『国籍 ― 後編 ― 』
作.伊藤智義
1.新聞見出し
「最終期限まであと一週間」
*
「手がかりつかめぬ捜査当局」
「いらだちと不安のつのる中」
「迫られる最終決断 ― 」
2.国会・対策本部
苦渋に満ちた閣僚の面々。
議論が出つくして、皆、一様に押し黙っている。
声「(かぶる)妥協するのかっ?妥協か!?」
声「いや、それはできないっ」
声「それじゃ強行かっ?強行するのかっ!?」
声「いや、それは…」
声「それじゃ一体どうするんだっ!」
声「あと一週間しかないんだぞっ!」
苦悩している閣僚たち。
声「決断は?」
声「最終決断は!?」
声「総理!!」
苦悩している首相。
声「決断をっ!」
声「最終決断をっ!!」
首相 ― 。
首相、フト顔を上げる。
3.会社・講堂
大勢の社員を前に、力のこもった演説している重雄。
重雄「…今我が社は、中根哲男という、ひとりの愚か者のために、最大の危機に立たさ
れている。」
神妙に聞いている社員たち。
重雄「この危機を乗り切るためには、諸君ひとりひとりの努力と、全社一丸となる団結
力が必要なのです。一部の報道機関による、我がグル−プに対する中傷的な報道に惑
わされることなく、どうかこの中根重雄に、お力をお貸し頂きたいっ」
深々と頭を下げる重雄。
神妙な面持ちで見ている社員たち。
頭を下げている重雄。 ― したたり落ちる汗。
一種、感動を持って見ている社員たち。
重雄。
社員たち ― 。
*
拍手の嵐の中、壇上をおりてくる重雄。
手ごたえを感じている。
男3、足早にくる。
重雄。
男3「(耳打ち)総理大臣がお会いしたいそうです」
重雄「なに?」
見る。ニヤリとして、
重雄「 ― よし、わかった!」
4.第一新聞社
部長、戻ってくる。
女子社員1、気づき、来る。
女子社員1「戸田さんから、中根重雄の周辺で動きがあり、至急応援をよこしてほしい
と、連絡がありました」
部長「今あいている記者は?」
女子社員1「それが、みんなではからって、誰もいないんです」
部長「ひとりも?」
女子社員1「はい、ひとりも」
女子社員3がうしろから、
女子社員3「あら?資料室に高梨さんがいたわよ」
振り向く部長。
5.第一新聞社・資料室
雪絵、ひとり考え込んでいる。
青ざめた表情。
部長、入ってくる。
雪絵。
部長「(怒っている)この忙しい時に、いつまでこんな所にいるつもりだ?」
雪絵。
部長「小林なんかは佐渡にまで行こうとしてるんだぞ。それなのに一番ガンバッてもら
わなければならない高梨君がこんなことじゃ…」
雪絵「(懸命に)部長」
部長「なんだ?」
雪絵「もし、東京に核爆弾があるとしたら、どうします?」
部長「ん?なんだ、やぶからぼうに ― 」
雪絵「もし中根哲男が中根重雄に復讐するために中根商事の下に核爆弾を埋めたとした
ら…」
部長「…言ってる意味がよくわからんな」
雪絵「つまり、中根哲男が南アフリカから核爆弾を買って、それを中根商事ビルの基礎
工事の時に埋めたとしたら…」
部長「え…!?ホントかっ、それはっ!?」
雪絵「いえ、これは完全に私の憶測です」
部長「なんだ。おどかすなよ」
雪絵「ですけど、南アと取り引きがあった時期と中根商事ビルが着工された時期はみご
とに一致していますし、しかも調べてみると、その時期は中根重雄が訪ソ中で、その
一時期だけは全指揮権が中根哲男にあったんです。ですから…」
部長「(少しあきれて)それだけで中根商事の下に爆弾を埋めただなんて、ちょっと考
え過ぎじゃないか?」
