

 三塁ランナー、とびはねるようにホームイン。

 

26.沸き上がる英和ベンチ

 

27.沸き上がる英和応援団

 

28.ガックリくる岩波応援団

 

29.岩波ベンチ

監督「…」

 だが、

オレは間違っちゃいない。これはアクシデントだ

監督「(投手に向かって叫ぶ)まだ試合は終わっちゃいないぞっ!ガンバレッ!!」

 

30.グランド

 うなずく投手。

アナの声「一点勝ち越した英和、なおも二死満塁。ここで迎えるバッターは四番、強打

 の青野

 打者、すべり止めをつけながら、

デッドボールのあとだ。初球はビビッて外角でくる

 ギュッとバットを握る。

 

31.ライトの広志

「…」

 

32.グランド

 バッターボックスに入っている打者。

 キャッチャー、サインを出す。

あくまで内角だ

 動揺のおさまらないピッチャー、うなずく。

 第一球、振りかぶって 投げる。

 と同時に ―、

しまったっ!

 キャッチャー。

あっ、バカッ

 打者。

外角高め。狙い通りっ!もらったっ!!

 ジャストミート!!

アナの声「打ったーっ!!」

 キャッチャー、面をはずし、

捕手「(叫ぶ)センターッ!!」

 

33.ベンチ

 思わず「ああーっ」

 身を乗り出す監督。

 

34.グランド

アナの声「打球は右中間ッ、グングン伸びるっ!!抜けるかーっ!!」

 グングン伸びる打球。

 追うセンター(選手D)。

 追うライト(広志)。

  *

 一斉にスタートを切っているランナー。

  *

 悲痛に見守る応援席。

  *

 走るセンター。

 追うライト。

 落ちてくるボール。

 センター、追いつかない。

 ライト広志、懸命に飛び込む。

 落ちてくるボール。

 グングン伸びる広志のグローブ。

  *

監督「頼むっ、とってくれっ!」

  *

 広志、ダイビングキャッチッ!!

 そのまま砂ぼこりを上げる。

アナの声「ライト、懸命のダイビングキャッチッ!!ボールは!?とっているのか!?それと

 も !?」

  *

 見守る監督。

  *

 見守る応援団。

  *

 見守る選手たち。

  *

 かけ寄る塁審。

 広志、ゆっくり起き上がり、グラブを上げる。

塁審「(高々と手を上げ)アウトッ!!」

  *

 ほっとする岩波応援団。

アナの声「とっていますっ。とっています。ライト山田君の超ファインプレーッ!!」

  *

 残念そうに広志を見ている英和ナイン。

  *

 監督、一つ息をつく。

  *

「ナイスキャッチ!」

 と、広志の方へかけ寄ってくるセンターの選手D。

 選手D、地面に何か落ちているのに気づき、

選手D「広志、何か落としたぞ(拾う)」

 うす汚れた封筒。

 ― 『退部届』の文字。

 広志、ハッと振り向き、思わずズボンのポケットに手をやる。

選手D「広志…おまえまだこんなもの…」

広志「(見る。 ちょっと笑い)いやあ…」

 広志、受け取り、行く。

 その封筒を無造作にポケットに押し込む広志

選手D「…」

 遠くからノックの音、かぶってくる。

声「やめる!?」

 

35.岩波高校グランド(回想)

 その片隅。

 広志が部屋に向かっている。

 それにまとわりつくように選手D。

選手D「やめるって、どうして!?来週はもう甲子園なんだぞ」

 広志。 黙々と歩いていく。

(グランドでは練習が始まっている)

