「栄光なき天才たち」特別シリーズ ～ 近代日本の科学者群像Ⅱ ～
「理化学研究所」 ― ③ 日本の原爆製造計画（ⅰ） ―
作．伊藤智義
１．理化学研究所
― 昭和１２年 ―
日本初のサイクロトロン（直径２６インチ）の完成。
喜びに沸く研究員たち。
仁科「さあ、次は大サイクロトロン（直径６０インチ）を作るぞ」
「え？」
と驚く研究員たち。
Ａ「今、完成したばかりなのに…」
Ｂ「これからこれを使って実験を始めるんじゃ…」
仁科「もちろん、これも使うよ。しかし、世界は日進月歩の勢いで進歩している。我々
も先を急がなければ…。これを叩き台にして、巨大なサイクロトロンを作る。…その
ためにはまず金がいるな…」
「金のことは心配いらない」
大河内、来る。
仁科「所長」
大河内「私が何とかしよう。思う存分、やって下さい」
２．所内の一画
大サイクロトロンの工事が始まっている。
Ｎ「この頃の仁科研は国内の原子核研究のメッカとして、大きく膨れ上がっていた。研
究者は１００人を超え、その勢力は、ビタミン、合成酒などで理研の屋台骨を支えて
いた鈴木梅太郎研究室と二分するものとなっていた。それは量だけでなく、質的にも
日本最高級の頭脳集団を形成していた」
仁科研究室（１９４３年度）
主任研究員 仁科芳雄
（１）原子核並びに中間子の理論（研究員に朝永振一郎（１９６５年ノーベル物理学
賞受賞）・湯川秀樹（１９４９年ノーベル物理学賞受賞））
（２）固体の量子論・宇宙線の研究
（３）大サイクロトロンの建設・他
（４）同位元素の研究
（５）サイクロトロンによる高速イオンの分光学的研究
（６）原子核物理学の金属学に対する応用
（７）人工放射能の生物学に対する応用並びに影響
（８）中性子並びに宇宙線の遺伝的作用
（９）中性子の植物に対する作用
３．会社・会議室
― 理化学興業・役員会 ―
取締役会長に大河内。
役員１「この決算書でも明らかなように、理研産業団の利益のほとんどは研究所に報償
金として支払われています。このような状況のままでは…」
大河内「理研産業団は理化学研究所を支援するために作られたものだ。研究所の援助を
減額することは、一切認めない」
役員１「しかし、会社を経営する立場上、これだけの額になってくると…」
大河内「知は財産だ。先行投資だと思えばよかろう」
役員１「しかしですね」
大河内「とにかく！研究は第一だ。それは日本のためでもある」
一同。
大河内「それにもう一つ。これから、思いきって会社の増設を行おうと思う。諸君の一
層の経営努力を望む」
ザワつく一同。
＊
Ｎ「理化学研究所を支えるために大河内によって形成された理研産業団は、昭和９年を
境に著しい膨張を示す。昭和２年から８年までは理化学興業一社だけだったのが、昭
和１４年には、わずか５年で６３社にも増えていた。
それは、日中戦争のぼっ発、時局の不安と無関係ではなかった」
４．理化学興業・会長室
大河内「（つぶやく）まだまだ足りん…」
「えっ」と驚いたように顔を上げる秘書Ａ。
大河内「（フッと笑い）世間じゃ私のこと、どう言っている？」
秘書Ａ「（見る）…そうですね…（困惑）」
大河内「いいから正直に言ってみなさい」
秘書Ａ「ハァ…その…常軌を逸してると…あ、これは私が言ったんじゃありませんよ、
決して私は…」
大河内「ハッハッハッ…常軌を逸しているか…まさにその通りだ」
Ｎ「理研産業団の急激な膨張は、日産、日空、森（昭電）、日曹とともに新興コンツェ
ルンの一角に数えられ、一見華やかであったが、その内実は、急激な膨張に財政がつ
いていかず、経営は極度に悪化していた」
窓の外に目をやっている大河内。
大河内「（つぶやく）たとえ理研がつぶれても…」
秘書Ａ「ハ？（再び顔を上げる）」
大河内「（振り返り）たとえ理研がつぶれても、日本をつぶすわけにはいかん。そうだ
ろ？」
秘書Ａ「ハァ…」
５．大河内のプロフィール
明治１１年 東京生まれ
明治３６年 東京帝国大学工科大学造兵学科を主席で卒業
同時に同学科講師に就任 以後助教授（明治３７年）、教授（明治４４年）
明治３８年 火兵学会を創設
明治３９年 子爵
大正 ４年 貴族院議員に初当選 以後、工政会を結成（大正７年）、一貫して工業
育成に尽力する。
大正 ７年 理化学研究所研究員
大正１１年 同 所長
昭和 ２年 理化学興業創立
・
・
・
Ｎ「日本人として初めて造兵学科の教授となった大河内にとって、最大の問題は国防で
あった。それは兵器の製造のみを意味しない。工業基盤の充実である。そのための理
化学研究所であり、理研産業団であった」
６．理化学興業・会議室
紛糾している役員会。
役員１「もう限界ですよ！私には会長が何を考えておられるのか、わからないっ！」
大河内。
役員２「財政面からみれば、すでに限界をはるかに超えています。外見上パンクしてい
ないのは、戦時下（日中戦争）という特殊な状況下にあるためです。もしこれ以上、
会長が拡大経営を続けるというのなら、我々役員会は…」
大河内「もし今、日本がアメリカと戦争を始めたとしたら、」
見る一同。
大河内「日本は勝てると思うかね？」
とまどう一同 ― 顔を見合わせる。