雪絵「そうかもしれません。ですけど、南アとの取り引きが中根重雄に内緒で行われた
と言うことは、その取り引きが中根重雄に知られてはまずいということで、つまり…」
部長「いやしかしねえ…」
雪絵「私には、あの中根哲男の書いた遺書のセリフが気になってしかたがないんです。
”もうこんな世の中に未練はない。死のう。ただひとつ心残りなのは、復讐できなか
ったことだ”という、あのセリフが私には中根哲男は従順ぶりを装っているけれども、
実は中根重雄に復讐する機会を狙ってるんじゃないかと思えてしかたたがないんです」
部長「いやだけど…」
雪絵「その可能性を一層強めたのが、中根哲男の唯一の身内である、実の母親を中根重
雄に殺されている事実です!」
雪絵、懸命に見る。
部長 ― 。
困ったように苦笑する。
部長「確かに推理としては面白い。事実関係をうまくつないでいて、さすが高梨君だと
思うし、もしかすると本当に中根商事の下には爆弾が埋まっていて、中根哲男は中根
重雄の命を狙っているのかもしれない。しかしだ!しかしどうしてその爆弾が核爆弾
である必要があるんだ?飛躍しすぎじゃないか?」
雪絵「普通の爆弾なら、わざわざ南アと取り引きすることはないと思います」
部長「しかし、南アには”核”なんかないはずじゃないかっ!南アは核保有国じゃない
ぞっ。核を保有している国は世界で5つだけ。アメリカ、ソ連、…」
雪絵、黙って一枚の紙片を差し出す。
部長「ん?」
受けとる。
雪絵「5年前の新聞です。その下の方に ― 」
部長、見る。
6.紙面
7.記事のアップ
8.第一新聞社・資料室
部長、驚いて雪絵を見る。
雪絵「(悲痛に)可能性がないとは言えないんです…」
部長。
雪絵「…確かに核を使ったという確証はどこにもありませんけど、ないという確証もど
こにも…。それに調べてみてわかったんですけど、中根哲男が南アと接触を始めたの
は、その新聞記事が発表された直後からなんです…」
部長「…(ス−ッと血の気が引いていく)」
雪絵 ― 。
部長「(懸命に)し、しかし、核を使うメリットはなんなんだ?核なんか使ったら中根
哲男だって…」
雪絵「”遺書”にあるように、復讐さえできれば、この世の中にはなんの未練もない、
と考えれば…」
部長「だけど、中根重雄ひとりに復讐するのに、核なんて持ち出すか?そんな必要があ
るのか?」
雪絵「ですから、可能性です。南アに核があるとは限りませんし、中根哲男が中根重雄
を裏切るかどうかもわかりません。そういう可能性もある、ということです」
部長「ウ−ム…で、そういう可能性はどれくらい…?」
雪絵「わかりません。でも、もし…」
と言ってハッとなる。
部長「もし、なんだ?」
雪絵「(見る)もし復讐する相手が中根重雄だけじゃなく、この日本に対して、日本人
に対してだったら…」
部長「…」
ハッとして見る。
9.中根商事・玄関先
部長と雪絵が、男3に訴えかけている。
部長「…ですから、調べるだけ調べてくれても…」
男3「何を寝ぼけたこと…。だいたい、あんたたち、何者なんだ?」
部長「私たちは第一新聞社の…」
男3「第一新聞社?(ジロリと見る)またあんたたちかっ、帰ってくれっ!」
部長「帰ってくれって…大変なことが起こるかもしれないんですよっ!あんたじゃ話に
ならないっ。会長に会わせてくれっ。中根会長にっ」
男3「(奥に)お客さん、お帰えりだよ」
部長「あっ、ちょっと…ちょっと待ってくれっ…」
と追いかけるが、
部長と雪絵の前に、いかつい男たちが立ちはだかる。