選手D「おい、どうしてなんだよ、広志」

 広志。 歩いていく。

選手D「オイ!」

 グイッと広志の肩をつかむ。

 振り向く広志。

 選手D。

広志「(困ったようにちょっと笑い)もう決めたことだから…」

 広志、行く。

選手D「オイ、広志…」

 とりつくしまがない。

 選手D

声「あいつ、ベンチ入りはずされたんだ」

 選手D、ビクッとして振り向く。

 選手Eが来ている。

選手E「あいつ、部長に言われたらしいんだ。ベンチ入りできないって」

 選手D、驚いて見ている。

選手D「どうして…?」

選手E「だからさァ、地方大会はベンチ入り18人だけど、甲子園では15人だろ。

 それで必要最小限の人選をするとだね、」

選手D「いや。…いやそういうことじゃなくてさ、どうしてベンチ入りはずされると、

 やめなくちゃいけないんだ?」

 選手E、見る。

選手E「おまえにはわからないよ」

選手D「どうして?こう言っちゃなんだが、おまえだって、その…(口ごもり)とうと

 うベンチ入り、できなかったじゃないか。だけどおまえ、やめるか?ベンチ入りでき

 なかったからって、部までやめちゃうのか!?」

 選手E、見る。

選手D「だいいちベンチ入りできなかったってことは、つまりその…(口ごもる)オレ

 たち三年生にとっては、実質的に部活動が終わるってことで、その…今さらやめるの、

 やめないのとかいう問題は根本的に…」

 見ている選手E。

選手D「(怒ったように)だいだい広志のヤツ、キャプテンだろうっ!?」

 選手E。

 間。

選手E「(ボソッと)おまえにはわからないよ。一年の時からレギュラーのおまえには

  ―」

選手D「…」

 選手E、かたわらのベンチに腰をおろす。

選手E「広志のヤツさ、野球部辞めようとしたの、今に始まったことじゃないんだ。

 オイ」

選手D「?」

 選手E、『座われよ』と動作で示す。

選手D「ああ(座る)」

選手E「あいつのさ、広志のユニフォームのズボンのポケットに、いつも一通の封筒が

 入っているの、知ってるか?」

選手D「いや」

選手E「それがつまり 退部届なんだ」

 選手D。

選手E「オレさ、一度それ、中身まで見ちゃったことがあるんだ。いや偶然にね。ホン

 トに偶然なんだけど」

選手D「(うなずく)それで?」

選手E「うん。その中身なんだけどね、その中身の日付が、どういうわけか、昭和58年

 9月10日なんだ。今でもハッキリ覚えてるよ、昭和58年、9月10日

選手D「…」

選手E「何の日だか知ってるか?昭和58年9月10日

選手D「二年近く前だな…(考える。が)いや、わからないな」

選手E「広志がさ、三塁コーチャーに指名された日だよ」

選手D「(見る)」

選手E「『おまえはもう選手としては使わない』 そう宣告された日なんだってさ」

選手D「…」

選手E「おまえらの目から見たら、広志は三塁コーチャーに誇りを持ってるように見え

 るかもしれない。キャプテンに選ばれて喜んでるように見えるかもしれない。だけど

 オレから見たら、逆だね」

 選手D。

選手E「毎試合広志がどんな気持ちでコーチャーズボックスに入っているか、おまえら

 にはわからないだろう。キャプテンに選ぶなんざ、広志を侮辱してるよ。まあ、監督

 の言ってることもわからないでもないが、オレたちは野球やるために野球部に入った

 んだぜ。そうだろ?」

選手D「…」

 間。

選手D「でも広志は二年間、結局やめないで続けてきたんだろ?それはやっぱり、三塁

 コーチャーにやりがいを見つけたからじゃないのか?試合を左右するかもしれない大

 切なポジションとして…」

選手E「違うね」

選手D「(見る)」

選手E「違うよ、全然。広志がやめ切れなかったのはそんなことからじゃない。広志が

 やめ切れなかったのは、試合に出たかったからさ」

 選手D。

選手E「三塁コーチャーをやるってことは、毎試合、ベンチ入りだけはできる。だから

 もしかしたら、何かの拍子で試合に出れるかもしれない。だからやめ切れなかった…

 オレはそう思う」

 選手D。

選手E「おまえらにはもう、そういう感覚、なくなっちまったかもしれないけど、誰だ

 って野球やってる以上は試合に出たいし、試合で活躍したいんだ。 夜、グランドに

 来てみればわかるよ。広志がひとりでバットを振ってる。毎日。 どういうことだか

 わかるか?昼間はろくに練習させてもらえないから、夜、一人でやってる。 どうい

 うことだかわかるか?広志は決して三塁コーチャーなんかに満足してやしないんだ」

選手D「…」

 間。

選手D「だけど、今さらやめることなんかないんじゃないか?実質的に部活は終わるん

 だから」

選手E「(あきれたように見る。 失望)おまえはなんにもわかっちゃいない。それが

 広志の…(フン然と息をつき)おまえには何もわからないよ」

選手D「…」

 遠くに、小さくなった広志の姿。

 

36.野球部部室・前

 広志、来る。

 手に持っている『退部届』。

 

37.同・中

 書類に目を通している監督。

 広志、入ってくる。

広志「あの、監督…」

監督「(顔を上げる) あ、山田。いい所に来た。コレ、新しいユニフォーム。甲子園

 の

 と、新品のユニフォームを差し出す。

広志「え?」

 驚いて見る広志。

 背番号15の、真新しいユニフォーム。

広志「…」

  *

 次第に甲子園の大歓声、よみがえってきて

 

38.甲子園

 広志。

 ネクストバッターズサークルにいる。

 カキーン!

