「栄光なき天才たち」

― 鈴木商店・世界への挑戦 B 米騒動と西川文蔵 ―

 作.伊藤智義


1.神戸 鈴木商店本店
 N「大正6年、ついに頂点をきわめた鈴木商店は、大正7年に入ってもその勢いは衰
  えることを知らなかった。
   この時、この鈴木商店がこの年、歴史的な大騒動に巻き込まれようとは、まさか
  誰も考えつかなかったであろう。しかしただ一人、支配人西川文蔵だけは、危険な
  兆候を敏感に感じ取っていた」

2.同・重役室
 ― 大正7年 夏 ―
 金子「銀行!?」
 西川「そうです。三井に三井銀行、三菱に三菱銀行。しかし鈴木には鈴木を支える機
  関銀行がない」
 金子「いかんいかん。他人(ひと)の金を動かすだけで利潤を上げる商売など商売と言
  えん」
 西川「しかし」
 金子「わしは絶対銀行だけはやらん」
 西川「ならば、戦線を縮小しましょう。不良業種は思いきって切り捨てて…」
 金子「なぜだ?新しい事業はすべて日本のため、国家のためじゃ。資源の乏しい日本
  がこれから生きていくためには工商立国にならねばならん。それを今、国家に代わ
  って鈴木がやってるんじゃないか」
 西川「それはわかっています。しかし」
 金子「今はたとえ不良業種といえども、将来必ず国家を支えるもととなるはず」
 西川「しかしっ」
 金子「国家のためじゃよ。それがひいては鈴木のためでもある」
 西川「 ― 」
   *
 N「金子は、当時の緊急を要した国家目標“富国”つまり“産業自立”を自分の使命
  としていた。商社の情報能力をフルに活用して“超”多角化戦略を展開、巨大な工
  業集団を作り上げていたのである」

3.イメージ
  鈴木商店を中心に、傘下の各企業。
  神戸製鉄所、定刻人造絹糸(→帝人)、帝国麦酒(→サッポロビール)、豊年製油、
  日本セメント、…総数約60社。

4.支配人室
  考えにふけっている西川。
 ― しかし、事業には金がかかる。今の鈴木なら確かに苦にならないが、戦争は永遠
  に続くわけじゃない。この景気もいつか終わる。その時… ―
 声「…支配人。…西川支配人!」
  ハッと我に返る西川。
  秘書A(男)、来ている。
 秘書A「手紙、届いてますけど、ロンドンの高畑支店長から…」
 西川「ああ、そうか。ありがとう」
  受け取る。
  開封して見る西川。
  自分の席に着く秘書A。
 秘書A「(書類を整理しつつ)高畑さん、何て言ってきてるんですか?」
 西川「台湾銀行の借入金に頼っている鈴木の現状は危険だから、株式を公開して自己
  資金を調達すべし。(苦笑して)私よりも過激だ」
  時報の鐘が鳴る。
 西川「(時計を見る)12時か…どうだ?昼メシ一緒に」
 秘書A「はい、ご一緒します」
  立ち上がる西川。 ― その時、「ウッ」と胃に痛みが走る。
  胃をさすりながら、
 西川「今日は外で食おうか」

5.街
  ブラブラ歩いている西川と秘書A。
 秘書A「最近よく胃のあたりをさすってますけど、具合でも悪いんですか?」
 西川「いや、大したことはないよ」
  そこに、
 声「売れないやと!?」
  見る西川と秘書A。
   *
  米屋。
  もめている店主と客。
 客「あんたんとこは米を売るのが商売やろ?」
 店主「ないものは売れんのや」
 客「ふざけるんやない!出し惜しみしおって!」
 店主「出し惜しみなんかしとらん!上から回ってこんのや」
 客「なんやとお!」
   *
 西川「米不足か…」
  再び歩き出す二人。
 秘書A「相当深刻みたいですね」
 西川「鈴木もずい分外米を輸入したりして頑張っているんだが、まだまだ追いつかん
  ようだな」
 秘書A「(軽い口調で)裏で誰かが操作しているんじゃないでしょうかね」
 西川「誰が?」
 秘書A「例えば…三井とか…」
 西川「(見る)…まさか」
  と言うが、少し気にかかる。
  そこに、
 声「すべての元凶は鈴木である!」
  見る二人。
   *
  街角。
  男が演説している。
 男「鈴木は我々民衆が米不足で困っているというのに、こともあろうに、その米を海
  外に輸出しているのである!」
  聞いている人々 ― 「?」
 聴衆1「なぜ鈴木はそんなことをするんだ?」
 男「米の量を減らして、値をつり上げるためである!」
 「なんだってー!?」
  ザワめく聴衆。
   *
  あっけにとられて見ている西川と秘書A。
 西川「なんだ、あれは?」
 秘書A「さあ」
  首をひねる秘書A。
 秘書A「しかし心配することなんかないんじゃないですか?あんな浮浪者みたいな男
  の言うことなんか、誰も本気にしないですよ。第一、鈴木は何も悪いことなんかし
  てないんですから」
 西川「…」
  ― 胃をさすっている。

