「栄光なき天才たち」
― 特別シリーズ・近代日本の科学者群像@「北里柴三郎A」 ―
作.伊藤智義
1.港
船が到着する。
甲板にいる北里。
N「明治25年(1892年)5月、北里は破傷風の純粋培養および血清療法の創始
という輝かしい業績と世界的な名声を土産に、帰国してきた。
だが―」
下船してくる北里。
しかし出迎えが誰もいない。
北里「おかしいなあ…帰国の連絡はちゃんとついているはずなんだが…」
2.帝国大学医科大学(東大医学部)・一室
エラそうな男が一人。
― 東大医学部教授 青山胤通(たねみち) ―
そこに学生1、あわてて来る。
学生1「先生!北里博士がお見えになっています」
青山「(顔が曇る)北里?」
学生1「(興奮気味)はい。今日ドイツから帰られたばかりだそうで、帰国のごあい
さつにとわざわざ…」
青山「帰ってもらえ」
学生1「え?」
青山「こちらに用はない。いいから帰ってもらえ」
学生1「何を言っているんですか、先生。北里ですよ。あのコッホ門下で四天王の一
人にまで数え上げられたキタサトシバサブロー…まさか先生、ご存知ないんじゃ…」
青山「うるさいっ!帰ってもらえと言ってるのがわからんのかっ!師弟の道を解せざ
る者、わが帝大に用なしっ!」
声「それはどういう意味だ?青山君」
北里、入ってくる。
青山「(見る。堅い表情で)ここには、あなたのポストはありませんよ、北里さん」
北里「(見る)」
3.キャンパス
ベンチに座って考え込んでいる北里。
北里「(つぶやく)師弟の道を解せざる者…どういう意味だ?」
N「北里柴三郎(略歴)
嘉永5年 (1852年)熊本に生まれる
明治4年 (1871年)熊本医学所入学
明治8年 (1875年)東京医学校(東大医学部の前身)入学
明治16年(1883年)東大医学部卒業
内務省衛生局勤務
明治18年(1885年)ドイツ留学
・
・
・
東大医学部は北里の母校に当たる。その母校からの冷たい反応が、北里には理解
できなかった」
声「理由は簡単ですよ」
見る北里。
森林太郎(鴎外)が来ている。
北里「おお、森君。君は何か知ってるのか?」
森「“師弟の道”の師とは東大教授緒方正規先生のことです」
北里「緒方君の?」
森「北里さんはドイツに旅立たれる前、6ヶ月ほど細菌学の基礎を身につけるため緒
方さんの助手につきましたね?」
北里「ああ、確かについた。あの時のおかげで私はドイツに行ってからずい分助かっ
たよ。緒方君には感謝している」
森「その恩を、あなたはアダで返した」
北里「え?…(ハッとなる)脚気菌のことか?」
うなずく森。
北里「バカな…あれは…」
N「ことの起こりは7年前にさかのぼる」
4.イメージ
1000人もの聴衆を集めて盛大な発表会を開いている緒方。
N「明治18年(1885年)、東大教授緒方正規は、脚気の病原菌を発見したと発
表。脚気は当時の日本において、深刻な病気であったので、もし事実であれば画期
的な発見である。
前後してオランダの医学者ペーケルハーリングもまた、脚気の病原菌を発見した
報告」
5.イメージ
ドイツ時代の北里。
N「当時、ドイツに来て間もない北里は、ドイツ人学者から、脚気菌の真偽について
問いを受ける。北里は追試をやってみた」
実験を行う北里。
N「その結果、ペーケルハーリングのものも、師 ― 緒方のものも、いずれも雑菌の
一種であって、脚気の病原菌とは認められない、と結論したものである」
6.キャンパス
北里「それじゃオレに嘘をつけというのか!?」
森「そうは言いません。けれど、あなたの行為は知識を重視するあまり、情を忘れた
ものと、非難されても仕方がないんじゃありませんか?」
北里「私は科学者だ。その私が…」
森「失礼。先を急ぎますので」
北里「…」
立ち去っていく森。
N「明治14年、最年少(19歳)で東大医学部を卒業した森鴎外は、この時30歳
にして陸軍二等軍医正(少佐に相当)。のちには45歳で軍医としての最高位、陸
軍軍医総監の座にのぼりつめ、第八代陸軍省医務局長の椅子につく。この超エリー
トも終始東大医学部側を支持し、以後、北里と対立していくことになる」
立ち尽くしている北里。
N「日本医学界の至宝、北里は、日本医学界自らの手によって潰されようとしていた。
しかもそれは、本当につまらないメンツが原因だったのである」
7.内務省衛生局
ブ然とした表情で座っている北里。
局員1、来る。
局員1「早いとこ謝っちまった方がいいんじゃないか?」