 見る広志。

 打球、センター前へ

アナの声「打ったーっ。センター前ヒット!」

 打者、一塁を回った所でストップ。

アナの声「一死ながら岩波、ランナーを出しました」

 

39.岩波ベンチ

 沸く。

監督「よし!」

 

40.グランド

 広志、バットを持ってバッターボックスへ向かう。

 熱い日差しを全身に浴びて

アナの声「バッターは、さきほどファインプレーを見せた山田君

 

41.応援団

「カッセ、カッセ、ヤ・マ・ダ!」

 

42.バッターボックス

 広志 サインを見ている。

 

43.ベンチ

 監督 サインを出している。

アナの声「ここはワンナウトですが…」

解説者の声「まあ送りでしょうね。こう言っちゃなんですが、公式戦に一度も出ていな

 い山田君にはバッティングは期待できませんからね。ここは確実にバントで送って、

 次の打者に一打同点の期待をかけるべきでしょう」

 

44.グランド

 広志、サインにうなずく。

アナの声「さあ山田君、サインに大きくうなずいたが…確実にバントできるか!?」

 投手。

アナの声「ピッチャー、セットポジションから第一球

 投手、力一杯、投げ込む。

 と同時に、ファーストとサード、猛然と突っ込んでくる。

 向かってくるボール。

 広志、踏み込み、力一杯、振り出す。

 ファースト、サード、「おっ」と足を止める。

  *

 ビックリする監督。

  *

 だが広志、空振り。

審判「ストライークッ!」

アナの声「振ってきましたねえ」

解説者の声「いや、サインの見間違いでしょう」

  *

 監督、慌てて飛び出し、広志を手招き。

アナの声「ああ、そうみたいですね。山田君が監督に呼ばれています」

  *

監督「(広志に)バントのサインだぞっ。しっかりしろっ」

広志「すいません」

監督「おまえにもバントぐらいはできるだろう。しっかり構えて、確実に転がすことだ

 けを考えろっ。いいな」

広志「はい」

監督「(背をポンと叩き)よし、行けっ」

  *

 広志、再びバッターボックスに入る。

 ベンチから声。

「落ち着いていけっ!」

広志「…」

 投手。 捕手のサインをのぞき込む。

やはりバントか?

 捕手。

(うなずき)バントしかない

 投手、うなずき、セットポジション。

 広志 微動だにしない。

 投手、第二球、 投げる。

 と同時に内野陣、バントシフト。

 だが広志、グッと踏み込んでいく!

 ビクッと足を止める内野手たち。

  *

 ビックリする監督。

  *

 広志 思いっきり振るっ!

  *

 監督。

  *

 広志 見事な空振り。

  *

 監督「…」

  *

 審判「ストライークッ、ツー!!」

 

