「栄光なき天才たち」

― 特別シリーズ・近代日本の科学者群像@「北里柴三郎@」 ―

 作.伊藤智義


1.N(ナレーション)「日本の近代化がスタートしたばかりの明治中期、医学界には
  早くも巨人が出現する。彼は自分自身のみならず、日本の医学界をも一気に世界の
  トップに引きずり上げる」
 
2.イメージ
  北里柴三郎(1852−1930)
 N「北里は、その存在自体が一つの奇跡であった ― 」

3.大学
 ― 1888年(明治21年) ドイツ ベルリン大学 ―

4.研究室
  一つのシャーレをじっと見つめている一人の日本人。
 ― 北里柴三郎(37) ―
  シャーレには培養した細菌がコロニーを作っている。
  そこにまた、一人の日本人が来る。
 ― 森林太郎(森鴎外)(27) ―
 森「北里さん、がんばってますか?近くまで来たんで寄らせてもらいましたよ」
 北里「おお、森君」
 N「北里は鴎外より10歳年上だが、二人は医学の勉強のために同じ頃、同じドイツ
  に留学している(ちなみに北里は内務省、鴎外は陸軍の管轄である)」
  森、シャーレをのぞき込み、
 森「今は何の研究をしてるんですか?」
 北里「破傷風菌だよ。純粋培養しようと思ってるんだが、どうもうまくいかなくてね」
 森「(あきれ顔)当たり前ですよ。多くの研究の結果、破傷風菌は単独では培養でき
  ず、他の細菌との共生によってのみ培養することができる新しい菌種であると報告
  されているじゃありませんか。これだって共生なんでしょ?」
 北里「それはそうなんだが…どうも引っかかってね。コッホの三原則の一つにも細菌
  を同定するためには純粋培養が要求されているし…」

5.図説
 ◎コッホの三原則
  あるひとつの病気の原因として、ある特定の、ひとつの細菌が決定づけられるため
  には、次の三つの条件が満たされねばならない。
  @特定の病気について、常にその特定の細菌が見つかること。
  A体の外で、その特定の細菌が培養しうること。
  B健康体に、その特定の細菌を入れると、その特定の病気が起こること。
 N「1881年にコッホにより提出されたこの三原則は、まさに近代医学の幕を開く
  記念碑的業績であった。このコッホの三原則という武器を手に入れた医学界は、こ
  ぞって細菌狩りを始める」
  (表)
   1876年 コッホ (独)    脾脱疽菌の培養
   1879年 ハンセン(典)    癩菌の発見
   1879年 ナイサー(独)    淋菌の発見
   1880年 エーベルト(独)   腸チフス菌の発見
   1880年 ラヴラン(仏)    マラリア病原虫の発見
   1881年 コッホ (独)    連鎖状球菌の発見
   1882年 コッホ (独)    結核菌の発見
   1883年 クレープス(独)   ジフテリア菌の発見
   1884年 コッホ (独)    コレラ菌の発見
   1884年 ニコライエル(独)  破傷風菌の発見
   1885年 エシュリッヒ(独)  大腸菌の発見
   1886年 フレンケル(独)   肺炎球菌の発見
   1887年 ワイクセルバウム(独)脳脊髄膜炎菌の発見

 N「こうした細菌学の興隆のまっただ中、ドイツに、しかも細菌学の始祖コッホのも
  とに、北里はやってきていたのである」

6.カフェ
 北里「日本に帰る?」
 森「ええ、もう留学期間も終わりますからね」
 北里「そうか…もうそんなになるんだな、ドイツ(こっち)に来てから…」
 森「日本に帰って、今度は私が日本に尽くす番です。留学生の本分はすべて“日本の
  ため”にあるわけですからね」
  うなずく北里。
 森「北里さんはどうされるおつもりですか?」
 北里「(見る)私は…いや、私はまだ帰れない。今のままでは…もうしばらく任期を
  延長してもらおうと思っている」
  森。
 北里「いや、私だって日本のことを考えていないわけじゃない。ただ、今帰ったって
  私には何も…」
 森「(ちょっと笑って)そんなことはわかっていますよ。北里さんが日本を嫌って逃
  げ出すわけがない。北里さんが日本の将来のことをよく考えているのは私にもよく
  わかっています」
 北里「日本を嫌って逃げ出すか…そいつはひどいなあ。たとえドイツを嫌って逃げ出
  すことはあっても…」
  北里、ハッとなる。
 北里「(つぶやく)嫌って逃げ出す…」