北里「謝る?誰が?」
局員1「まずいだろ?このままじゃ」
北里「バカなことを言うなよ。学者が真実を語らなくなったら何が残るんだ?まして
やオレたちのやっていることは医学だ。うしろに多くの生命が控えてるんだ。いい
加減なこと、言えるわけないだろう!」
局員1「おいおい、そんなに興奮するなよ」
北里「こんな状態じゃ日本の医学は永遠にヨーロッパに追いつけん!」
局員1。
局員2「だけど実際問題、このままじゃ困るだろう?」
見る北里。
局員2「日本じゃ医学の研究機関は東大だけなんだ。いくらオマエがすごいヤツだと
しても、研究をさせてもらえなければ手も足も出んだろう。まあオマエが研究者の
道を捨てて内務省(ここ)に戻るっていうんなら、それはそれで構わんが…」
北里、スックと立ち上がる。
北里「オレは世界のキタサトだ。心配ご無用」
出て行く北里。
8.道
ムッとした表情のままズンズン歩いていく北里。
― そうだ、オレは世界の北里だ。束にして勝負してやるっ ―
*
N「この時、北里の頭の中にはヨーロッパで見てきたコッホ研究所やパスツール研究
所があった、帰国に際して北里は、日本にも伝染病研究所が必要であると、痛切に
感じていた」
9.政財界を説得して回る北里
その数カット。
N「北里は、伝染病研究所創設の必要性を直接、間接に、各界に説いて回った。
そして―」
10.福沢諭吉邸
説得に来ている北里。
福沢「なるほど、伝染病研究所をね」
北里「去年一年間のコレラによる死者が全国で35,000人、赤痢と腸チフスの死
者は、それぞれ8,500人にものぼっています。ことは急を要します」
福沢「(うなずき)君のことは、内務省衛生局長の長与さんからよく聞いている。君
のような人物を遊ばせておくことは日本にとって大きな損失かもしれんな。よし、
協力させてもらおう」
北里「(見る)ありがとうございます」
11.建設中の研究所
木造二階建て。
それを見つめる北里。
N「こうして、わが国最初の伝染病研究所は民間主導型で発足した。明治25年(1
892年)11月のことであった」
12.東大医学部
緒方と青山。
緒方「なに?北里が伝染病研究所を造った!?」
青山「バックには福沢が、そして内務省が動いた模様です」
緒方「ムウ…こざかしいヤツだ」
N「伝染病研究所という拠点を持った北里に対し、東大医学部の反目は次第に表面化
していく」
13.議会
論争している議員たち。
N「翌明治26年(1893年)、伝染病研究所を国費で補助しようという議案があ
る議員から提出されると、文部省は国立伝染病研究所創設案を提出する。審議の結
果、政府案が否決され、議員提出案が可決されるという異例の採決で北里側がまず
勝利を収めた。
とんで明治31年には北里が医師会創設の動き(医師会法案の国会提出)を見せ
ると、青山は森鴎外(陸軍軍医)を巻き込み反対に回る。この時は青山・東大側が
勝っている。
*
しかし、かんじんの研究業績においては、当時の日本で北里の右に出る者はいな
かった」
14.病院
― 明治27年(1894年)ホンコン ―
患者であふれかえっている。
N「この年ホンコンはペストの大流行にみまわれていた。日本政府は調査団を派遣。
その主要メンバーに北里、そして青山も含まれていた」
15.研究している北里
16.同じく青山(別室)
*
二人の姿が重なって、
顕微鏡をのぞいている北里、「これか!」と叫ぶ。
N「この時北里は、ペスト菌を発見して世界の医学界の話題をさらう。
一方青山は、自身がペストに感染し、生死の境をさまよい、奇跡的に生還する。
*
北里・伝染病研究所の名声は、いやがおうにも高まっていった」
17.伝染病研究所
北里と若き研究員志賀潔(25)
志賀「やりましたね、先生。これでまた差をつけましたね」
北里「ホッホッホ、ワシがちょっと本気を出せばこんなもんだ」
志賀「ぼくらも早くそういう研究ができるようになりたいですよ」
北里「そういえば君は東大医学部出なのによく伝研(うち)に来る気になったな。あそ
こじゃオレの評判はひどいもんだろ」
志賀「確かに先生たちはムチャクチャ言ってましたよ。けど、学生はちゃんと見てま
す。先生の確かな業績や、伝研(ここ)ができてから伝染病が激減していること。来
ますよ。絶対。ぼくらだけじゃない。東大からだって続々と学生が流れてきます」
うなずく北里。
N「この時期、志賀潔をはじめ、北島多一、秦佐八郎など、次世代を担う逸材が続々