45.ベンチ

 監督、血相を変えて飛び出してくる。

監督「タイムッ!」

  *

 監督、広志を怒鳴りつける。

監督「どういうつもりだっ、山田ッ!」

広志「…」

監督「えっ!」

広志「…」

監督「(真赤な顔でニラみつけている)」

広志「…」

 監督。

 広志

広志「(ポツリ)バントは…したくありません」

監督「(驚き)なにっ!?」

広志「…」

 監督、怒りにふるえてくる。

監督「キサマ、誰のおかげで…」

 広志。

 監督。

審判「(来て)早くっ!」

監督「(ハッとし)すいません」

 広志に、怒りをかみ殺すように、

監督「もしバントしなかったら、そのまま退部だ。いいな」

 広志。

 間。

広志「わかりました」

 広志、『退部届』を差し出す。

監督「ん?(と受け取り、見る ドキッ)」

 ― 『退部届』の文字。

監督「…」

 バッターボックスへ向かう広志。

 監督、怒りが再びフツフツと沸き上がってくる。

監督「あの野郎っ、なめたマネを…」

声「監督、その退部届、いつ書かれたものだか、わかりますか?」

 監督、見る。

 いつの間にか選手Dが横にきている。

選手D「それ、おととしの9月10日に書かれているはずです」

監督「?」

選手D「正式に三塁コーチャーに指名された日だそうです」

監督「!」

選手D「それ以来二年間、広志は毎日その退部届をポケットに入れたまま練習を続けて

 きたそうです」

監督「…」

 間。

選手D「誰だって、三塁コーチャーをやるために野球部に入る人なんか、いないと思い

 ます」

監督「…」

選手D「それはチームワークがどうのこうのいう以前の問題で、本当は誰だって…広志

 がバントしたくない気持ち、わかる気がします。三年間でたった一度の打席、広志に

 とってはこの日の、この打席がすべてであり、この打席のために二年間、みじめな三

 塁コーチャーを…。それに広志、監督が思ってるほど、下手じゃありませんよ。アイ

 ツ毎晩ひとりで…」

 と選手D、監督の方に目を向けると

 ドキンと、そのしゃべっている口が止まる。

 監督がすごい形相でにらんでいる。

 息を飲む選手D。

監督「(低く)おまえ」

 選手D。

監督「誰に向かって、もの言ってるんだ?」

選手D「…」

監督「(ふるえる声で)監督は、オレだぞっ!」

選手D「(かすれた声で)すいません」

 選手D、引っ込む。

 監督。

オレは間違っちゃいない。オレは間違っちゃ…

 と、その時

 カキーン!!

 という快音。

 顔を上げる監督。

 身を乗り出す選手たち。

 

46.グランド

 広志が快打!

 思わず打球をあおぐ投手。

アナ「打ったーっ!!大きいっ!!右中間!!」

 ボールを懸命に追うライトとセンター。

 だが打球、その真ん中を大きくやぶる。

アナの声「打球は前進守備の外野手のはるか頭上を破ったーっ!!長打コース!!」

  *

 走る広志。

  *

 応援団席。

選手E「(立ち上がり)いけーっ!!」

  *

 走るランナー。

 グルグル手を回す三塁コーチャー。

 ランナー、三塁をける。

アナの声「一塁ランナー、三塁を回って

  *

 岩波ベンチ。

「いけ、いけ!」

  *

 ランナー、ホームへ。

アナの声「いまホームイン!同点っ!!」

  *

 歓喜のベンチ。

  *

 歓喜の応援団。

  *

 外野手、ようやくボールに追いつくが、クッションボールをはじく。

アナの声「ライト、クッションボールにもたついているっ。打ったランナーは二塁を回

 って三塁へ

  *

 二塁を回り、三塁へ向かう広志。

 広志、全力疾走。

 と、目の前に三塁コーチャーの姿が入ってくる。

 三塁コーチャー、大きく両手を広げ、叫んでいる。

「ストップ!ストップ!」

 その三塁コーチャーの姿が、走っていく広志には次第に自分の姿に見えてくる。

  *

「ストップ!ストップ!」

 両手を広げ、必死にランナーを止めようとしている自分。

  *

 走っていく広志。

  *

 三塁コーチャーの自分。

  *

 走っていく広志。

オレは…

  *

 三塁コーチャーの自分の姿。

  *

 走っていく広志。

オレは…

  *

 必死に自分を止めようとしている自分の姿。

  *

 走っていく広志。

オレは…

  三塁コーチャーなんかじゃねえっ!

 広志、三塁ベースを蹴るっ!

アナの声「アッと、三塁も回ったっ!!しかしこれは暴走気味っ!」

  *

 驚くベンチ。

  *

 セカンド、外野からの返球を受け、すぐさまバックホーム!

アナの声「セカンドからバックホームッ!!」

 走る広志。

アナの声「いい球が返ってきたぞっ!」

 懸命に走る広志。

 返ってくるボール。

 懸命に走る広志。

 だがホーム手前三mで返球がキャッチャーミットへ

 それでも広志、砂ぼこりを上げる懸命のヘッドスライディング。

 懸命に飛び込む広志。

 しかしキャッチャー、ガッチリブロック 余裕でタッチ。

  *

 監督。

  *

審判「アウトッ!!」

  *

 沸き上がる英和応援団。

  *

 ガッカリの岩波応援団。

  *

 岩波ベンチ。

  *

 帽子を叩きつけて悔しがる三塁コーチャー。

  *

監督「…」

  *

 砂にまみれたままの広志。

  *

 じっと見ている監督。

  *

 砂にまみれたまま起き上がれない広志。

 それがそのまま

 ロングになり

声「試合は結局、延長戦の末

 