部長と雪絵「…」
10第一新聞社
部長、考えている。
― どうしたらいいんだ。思い切って報道するか? ― いや、そんなことしたら大パニッ
クだ。だいち確証は何もないじゃないか…。しかしもし、本当にあったら…どうすれ
ばいいんだ、どうすれば… ―
苦悩する部長。 ― フト見ると、
雪絵、何かに耐えるように、うつ向いている。心なしか、からだが小刻みに震えてい
る。
部長「…」
雪絵。
部長「(努めて優しい声で)どうして君は逃げないんだ?」
雪絵「(見る)」
部長「逃げようと思えばいつでも逃げられるはずじゃないか。今からでも遅くはない。
どうして逃げようとしないんだ?」
雪絵「わ、私は新聞記者ですし、それに…」
部長「(見る)…それに、何だ?」
雪絵「待ってるんです」
部長「待ってる?」
雪絵「はい。もしかしたら、小林君が何かつかんできてくれるんじゃないかと思って…
中根哲男から何かを…」
部長「小林か…」
電話が鳴る。
部長「(とる) ― はい。 ― (ハッとなる)小林かっ!?」
見る雪絵。
11.海岸沿いの公衆電話(夜)
広志、出ている。
広志「 ― あ、部長ですか?今、新潟の海岸なんです。これから佐渡へ向かうところです
けど…え? ― はい? ― え!?核が ― !?」
12.第一新聞社
部長「(電話に)いいか、よく聞けよ」
心配そうな雪絵。
13.海岸沿いの公衆電話
広志、真剣な表情でメモをとっている。
広志「 ― はい。 ― はい ― 」
*
不気味なほど穏やかな日本海。
*
広志「 ― はい、わかりました。何かわかりしだい、すぐに連絡するようにします。 ― は
い(切る)」
14.第一新聞社
受話器を置く部長。
雪絵 ― 。
15.首相官邸(夜)
首相と重雄、二人だけの会談。
重苦しい雰囲気 ― 。
重雄「それじゃ、どうあっても佐渡の経済的独立は認めないと、こうおっしゃるわけで すかな?」
首相「そうだ。そんなことを認めることは断じてできない」
重雄「それじゃ私にも哲男を説得する自信はないですな」
首相「(見る)」
重雄 ― 。
16.海を行く小さなボ−ト(夜)
広志がのっている。
17.首相官邸
首相「…それじゃ10年でどうだ?10年間政府関連の事業をすべて中根産業にまかせ
るということで」
重雄「それは、10年間、この中根に経済的特権を与えてくれる、という意味ですかな?」
首相「(見る) ― そうだ」
重雄「その場合の収拾のしかたは?」
首相「核はないことが判明し、中根哲男は国外逃亡、事件は解決 ― 中根哲男の受け入れ
先はすでに数ヶ国に打診してある」
重雄「(つとめて冷静に)フム…20年なら考えてもいいな」
首相「(にらむ。グッとこらえて) ― いいだろう」
重雄、ニヤッとして立ち上がる。
重雄「それじゃひとつ、哲男を説得してみましょう」
出て行く重雄の背中。
苦々しく見ている首相。
重雄、出て行き、ドア、バタンと閉まる。
首相 ― 。
18.走り去る車(夜)
19.車内
重雄。
フーッと一息つくと、
思わず笑みがこみ上げてくる。
― 勝った。
これで日本はオレのものだ ―
20.首相官邸
対照的に、疲れ切っている首相。
男A、勢いよく入ってくる。
男A「中根の通信網の盗聴に成功しましたっ」
首相「(力なく)いや、もういいんだ。すべて終わったんだよ…」
男A「…」
首相「…」
男A「とにかくここにもひとつ、操置を取りつけますので…」
首相「ああ…」
21.夜の海岸
小さなボ−トが上陸する。