6.支配人室
  西川 ― 考え込んでいる。
 「ウーム…」と、うなって、
  西川、手紙の用意をする。
 手紙「(書かれていく)
    前略 高畑誠一殿
   最近の世の中の動きは…   」

7.社員食堂
  秘書Aと社員B。
 社員B「えっ!?毎月1回も!?」
 秘書A「うん。鈴木の現状を逐一高畑さんに報告している」
 社員B「そりゃ逆じゃないか?高畑さんが西川さんに…」
 秘書A「いや、そうなんだ」
 社員B「どうして?高畑さんは確かに大物かもしれないが、西川さんと比べたらまだ
  まだ格が違う。年だって15は離れてるぞ」
 秘書A「鈴木はやがて金子さんから西川さんへ、そして高畑さんへと受け継がれてい
  く。それは間違いない」
 社員B「(うなずく)」
 秘書A「しかし金子さんと高畑さんじゃ、考え方が全く違うんだ。世代が違うってい
  うか…」

8.イメージ
  金子。
 秘書Aの声「“日本一の煙突男”と異名をとる金子さんは次々と新事業を始め、徹底
  的に拡大路線をつっ走るし、」

9.イメージ
  高畑。
 秘書Aの声「世界商業の中心地ロンドンに身を置く高畑さんは、鈴木の旧態依然とし
  た状態を痛感し、徹底した合理化をつきつけてくる」

10.社員食堂
 秘書A「西川さんは、その溝を埋めようと必死なんだ」
  社員B。
 秘書A「でも二人ともガンコだからな。逆に自分の主張をガンガン西川さんにぶつけ
  てくる」
  社員B。
 秘書A「まあ、金子さんにしてみれば、鈴木イコール金子であり、高畑さんにしても
  鈴木を支えているのは自分だという自負がある」
 社員B「それなら西川さんだって、西川こそ鈴木…」
 秘書A「(首を振り)西川さんは、そういう人じゃない。損な性格だよなあ…」
 社員B「…」
  そこに社員C、あわててやって来る。
 社員C「オイ、今日の朝日、見たか?」
  二人、見る。
 秘書A「いや」
  社員C、持ってきた朝日新聞を広げる。
  見る二人。
 見出し「愈々(いよいよ)朝鮮米の売出し
     大阪では五日から毎日二千石宛(ずつ)
     公設市場と『心得ぬ』鈴木商店」
 秘書A「『心得ぬ』鈴木!?」
  ビックリする二人。
   *
 N「大阪朝日は米不足の元凶は鈴木にあると断定し、一大キャンペーンを張った。こ
  とあるごとに鈴木を攻撃し、“鈴木=悪徳商店”のイメージを民衆に植えつけてい
  った」

11.次々に重なる新聞記事
 N「しかしこの時期、実際に米の積み出しをし買い占めていたのは、天下の三井であ
  った」

12.港(夜)
 ― 明石沖 ―
  ピストルで非常警戒している三井物産の社員。
 「オイ、早くしろ!」
  積み込みを急ぐ社員。
 N「既成財閥三井はしたたかだった。阪神地区で米の積み出しをしたその日、東京に
  おいて、もっともらしく救済資金の寄付を申し出たのであった。
  当時の新聞は三井については一言も言及していない」
  ひそかに出航していく三井の汽船。
 N「それに引きかえ、新興鈴木は、あまりにも無防備だった」

13.鈴木商店・表
  多くの人々が詰めかけ、店員と押し問答をくり返している。
 「米を売れ!」
 「売れない」
 「売り惜しみする気か!」
 「在庫はすべて市場に出している!」

14.重役室
  金子につっかかっている西川。
 西川「今こそ鈴木の正当性を主張すべきです。相手が新聞で鈴木を叩こうとするなら、
  こちらも新聞を使って…」
 金子「放っておけ。鈴木は何も悪いことはしていない」
 西川「しかし世間では…」
 金子「鈴木が潔白であることは眼のある人なら知っておる。寺内閣下もそうだし、大
  臣諸公もみなわかってくれておる」
  西川 ― 絶望的な表情を見せる。
 西川「東京ではともかく、この神戸では…」
 金子「鈴木は大きいぞ。神戸だけでも50近い事業所がある。そこで働く人を全部合
  わせたら、何万人にもなろう。そういう連中が、鈴木の平素のやり方を知っておる。
  世間もおっつけ、そういう連中を通して本当のことを知るはずだ。だから、鈴木は
  感謝されても怨まれることはない」
 西川「 ― 」