47.甲子園スタジアム・外景

 ひときわ大きく沸き起こる大歓声。

 

48.長い廊下

 監督、疲れきって歩いていく。

インタビュア「(まとわりつくように)監督、惜しくも全国制覇はならなかったんです

 が、やはり痛かったのは九回裏の山田君の暴走ですか?あの場面、三塁に止まってい

 れば一死三塁、サヨナラのチャンスでしたからねえ」

監督「いや、山田を責めるわけにはいかないですよ。あいつの一打で同点に追いついた

 わけですから」

インタビュア「しかし皮肉ですよねえ。名三塁コーチャーぶりを発揮していた山田君が

 三塁コーチャーを無視しての暴走ですからねえ」

監督「いやいや、あいつは悪くないですよ。責任はすべて私にある。(間。ポツリと)

 あいつもやっぱり、立派な選手だったってことですよ」

インタビュア「ハ?」

 監督、行く。

 インタビュア、ちょっと考え、首をひねる。

 

49.バスの中

 岩波高校野球部が帰路についている。

 みんな、サバサバとして明るい。

選手A「これで俺たちも一躍人気者だな。なんていっても、甲子園準優勝チームだから

 な」

選手B「オレなんかホームラン打ってるし、サイン攻めにあったらどうしよう」

選手A「(笑う)なに言ってんだ、コイツ」

選手C「でも、もしあそこで広志が暴走してなかったら、もしかしたらオレたち、優勝

 してたかもしれないんだよなあ…」

(広志の姿、いちばんうしろにポツンと見える)

選手B「広志じゃしょうがねえよ。ツイてなかったんだよ。そんなことよりコレ、見て

 くれよ(手帳を見せる)」

 選手A、C、見る。なにやらゴチャゴチャ書いてある。

選手A「なんだ、コレ?」

選手B「(ニヤッとして)オレのサイン」

 選手A、C、キョトンとして顔を見合わせ 次の瞬間、大爆笑。

「バカじゃねえか、コイツ」

 ケタたましい笑い声の奥、広志がひとり疎外されたようにポツンといる。

 広志、無表情に窓の外に目をやっている。

 窓ガラスに映った自分の顔。

 間。

 そこに静かに大歓声、よみがえってきて

 

50.回想(窓ガラスにだぶるように)

 快打を飛ばす広志。

  *

 思わず立ち上がる観衆。

  *

 走る広志。

  *

 沸き上がる観衆。

  *

 猛然と走る広志。

 三塁コーチャーを無視して、 三塁ベースを蹴る!

  *

 興奮する観衆。

  *

 懸命に走る広志。

 走って、走って

  *

 興奮している人々。

  *

 さらに走って

(本塁寸前、キャッチャーにボール、返ってくる)

 広志、懸命のヘッドスライディング。

  *

 息をのみ、見守る観衆。

  *

 (以下、スローモーション)

 広志の猛烈なヘッドスライディングに

 キャッチャー、ふっとび

 (観衆)

 ボール、キャッチャーミットから、コロコロとこぼれる。

 広志の両手は、本塁ベース上に

 広志、審判を見上げる。

 審判、しっかり見届け、

 大きく両手を広げる。

審判「セーフ!」

 突如わき上がる大歓声。

 広志、軽やかに起き上がり、快心のガッツポーズ!

  *

 ベンチから歓喜の部員たち、飛び出してくる。

  *

 大歓声に包まれる甲子園球場。

  *

 その中でひときわ輝いている広志。

  *

 ひときわ輝いている自分の姿

  *

(次第にかすれていき

 

51.放心したように窓ガラスに目をやっている広志

 

52.バスの中

 一番前の座席にいる監督、広志の退部届をじっと見ている。

 汗がにじみ、土に汚れたその退部届。

監督「…」

 間。

 フト振り向いて、

監督「山田…」

 と言いかけたその口が、ドキンと止まる。

 遠く、一番うしろに座っている広志。

 その無表情に見える広志の頬に、一筋、光るものが伝わる。

監督「…」

  *

 けん騒のバスの中、それぞれにある種の思いが胸をよぎって

                               (終)


選評
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