広志、あたりをうかがいつつ、おりてくる。
広志「(つぶやく)意外にあっさり来れたな」
22.山道(夜)
広志、まわりを気にしつつ登ってくる。
不気味なほど静かだ。
広志「(つぶやく)おかしいなあ。誰もいないじゃないか。ここは本当に”事件”の中
心地なのかな?」
暗闇の中、中根邸が見えてくる。
広志 ― 。
23.中根邸・前
広志、来る。
あまりにひっそりしているので、とまどっている。
広志「おかしいなあ…(首をひねる)」
広志の目の前には、天をつくような、城壁のような壁が立ちはだかっているだけ。
広志、壁を見上げる。
24.しげみ
ひそんでいる自衛隊員。
広志に気づいている。
隊員A「何者でしょうね?」
隊員B「わからん」
隊員C「危険ですから、呼び戻してきましょうか?」
隊員B「いや、それはダメだ。命令があるまでは絶対に姿を現してはならん。中根哲男
を刺激するようなことは、いっさい、いかん」
隊員A、C、うなずく。
隊員B「とにかく今は様子を…ン!?」
ハッと見る隊員たち。
広志が壁にロープをかけている。
25.中根邸・前
広志、ロープを登っていく。
26.しげみ
見ている隊員たち。
広志、壁を登り切り、壁の向こう側に消える。
と同時に、
「アッ!」
という叫び声。
顔を見合わせる隊員たち。
27.中根邸・壁内
気を失って倒れている広志 ― 。
28.中根商事・会長室(夜)
重雄、勝利の美酒に酔っている。
備えつけのスピーカーから、声が聞こえてくる。
声「哲男社長との通話の準備ができました。いつでもお話になれます」
重雄「わかった」
重雄、受話器をとる。
重雄「 ― あ、哲男か?私だ。喜べ。作戦は成功した。 ― そうだ ― そうだ」
満足そうにうなずく重雄。
重雄「いいか?これから収拾のしかたを言うから、よく聞けよ」
29.佐渡・中根邸
電話に出ている哲男。
じっと聞いている。
かたわらの簡易ベットには、気を失っている広志が寝かされている。
哲男「…」
30.中根商事・会長室
重雄「…というわけだ。わかったな? ― オイ、聞いてんのか? ― オイ、 ― オイ、哲男ッ」
31.哲男
「(小さく)やっぱりオレは、使い捨てってわけか…」
32.重雄
「(聞きとがめて)どういう意味だ?」
33.哲男
「イヤ。さすがは会長だ。すべてが計算通り…すばらしいですよ、いや、すばらしい…。
ただ一つ、残念だったのは、ぼくがロボットじゃなかったってことですね」
34.中根商事・会長室
重雄「どういう意味なんだっ!えっ!?哲男!!」
男3、とび込んでくる。
男3「大変ですっ!通話が何者かに盗聴されていますっ!!」
重雄「なにっ!?」
35.哲男
目が、キラリと光る。
「(努めて落ち着いた口調で)つまり、会長の野望もここで終わりっていうことですよ。
ぼくの心の中まで読みきれなかったのが敗因ですね」
36.中根商事・会長室
重雄「しゃべるなっ!哲男っ!この電話は盗聴されているっ」
が、おかまいなく、受話器から声が流れてくる。
声「まあ、しかし、よくやりましたよ。核なんか初めからなかったくせに…」
重雄、ドキッ ― あわてて受話器をたたき切るが ― 。
男3。
重雄、ス−ッと血の気が引いていく。
37.佐渡・中根邸
哲男「…」
堅い表情。
― 静かに受話器を置く。
38.首相官邸
首相、盗聴機を前に、信じられない、という表情 ― 。
が、次第に自信がよみがえってきて、
首相「(つぶやく)墓穴をほったな…」
「うむ!」と力強く立ち上がる!