大河内「アメリカは…すごいぞ。あの工業力に追いつくには、何年かかるだろう」
一同「…」
大河内「（つぶやく）それまで待ってくれるかどうか…」
７．進撃する機甲師団
― 昭和１４年（１９３９年）９月 ドイツ ポーランド進攻 ―
Ｎ「時代は、風雲急を告げていた」
８．理化学研究所・所長室
入ってくる仁科。
仁科「およびですか？所長」
大河内、一人の軍人を紹介する。
大河内「陸軍航空技術研究所長、安田武雄中将だ。君に話があるらしい」
仁科「陸軍の人が、私に？」
大河内「軍人といっても、安田中将は東大の電気科を出ているから、君と同窓というこ
とになる」
安田「仁科博士、単刀直入におききします。原子爆弾は可能でしょうか？」
見る仁科。
大河内。
安田「原子核物理学の第一人者としての意見をおききしたい」
＊
Ｎ「日本の原爆研究は安田武雄により昭和１５年４月に始まる（理研に依頼は昭和１６
年４月）。それは、オットー・ハーンの核分裂の発見から二年半、アメリカに遅れる
ことわずかに半年たらずであった」
＊
仁科「即答はできません」
安田「それでは研究してみて頂けませんか？」
仁科「（大河内をチラッと見る）」
大河内。
仁科「爆弾になるか動力用の原子炉になるか、それはわかりませんが、原子核エネルギ
ーを取り出すことは非常に興味あることです」
安田「（うなずき）よろしくお願いします。それでは」
出ていく安田。
大河内「安田武雄か…軍にも、あれほど先の見える男がいたとは…」
＊
Ｎ「この時期を境に、世界中の学術雑誌から、原子力に関する論文が、ピタリとなくな
る。
そして ― 」
９．港
停泊中の艦隊を爆撃する編隊。
― 昭和１６年１２月８日 ハワイ真珠湾 ―
Ｎ「ついに太平洋戦争、ぼっ発」
１０．撃沈する英国プリンス・オブ・ウエルズとレパルス
― 昭和１６年１２月１０日 マレー沖海戦 ―
１１．沸き上がる日本国民
１２．快進撃の日本軍
― 昭和１７年２月１５日 シンガポール陥落 ―
１３．沸き上がる日本国民
Ｎ「緒戦の勝利に日本国中が沸きたつ中、議会では大河内が、戦争完遂のための方策を
熱烈に弁じていた」
１４．議会
大河内「この戦争に勝って勝手勝ちぬくには、五重要産業を始めとし、何処までも生産
を増強しなければならない。そのためには…」
その力強い表情。
１５．同・表
出て来て、車に乗り込む大河内。
運転手の秘書Ａ ― 浮かれている。
秘書Ａ「意外にアメリカもたいしたことはないですねェ。いや、やっぱり日本が強いと
いうことですかね」
大河内 ― さきほどとうって変わって、うかない表情。
秘書Ａ「そうですよね？先生」
大河内「ん…うん…」
秘書Ａ「（不安になってくる）日本は、勝つんでしょ？」
大河内「…」
秘書Ａ「(不安)日本は…どうなるんですか？」
大河内「…」
重い口を開く。
大河内「寺田寅彦博士が、昭和１０年の中央公論４月号に、“政治と科学”という短文
をよせている。私も同じ考えだった。今も同じだ」
秘書Ａ「？」
１６．イメージ
寺田寅彦と中央公論。
「具体的にいうことができないのは遺憾であるが、自分の知っている多数の実例におい
て、科学者の目から見れば実に話にもならぬほど明白なことがらが、最高級な為政者
にどうしても通ぜずわからないために国家が非常な損をし、また危険を冒していると
思われるふしが、決して少なくないのである。中にはよくよく考えてみると、国家国
民の将来のために、実に心配で枕を高くして眠られないようなことさえあるのである。
（中央公論 ４月号 昭和１０年）」
１７．理研
大サイクロトロン建設現場。
仁科「ずい分遅れているぞ。どういうことだ？」
研究員Ａ「真空ポンプがまだ来ないんです。注文してから半年たつんですけど…」
仁科「(タメ息)そんなもの、アメリカでは電話一つで届くというのに…」
１８．同・鈴木研究室
鈴木梅太郎が弟子たちにこぼしている。
鈴木「日本人、とくに青年将校は戦争が好きで困る。日支事変などやらなくてもすんだ
ものを、戦争好きと外交下手のおかげでこんなことになってしまった。この華々しい
戦果も、最後まで継続できるとはかぎらない。彼らが本腰を入れて立ち上がると、日
本のように軍人だけに頼る国家と違って、経済力のバックがある。つまり、物質の点
では比較にならないからなあ。負けなければよいが、心配だよ」
１９．海戦
爆撃大破する日本の空母。
― 昭和１７年６月５日 ミッドウェイ海戦 ―
Ｎ「ミッドウェイ海戦で連合艦隊は大打撃を受け、ここに戦局は急転する」
＊
― ８月７日 米軍ガタルカナル島上陸 ―
Ｎ「東京市では、家庭用野菜の登録制販売まで始まった」
＊
Ｎ「戦局が急速に悪化の度を加えていく昭和１８年５月、陸軍航空総監兼航空本部長に
昇格したばかりの安田武雄中将のもとに、一通の報告書が届く」
２０．陸軍航空本部
報告書を開く安田。
その一文。
“検討した結果、原爆製造は、技術的に可能であると考えられる”
“仁科芳雄”
安田。
そこに仁科の姿がかぶって ― 、
Ｎ「こうして日本の原爆製造計画、陸軍最高機密“二号研究”はスタートするのである」
（③・終）
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