7.回想
  シャーレ。
  集落(コロニー)は寒天培地の表層にはなく、深部にのみ形成されている。

8.カフェ
 北里「(思わず立ち上がる)そうか、わかったぞ!」
  見る森。
 北里「森君。日本に帰ったらよろしく頼む。私はやはりもうしばらくこっちで研究を
  続けるよ」

9.研究室
  一心不乱に実験装置を組み立てていく北里。
 ― 私の想像に間違いなければ…おそらくは… ―

10.教授室
  北里、来る。
 北里「コッホ先生、成功しました。ついに」
  そう言って一本の試験管を見せる。
  顔を上げるロベルト・コッホ(46)。
 コッホ「成功したって、何がだね?」
 北里「破傷風菌の純粋培養です」
 コッホ「破傷風菌の純粋培養?(顔が曇る)あれは確かフリュッゲ(ゲッチンゲン大
  学)の報告によると、単独には培養できないとあったぞ。まさか君が…」
 北里「いや、しかしですね」
 コッホ「(なだめるように)まあ君の気持ちもよくわかるよ。遠くアジアの果てから
  このドイツにやってきて、何か功を上げたいという気持ち、よくわかる」
 北里「いや、あの…」
 コッホ「しかしね、研究というものはそういうもんじゃない。もっと地道な…ま、日
  本という国からやってきてまだ何年もたっていないんだからしかたないのかも知れ
  ないが、この際一つ覚えておきたまえ。研究者として一番大切なこと、それはまず
  実験事実に謙虚であるということ。わかったかね?」
 北里「…」
  *
  コッホ。
  ノックがして再び北里、来る。
 コッホ「何だ、また君か…」
  北里、今度はシャーレを持ってきている。
 北里「これが培養した菌です」
  シャーレを机の上に置く北里。
  コッホ、仕方がないなという表情でそれを手に取ってみる。
  と、その表情がけげんなものに変る。
  北里。
 コッホ「…(真剣な表情になっている)」

11.実験室
  来るコッホと北里。
 コッホ「(研究者Aをつかまえ)おいキミ、ちょっとこれをマウスに接種してみてく
  れないか」
 研究者A「(シャーレを受けとり)はい」
  *
 ― 翌日 ―
  全身ケイレンさせているマウス。
 コッホ「ウーム、間違いない。破傷風の典型的な症状だ」
  北里。
 コッホ「いやあ、すまなかった北里君。私の非礼をおわびするよ。そして改めて、お
  めでとうと言おう」
 北里「ありがとうございます。先生」
  ガッチリ握手する二人。
   *
 コッホ「でもこれは一体どういうことなんだ?説明してくれないか?誰もできなかっ
  た純粋培養が、君にはできたということを」
 北里「結論だけ言いますと、実に簡単なことです。破傷風菌は嫌気性の細菌だったの
  です」
 コッホ「嫌気性?」
 北里「はい。私はまずフリュッゲの実験の追試から始めました。そしてフリュッゲの
  報告どおり、破傷風菌は共生的にしか培養されないことを確認しました。しかしそ
  の時、不思議な現象が目についたんです。コロニーがなぜか培地の底の方にしかな
  くて、表面には一つもできていなかったんです。そこで思ったわけです。もしかす
  るとこの菌は空気中では生存できないんじゃないかと」
  うなずくコッホ。
 北里「そこで次に水素下で培養してみたわけです」
 コッホ「それがあれだったわけか…」
 北里「はい」
 コッホ「ウーム…すばらしい。すばらしいよ、北里君」
  惜しみない賞賛を送るコッホ。
  北里。
 N「1889年(明治22年)、世界の医学史に忽然と日本人の名前が登場する ―
  北里柴三郎。それはまさに世界の驚きであった」

12.研究室
 N「しかし北里は、それで満足するということはなかった」
  黙々と実験を続ける北里。
 N「独得の濾過装置を考案し、破傷風症の真の病因が破傷風菌の産生する一種の毒素
  であることを、さらに突きとめる」
  実験結果に満足そうにうなずく北里。
 N「それでも北里の思考は止まらない」

13.思索にふけっている北里
 N「今や北里の一挙手一投足が、研究所の注目の的となっていた」

14.実験室B
 研究者B「おい聞いたか?北里がついに破傷風の免疫療法に取り組むそうだ」
 研究者C「免疫療法?何だそれ」
 B「オレもわからん」
 D「何か北里さん、ブツブツ言ってましたよ。コカイン中毒がどうのこうのって…」
 B・C「コカイン?」
 B「コカインと破傷風が、どうつながるっていうんだ?」