39.第一新聞社
飛び込んでくる記者A。
記者A「政府発表っ!核はなしっ!!」
振り向く部長。
雪絵。
40.新聞見出し
次々に重なる。
「核ナシ判明!」
「核はなし!!」
「核はナシ!!!」
*
「政府、中根通信網の傍受に成功 ― 」
41.中根商事・表(朝)
大勢の報道陣の中、手錠をかけられた重雄が連行される。
その苦り切った顔 ― 。
*
「中根重雄(中根商事会長)、緊急逮捕」
「企業犯罪を自白」
「事件、一気に解決へ ― 」
42.第一新聞社
部長「(電話に叫んでいる)全部出せっ!全部だっ! ― そう、飛ばせるヘリコプタ−は
全部 ― 決まってるだろうっ!佐渡へだっ!!」
電話、切る。
回りに、
部長「トップはあけとけーっ!!号外の用意も怠るなーっ!!」
部長、忙しく動き回る。
部長につきまとうように雪絵、来る。
雪絵「(不安そうに)核がないって、どういう意味なんでしょうか?」
部長「(見る)どういう意味って?」
雪絵「中根重雄にとってないのか、それとも中根哲男にも、ないのか…」
部長「ないっていうんだから、ないんだろうっ」
雪絵「しかし万一…」
部長「万一なんだっ」
雪絵。
部長「信じるしかないだろう。核はない、といってるんだ。信じるしか…」
部長、行く。
部長「ほらそこっ!ボヤボヤしてんなよっ!ここがブン屋の腕の見せ所だぞっ」
雪絵「…(よぎる不安)」
雪絵、フト、机の上の”手紙”に気づく。
差し出し人を見ると、
”石山浩三”
雪絵 ― 。
43.佐渡へ向かうヘリコプター
44.中根邸へ急ぐ警官隊
45.同じく自衛隊
46.中根邸・前
続々と詰めかける自衛隊、警官隊。
門に対峙して戦車も並んでいる。
47.気を失ったままの広志
遠くから次第に意識がよみがえってくる。
薄く目を開ける。
見知らぬ場所。
誰かが自分の手帳を読んでいる。
次第にハッキリしてきて ―
48.中根邸・中
広志、起き上がる。
― そうか…あの時、何かに感電して… ―
哲男、気づく。
広志。思わず身構える。
哲男「君は記者だな?」
広志、見る。
哲男「よく調べてある」
手帳を投げ返す。
広志 ― 。
と突然 ―
ド−ン、という轟音。
ビックリしてはね起きる広志。
哲男「(小さく)きたか…」
広志、窓にかけ寄る。
(窓の外)数台の戦車と、中根邸を包囲している大軍。
頑丈な門が噴煙を上げている。戦車が砲撃したのだ。
広志「…(息をのむ)」
驚いて振り返る。
広志「これは一体…」
哲男、テレビのスイッチを入れる。
49.テレビ画面
中根邸が映し出されている。
アナ「核爆弾がないことが判明し、中根重雄の緊急逮捕、今まさに事件は終えんをむか
えようとしております…」
50.中根邸・中
広志「…」
哲男。
51.同・外
アナ「しかしさすがに中根邸。世界の最高水準を誇った中根建設の建築技術の粋を集め
て作られたと言われるこの豪邸 ― 一発の砲撃ではビクともしません」
再び戦車の砲門が火を吹く。
52.同・中
轟音とともに激しい衝撃。
うろたえる広志。
哲男。
53.同・外
門が半壊している。
さらにもう一発!