15.支配人室
  西川。
  ― 金子さんは何もわかっていない。いまは鈴木が大きいから危険なのだ。何より
   も目標になりやすい。この激動する社会の中では、正しいとか、正しくないとか、
   そんなことは何の力にもならないのだ ―

16.鈴木商店の特設米販売所
  炎天下、長蛇の列ができている。

17.街角1
  男1が演説している。
 男1「諸悪の根源は鈴木にある!」

18.米を求めて並んでいる人々

19.街角2
  男2が演説している。
 男2「悪いのはすべて鈴木である!」

20.並んでいる人々
  男3、自分の番が来たところで、売り切れ。
 店員「すみません、今日はここまでです」
 「えっ」と見る汗だくのその顔 ― みるみる怒りがこみ上げてくる。

21.支配人室
  西川。
 ― 何とかしなければ…大変なことになる ―
  と立ち上がった瞬間、胃に激痛が走り、崩れるように倒れる。
 秘書A「(ビックリ)西川さん!」

22.西川家・寝室
  寝かされている西川。
  医者が来ている。
 医者「(西川の妻に)ずい分胃をやられているようです。おそらく胃潰瘍でしょう。
  食事制限と、安静が必要です」
   *
 N「しかし西川には、身体(からだ)を休める暇などなかった」

23.夜更けの街
 N「大正7年8月12日夜、ついに民衆の怒りは爆発した」

24.砕け散る窓ガラス

25.襲われる米屋A

26.襲われる米屋B
   *
  暴徒と化した群集が店内をめちゃくちゃに破壊する。
 N「近代日本の歴史上、最大の民衆運動の一つ、米騒動。
  暴動は神戸で頂点に達した。それはそこに鈴木商店があったためといわれる」
  一人が叫ぶ。
 「次はスズキだあっ!」
 「オウっ!」
  暴徒と化した人々が、ドドーっと通りを下っていく。

27.鈴木商店
  迫りくる大群衆。

28.同・店内
  おびえている社員。
  その顔 ― 恐怖心、一気に高まって ―

29.西川家・寝室
  病床の西川、はね起きる。
 「なにっ!?鈴木が焼き打ち!?」

30.夜の道を、
  急ぐ西川と秘書A。
 西川「金子さんは?」
 秘書A「実家に不幸があったとかで、土佐に向かわれました。数日は帰ってきません」
 西川「そうか」

31.鈴木商店
  来る西川。
  すでに火の手が上がっている。
 西川「…(ショック)」
   *
 男1「(群集に向かって)これは天罰である。国賊鈴木に天罰が下ったのである!」
  拍手かっさいの群集 ― 興奮状態。
   *
  西川 ― 、
 「どけっ!」
 と群集をかき分け、店内に入っていく。
 秘書A「あ、西川さん!」
  あとに続く社員たち。

32.同・中
  メラメラ燃えている。
  その炎の中で西川、懸命に指示。
 西川「重要書類は何としても運び出すんだ!それと、それっ!それから…」
 秘書A「危ないっ!」
  柱が1本、崩れ落ちる。
  間一髪飛び出していく西川。

33.同・表
  書類を抱えたまま呆然となっている社員たち。
  西川。
   *
  燃え上がる鈴木商店。
   *
  見ている西川。
   *
  燃え上がる鈴木商店。
   *
  あちこちで湧き上がる歓声、拍手。
   *
  西川。
  ― やり場のない憤りがこみ上げてくる。

34.列車内
  知らせを受ける金子。
 N「鈴木焼き打ちの知らせを車中で聞いた金子は、一言、『そうか』と言っただけで
  あったという」

35.燃え上がる鈴木商店
 N「確かに鈴木はこの程度のことではビクともしなかった。翌大正8年には、GNP
  の一割にも当たる16億円という日本経済史上空前の貿易年商をあげることになる
  のである」
  苦渋に満ちた表情で見ている西川。
 N「しかしこの三ヶ月後には第一次大戦終結。時代は確実にターニング・ポイントを
  迎えていた」
  音をたてて崩れていく鈴木商店。
 N「そして大正9年4月、心身ともに疲れ果てて西川は、わずか47歳で急逝する」

36.神戸の夜に ―
  いつまでも燃え続ける炎。
 N「大きな支えを失った鈴木商店は、以後、急速に傾いていくのである ― 」


 (B・終)


  C 一瞬の光芒


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