と伝研を、そして北里をめざしてやってくる。伝研の基盤は確実に固まりつつあっ
た」
18.東大医学部
教授会。
そこに青山、姿を現わす。
緒方「もういいのか?青山君」
青山「はい、おかげさまで、すっかり」
教授A「そりゃ良かった」
教授B「さっそく全快祝いをしなくちゃ」
緒方「しかしホンコンじゃエライ目にあったな」
青山「(見る)ホンコンといえば北里。つくづくあいつはひどい男ですな」
緒方「ん?北里がまた?」
青山「あの男、ペスト菌を発見したのは自分だと言っているが、あれは嘘です」
「なんだって!?」
青山「あの時、我々の研究グループとは別にパスツール研究所(仏)からも研究者が
来ていたんですよ。その一人、エルサンもまた、ペスト菌を発見した」
教授A「しかし両グループは独立に研究していたわけだろう?」
青山「ええ」
教授A「だったらその発見はともに独立であると考えるのが自然だろう」
教授B「しかも私の知り得る限りでは発表は北里の方がわずかに早かった。だから欧
米ではペスト菌のことを北里エルサン菌と呼んでいる」
青山「しかし北里のには大きな誤りがあったんだよ。北里はペスト菌に何ら関係のな
い双球菌も研究対象にしている」
教授たち。
青山「北里という男はそういう男なんですよ。一人じゃ完全な仕事が何もできない。
血清療法の創始者だっていばっているが、あれだってベーリングにくっついていた
からですよ。我々は日本医学界の代表として、あんな男をこれ以上のさばらしてお
くわけにはいかんですよ」
19.伝染病研究所
北里「何だって!?ペスト菌発見を否定しただけじゃなく、血清療法までも!?」
所員A「日に日に東大側の中傷はひどくなっているようです」
激怒している北里。
北里「許せん!あいつらには学者としてのプライドはないのかっ!(立ち上がる)」
所員A「あ、どこに行かれるんです?」
北里「東大だ。一言文句言ってこなけりゃどうにもおさまらんっ」
20.伝研・表
裏から出てくる北里と所員A。
人の列にぶつかり、
北里「ちょっと通してくれ」
男1「ダメだよ、横入りは」
北里「すまん、急ぐんだ、ワシは」
男2「うしろうしろ、ちゃんと並んで」
北里、行列の後方を目で追う。 ― どこまでも果てなく続いているように見える。
前の方はと見ると、伝研の入り口へとつながっている。
北里「…なんだ?この長蛇の列は」
所員A「今日は伝研(うち)の講習会の日ですからね」
北里「講習会?…あの全国の医師や各府県庁の衛生技師を対象とした?」
所員A「そうですよ。北里先生が始められた講習会です。先生はこの所忙しくてご存
知なかったかも知れませんが、今じゃ人気が人気を呼んで、ごらんの通りですよ。
いくら上でゴチャゴチャ言っても、世間はちゃんとわかってるんですよ」
北里「…」
そこに所員B、あわてて来る。
所員B「先生!北里先生!大変です!志賀さんが…」
「なに?北里?」
行列がザワつき、いっせいに注目する。
北里「志賀が、どうかしたのか?」
所員B「とにかく来て下さい」
21.研究室
来る北里と所員A、B。
北里「どうした志賀?何があったんだ」
顕微鏡から顔を上げる志賀。
志賀「あ、先生。とにかくこれを見て下さい」
北里「ん?」
顕微鏡をのぞく。
細菌が見える。
志賀「赤痢菌です」
北里「なにっ!」
思わず振り返る。
北里「やったのか、とうとう!」
志賀「はい!動物実験でも確認されました」
北里「(興奮してくる)よくやった。よくやったぞ!」
志賀「はい」
N「“赤痢菌発見!” ― この報はトップニュースとして世界中を駆けめぐった。し
かも発見者が日本人の、それも無名の青年医師であったことが世界を驚かせた。赤
痢菌は志賀潔の名にちなんでシゲラと名付けられた。明治30年(1897年)、
志賀潔、若冠27歳の時である。
*
こうして、北里についで日本人として二人目の世界的医学者は、北里・伝染病研
究所から誕生するのである」
22.伝研・全景
続いている長蛇の列。
N「ここに伝染病研究所の地位は確固たるものとなった。翌明治31年(1898年)
には内務省管轄の国立機関に変わり、名実ともに東大と二分する一大勢力を形成す
るに到る。
一方、東大では、この年医学部長に緒方正規が就任する」
23.イメージ
北里。
そして緒方、青山。
両者が重なり、
N「北里対緒方ではじまった対立は、内務省・伝染病研究所対文部省・東京大学とい
う、政界をも巻き込む一大対立へと発展していくのである」
(A・終)
[戻る]