門 ― 全壊。
アナ「今、門が破壊されました ― これから警官隊が突入します ― いや。 ― いや、しませ
ん、しません」
紙を受け取る。
アナ「ただいま新しい情報が入りました。中根邸には人質がいる模様です ― くり返しま
す…」
それがそのまま、テレビ画面におさまって ―
54.第一新聞社
テレビ。
アナ「中根邸には人質が…」
大忙しの社内。誰もテレビなんかは見ていない。
が、ひとりがフト気づき、叫ぶ。
「人質って、小林のことじゃないかっ!?」
社内、一瞬シ−ンとなり、
次の瞬間、大騒ぎになる。
部長も心配そうにテレビに目をやる。
だがその中で、雪絵だけひとり、”手紙”を手にしたまま、顔面そう白になって、立
ちつくしている。
テレビ(アナ)「人質の身元は確認されていませんが、昨夜、中根邸に侵入を試みた模
様で…」
部長、不安になり、
部長「高梨君!」
と振り返るが、
雪絵、顔面そう白のまま、部長を見る。
部長「どうした?高梨君」
雪絵、手に持っている手紙を部長に渡す。
雪絵「中根哲男の手紙です。祖父母にあてた…」
部長、けげんそうに見るが ― 読んでみる。
手紙「 前略
突然のお手紙、お許し下さい。私、わけあって名を名のれない者ですが、石山ご夫
婦のことは、常日頃、気にかけております。…」
読んでいる部長。
声「…ぶしつけで失礼かと思いますが、もしよろしければ、同封いたしましたカ−ドを
使って海外旅行でもなさってきて下さい。しばらくは日本も治安が悪くなると思いま
すので、海外ですごされるのも良いかと思います…」
雪絵。
声「…ただし、くれぐれも申し上げておきますが、向こう5年は、少なくとも2年は、
東京、いや、関東地方には足を運ばないで下さい。大変危険な目に会われる可能性が
あります。
何者かもわからぬ者の言うことで、いぶかしいとはお思いでしょうが、だまされたと
思って、とにかく東京には…」
声「とにかく東京には…」
部長 ― 顔面そう白。雪絵を見る。
雪絵 ― 。
55.中根邸・中
哲男「人質っていうのは、どうやら君のことらしいな」
広志「…」
哲男「安心しろ。君をまきぞえにしようとは思わない」
広志。
哲男「地下に抜け穴がある。そこを行けば君が上陸した砂浜に出られるはずだ。(が、
フッと笑って)君にはそんな必要はないか。玄関から出ていけばいいんだからな」
広志「 ― あなたは?」
哲男「私は逃げない」
広志。
哲男「私には切札があるんだ」
広志「切札?…(ハッとする)まさか…!?」
哲男 ― 。
間。
哲男「ああ、君の読みの通りだよ」
哲男、ポケットからハンドタイプのスイッチを取り出す。
哲男「このボタンを押せば東京はふっとび、日本は終わりだ」
広志 ― 衝撃。
56.第一新聞社
部長「(電話に叫んでいる)核ですよっ!核爆弾!核爆弾が東京にあるんですよっ、中
根商事の下にっ。 ― え? ― 私は第一新聞社の山村という者だ。 ― いたずらじゃないっ。
本当なんだっ ― あんたじゃ話にならないっ。上の人を ― (ガチャ)」
電話切られる。
部長「…」
雪絵、それを見て飛び出して行く。
57.同・表
雪絵、出てくる。
タクシーをつかまえ、乗り込む。
雪絵「国会議事堂へ!急いでっ」
58.中根邸・中
広志「どうしてですか?あなたの敵は中根重雄ただ一人のはずだ。罪のない大勢の人
を巻ぞえにすることはないじゃないですかっ」
哲男「罪のない? ― そうだ。みんな罪の意識なんかなにも感じちゃいない。中根をはじ
め、みんな、当然のようにオレを…君にはわからんっ!」
広志。
哲男。
広志「(懸命に)しかし、」
哲男。
広志「確かにひどい目にあってきたかもしれないですけど…」
哲男。
広志「死ぬんですよっ。人が、たくさんの人が…」