15.研究室
  一心に実験を続けている北里。
  そこにかぶるように
 N「コカイン ― 麻薬の一種。胃痛、百日咳、喘息(ぜんそく)に内服し、手術の際、
  局所麻酔用に供する。
   少量ずつ、反復して使用していくと、患者の身体の方が毒になれて、相当量を施
  用しても、中毒症状を起こさなくなる」

16.セミナー(学内)
 コッホ「それが破傷風とどういう関係があるんだね?北里君?」
  研究者たちを前に実験報告をしている北里。
 北里「私は、コカインと同じことが破傷風の毒素にもあり得ると考えました」
 コッホ「同じこと?」
  首をかしげる研究者たち。
  コッホ、ハッとなる。
 コッホ「そうか、なるほど…」
 北里「まず特定の実験動物の最少致死量を決めます。そして、この破傷風菌の毒素を
  数万倍から千倍の範囲で希釈します。濃度の低いものから、濃度の高いものへと、
  順に少量ずつ、反復して、実験動物に注射を繰り返します」
  シーンとなり、北里に注目する研究者たち。
 北里「その結果…」
  コッホ。
  研究者たち。
  そこには一種の緊張感すら流れる。
 北里「実験動物はついに、致死量を越す毒素を一時期に注射しても発症をみなくなり
  ます。つまり、破傷風菌の毒素に対して、免疫性をもつようになったのです」
 「おお」
  研究者の間からどよめきがもれる。
 北里「次に」
 「ま、まだあるのか」
 「北里には限界がないのか…」
 北里「問題となるのは、この免疫性が実験動物のどこに存在するのかということです。
  結論から先に言いますと、それは実験動物の血液中の血清にありました。さらに、
  破傷風菌の毒素と、この免疫性を持った血清を同時に実験動物に注射してみると、
  破傷風の発症はみられないことがわかりました。つまり、この血清を用いれば、破
  傷風の治療は、十分可能なのです」
 一同「…」
  完全に声を失っている。
 N「当時、伝染病に対する免疫療法はひとつも存在しなかった。実に北里の研究によ
  って、医学界の血清療法は始まったのである」
 コッホ「ベーリング君。これはジフテリアにも応用できるんではないか?」
 ― E・A・フォン・ベーリング(35) ―
 「ええ、すぐに始めます」

17.研究室
  共同で研究を進めている北里とベーリング。
 N「当時、ジフテリアは死亡率40%を越える深刻な伝染病であった。ベーリングは
  北里の研究に導かれるように、ジフテリアの血清療法を完成させていく」

18.論文
 ― Ueber das Zustandekommen der Diphtherie-Immunitat
   und der Tetanus-Immunitat bei Thieren.
        E. A. V. Behring, S. Kitasato ―

 N「そして1890年12月、ベーリングと北里は連名で『ジフテリア及び破傷風菌
  の血清療法について』という論文を発表する。これは後に1901年、第一回ノー
  ベル賞医学生理学部門の受賞対象となる注目の論文であった(そのいきさつについ
  ては後に触れたい)」

19.北里
 N「滞独6年にして北里は、ついに世界の頂点を極めた」

20.日本の街並
 N「日本ではまだ人力車がほとんど唯一の交通手段であり、文明開化が叫ばれていた
  時代である。それはまさしく“奇跡”であった」

21.世界地図に ―
 N「1892年5月、北里帰国の報に接した世界の医学界は、各地で北里争奪の動き
  を見せる。イギリスのケンブリッジ大学は細菌学研究所を新設して、その所長とし
  て北里を迎えようとし、アメリカのペンシルバニア大学では年間40万円の研究費
  と年俸4万円(これだけで現在の数億円に相当する)を提示した。
   しかし北里はどこにも首を縦に振らなかった」

22.港
  別れを告げるコッホと北里。
 コッホ「どうしても帰ると言うのかね?」
 北里「いろいろとお世話になりました。今の日本は、私を必要としていると思います」
 コッホ「そうだな。君なら必ず日本の医学の水準を世界のレベルまで持ち上げること
  だろう」
 N「帰国に際し、ドイツ帝国は北里の業績に対して、いまだかつて外国人に授けたこ
  とのない“プロフェッソル(Professor)”の称号を贈った」

23.港を離れる船
  甲板に立っている北里。
 N「世界の好遇を辞してまでも帰国を選んだ北里。しかしその日本こそが、北里を最
  も冷たく迎えようとは、この時の北里には、思いもよらないことであった ― 」


 (@・終)



 北里柴三郎 A


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