哲男「(見る)だからどうだというんだ」
広志「だ、だから…」
哲男「…よし、それじゃ賭けをしよう」
広志「賭け?」
哲男「そうだ。 ― もし、君たち日本人が、日本国家が、私を”逮捕”にだぞ ― それなら、
このスイッチは押さない」
広志。
哲男「私は何も武器を持っていない。どうだ?普通の日本人だったら、必ず”逮捕”に
くるだろう」
広志。
哲男「しかしもし、私が無国籍者だということで、無国籍の私の存在が目障りだという
ことで、あくまで私を排斥しようと、”殺し”にきたなら、”射殺”しに来たなら、
その時は、私の命とともに、日本の命も ― 」
広志「…」
間。
広志「だけど、逮捕されたって死刑になるかもしれないじゃないですかっ。それだった
らいっそここから…」
哲男「普通の人たちと同じように扱ってもらえたらそれでいいんだ。私はどこへも逃げ
ない ― 」
広志「 ― 」
哲男 ― 。
テレビからアナの声、もれてくる。
声「…ただいま新しい情報が入りました。人質救出のために、特別隊が組織されている
模様です。くり返します。ただいま…」
59.中根邸・外
隊から離れた片すみで、上官が特別隊四人に命令を下している。
上官「人質を救出するフリをして中根哲男を射殺しろっ!その際、人質がどうなっても
かまわん。首相の命令はただ一つ ― 中根哲男を消せっ!」
隊員たち。
上官「わかったな」
隊員たち「はいっ!」
60.東京・走るタクシー
雪絵「急いでっ。お願い。急いでっ!」
ラジオからアナの声が流れている。
アナ「…あっ、今、特別隊が突入しましたっ!」
雪絵 ― 思わず顔をおさえる。
61.中根邸・前
特別隊、侵入していく。
62.同・中
哲男「来たな」
広志、振り向く。
テレビカメラの一つが、侵入してくる特別隊を映し出している。
広志「…」
突然 ― 、
広志、哲男に飛びかかる。
哲男、ハッと身をかわす。
懸命にスイッチを奪おうとする広志。
奪われまいとする哲男。
もみあう二人。
哲男、広志を蹴り飛ばす。
哲男「これ以上近づけば、スイッチを押すぞっ!」
広志「…」
哲男 ― 。
見ている広志。
― 何を思ったのか、ダッ、と飛び出していく。
63.同・廊下
特別隊が駆けてゆく。
逆方向に人影が現われ、一瞬止まるが、
(広志がかけてくる)
哲男でないことがわかると、再びかけだす。
広志「(懸命に)やめろーっ!やめるんだーっ!!」
からだを張って止めようとする広志。
だが隊員、そんな広志を銃で払いのけ、
駆け抜ける。
広志、はじき飛ばされ、壁に激しく頭を打ちつけ、気を失う ― 。
64.同・部屋
哲男、思いつめている。
65.イメ−ジ
わき上がるキノコ雲。
声「死ぬんですよ。人が、たくさんの人が…」
66.哲男
67.イメ−ジ
わき上がるキノコ雲。
声「人が、たくさんの人が…」
68.部屋
哲男 ― 。
思いつめている。が ― 、
― 押せばいいんだ。このスイッチを押せば… ―
右手にしっかり握った、核爆弾の発火スイッチ。 ― かすかに震えている。
― こんな世の中に未練はない。こんな日本に…押せばいいんだ。ただ押してしまえば … ―
と、そこに特別隊、なだれこんでくる。
ハッと見る哲男。
目にとびこんでくる隊員たちの小銃。
― よみがえる過去のおもい。
(以下、ものすごく遅いスロ−モ−ションとなり ― )
哲男の鼓動 ― 。
69.回想(役所)
6才の哲男。
その手をしっかりつないでいる母。
必死に役人に頼んでいる。
母「来年はこの子も小学生なんです。せめて学校だけでも…」
役人「そんなこと言われてもねえ…その子、日本人じゃないんだろ?」
70.哲男
71.回想
10才の哲男。中根に引っぱられるように連れていかれる。
ただ泣いて見ている母。
哲男「(泣きながら)ママーッ!ママーッ!!」
72.哲男
涙があふれてくる。
73.回想
12才の哲男。子供たちに石をぶつけられている。
子供たち「ヤーイ、あいの子!あいの子!!」
哲男、仁王立ちして、その石を受けている。
からだのあっちこっちから血がしたたる。
あふれだす涙。
哲男「オレだって…オレだって、(絶叫)日本人なんだぞーっ!!」
74.哲男
涙が頬を伝わり、絶叫、
「チクショ−ッ!!」
と、ボタンに指がかかり、まさに押そうとした瞬間 ―
一発の銃声がして、
偶然にも、
押そうとした指がフッとび ―
なくなった指先が、
むなしく、
ボタンを空振りする ― 。
75.部屋
(スロ−モ−ション、一気にとけ)
小銃の乱射。
哲男、はちの巣にされて、壁にはりつけにされる。
乱射が終わると ― 、
哲男のからだ、ゆっくり地におちる。
ホッとする隊員たち。
哲男 ― 。
(遠くから、沸き上がる歓声、静かにかぶってくる。歓声、静かに盛り上がりつつ、以
下に続いて ― )
76.中根邸・俯瞰図
ロングになりつつ、
新聞見出し「(かぶる)”事件”解決 ― 」
77.佐渡全景
ロングになりつつ、
小見出し「ケガ人0 ― 」
78.日本・中心部
ロングになりつつ、
見出し「特殊部隊、大活躍 ― 」
79.日本全景
ロングになりつつ ―
大見出し「日本国民の大勝利!!」
歓声、圧倒的に盛り上がりをみせ ―
*
突然、プツンと消える。
80.第一新聞社・屋上(夕方)
その紙面を無表情に見ている広志。
間。
広志、突然、ビリビリとそれを破っていく。
風に飛ばされていく紙片。
雪絵「今、核爆弾が本当にあることがわかって、大騒ぎしてるわよ」
広志、見る。
― が、視線をはずして、手すりにもたれる。
広志「(ポツリと)国籍って、何でしょうね」
雪絵、広志の隣にくる。
真赤に染まる夕焼け。
広志「ほんの少しの国土を争って戦争したり、」
81.カット
国境紛争。
82.屋上
広志「国境を越えようとして命を落としたり、」
83.カット
国境を越えようとして射殺される若者。
84.屋上
広志「誰もがみんな、生まれた国の国籍を背負って生きていかなければならない。貧し
い国に生まれた人は貧しいまま ― 」
85.カット
飢えに苦しむ人々。
86.屋上
広志「豊かな国で生まれた人は豊かなまま ― 」
87.カット
豪華なパーティーを楽しむ人々。
88.屋上
広志「 ― まるで、昔の身分制度みたいですね」
小さな笑みを浮かべる。
雪絵 ― 。
間。
雪絵「(ポツリと)辞めたんだって?」
広志「(見る) ― はい。(ちょっと笑って)先輩に追いつきたかったんですけど、ぼく
にはもう…」
雪絵「奇遇ね。実は私も今日限りで ― 」
広志「え?」
驚いて見る。
広志「どうして…?」
雪絵「(微笑)なんだかもう、疲れちゃって…」
広志。
雪絵「しばらくは、のんびりした仕事がしたいと思って…」
広志「何やるんですか?」
雪絵「まだ全然…」
広志「ぼ、ぼくも先輩についていって、いいですか?」
雪絵「(見る。 ― 微笑)ええ、もちろん」
広志「ホントですかっ!?」
雪絵「それじゃ転職について、二人でじっくり考えましょうか」
広志「はいっ」
二人、楽しそうに戻っていく。
場面、そこで ― ストップ。
真赤に染められている屋上。
文字が打ち出される。
― 中根哲男 性別 男
1949年 5月 16日 生まれ
1985年 5月 24日 死去
享年 36歳 本名 ナシ 本籍 ナシ 国籍 ナシ … ―
*
荘厳な落日 ― 。
(終)
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