「栄光なき天才たち」特別シリーズ 〜 近代日本の科学者群像U 〜
「理化学研究所」 ― A 寺田寅彦 ―

 作.伊藤智義


1.理研・会議室
 ― 年二回の定例会議 ―
 大河内「研究費は十分用意してありますから、ご心配なく」
  所員を代表して、長岡と鈴木が、
 「経営のことは所長お一人にご心配願ってありがたい」
 N「大河内の才覚によって自活の道を歩き始めた理化学研究所は、まさに研究の楽園
  であった」

2.研究に励んでいる各研究室
 N「十分に使える予算に加え、研究所としての規則はほとんど皆無で、出勤、退出も
  自由であったという。研究者はただ自分の研究に専念すればよいわけで、当時とし
  ては前代未聞の画期的なシステムであった。
    *
   そしてそこに、その実力からして当然のことながら、彼もいた」

3.喫茶店
 ― 銀座・風月堂 ―
  コーヒーを満足そうに飲んでいる男。
 ― 寺田寅彦(46) 物理学主任研究員 ―
  学生A、B、入ってくる。
   ― ふと寺田に気づく。
 A「寺田先生。いや、奇遇だなあ。先生はよくコーヒーを?」
 寺田「(うなずき)好きでね」
 B「ご一緒させて頂いて、構いませんか?」
 寺田「構いませんよ。どうぞ」
  学生A、B、顔をほころばせて、座る。
 寺田「君たちは確か、東大の物理の学生だったね?将来はどうするつもりですか?」
 A「はあ、それがまだハッキリしなくて…。何かやろうという意欲はあるんですが、
  なかなかテーマが見つからなくて…」
 B「ぼくは、やるならやっぱり原子物理だと考えています」
 寺田「原子物理ね…まあ、ヨーロッパに目がいくのも無理はないけど、原子物理だけ
  が物理じゃないですよ。例えば、これ」
  茶菓子として置いてある金平糖を取り上げる寺田。
 寺田「君たち、不思議だとは思いませんか?」
 A・B「?」
 A「金平糖…ですか?」
 寺田「(うなずき)金平糖はどろどろに溶かした砂糖水に芥子粒(けしつぶ)を入れ
  てかきまぜるだけでできるんだが…つまり、芥子粒が核になって、そのまわりに砂
  糖が凝固して、段々に大きな塊に成長するわけでね、」
  A・B。
 寺田「そうするとだよ、対称性を考慮するとだね、金平糖は丸く生長しなければなら
  ない」
  A・B。
 寺田「ところがだ、実際はホラこの通り、ニョキニョキと角が生えている」
 A「ハァ、なるほど…」
 B「言われてみれば不思議ですね」
 寺田「でしょう?(はにかんだようにちょっと笑い)実はぼくは、これで論文を書い
  たことがあるんだよ」
 A・B「(ビックリ)金平糖でですか!?」

4.イメージ
  寺田寅彦。
  名言“天災は忘れた頃にやってくる”など。
 N「『吾輩は猫である』の中の理学士水島寒月、『三四郎』に出てくる理学士野々宮
  宗八のモデルとなった寺田寅彦は、夏目漱石の最も信頼していた弟子であり、自身
  も文学史上に不朽の名を残しているが、本職の物理学においては、それにもまして
  重要な人物である」
  寺田の業績。
 N「著名な物理学者として地震などの地球物理学の分野で偉大な足跡を残しただけで
  なく、『尺八の研究』で学位を取った寺田は、一生を通じて奇抜な研究テーマが多
  かったことでも知られている」

5.喫茶店
 寺田「だけど、そういうテーマは、ぼくにとっては別に奇抜でもなんでもないんだ。
  不思議なこと、美しいものを究(きわ)めてみたいと思うことは自然なことじゃな
  いかな」
 A「しかし、そういう日常接する現実の現象っていうのは、たいてい、いろんな要素
  が入りまじっていて、複雑すぎて物理にはなじまないんじゃないですか?」
 B「そうそう。ぼくもそういうことを、誰だったか、ある先生から聞いた覚えがあり
  ます」
 寺田「いやいや、自然というものは…複雑であり、また単純なものなんですよ」

5.理研・寺田研究室(実験室)
  電気花火の実験をしている助手の中谷宇吉郎。
  そこに大河内、来る。
 大河内「中谷君、寺田は?上かい?」
 中谷「いえ、先生はまだ…」
 大河内「(時計を見て)三時か…まだ風月堂で一服してるのかな」
 中谷「えっ」
 大河内「(ニヤリとして)隠さなくてもいいよ。ぼくは寺田と同期だよ。彼のことは
  ぼくの方がよく知っている。昼はきまって銀座へ出て竹葉亭か三越で昼食をとり、
  風月堂でコーヒーを飲んで、ついでに…おっと、そんなことより、君はもう聞いた
  か?寺田が東大に辞表を出したこと」
 中谷「え?」
 大河内「もう東大じゃ大騒ぎだよ。ぼくのところに駆け込んできて、何とか慰留して
  もらいたいって…今や寺田は東大の物理学教室の看板だからな。学生にも圧倒的な
  人気があるし」
 中谷「そうですか、とうとう辞表を…」
 大河内「知ってたのか?」
 中谷「最近よくこぼしてたんですよ」

6.回想
  寺田。
 「ぼくは今度いよいよ決心をして大学を止めるよ。ああいうところに居たら、ぼくは
  死んでしまう。大学の事情もあるだろうが、生命(いのち)にはかえられないから」
  と、はにかんだ笑みを見せる寺田。

7.寺田研究室(実験室)
 中谷「最初は冗談かと思ってたんですが…」
 大河内「生命にはかえられないか…無理もないかもしれんな。会議が嫌いで、講義が
  嫌いで、派閥が嫌いで…流行が嫌いで、人間が嫌いで…そのくせ他人(ひと)に人
  一倍気を使ってしまう…。君は知ってるか?寺田がラウエ斑点の研究をしたときの
  ことを」
  中谷。

8.イメージ
  苦心して実験装置を組み立てている寺田寅彦。
 N「1917年(大正6年)、寺田は、イギリスのブラッグとほぼ同時期に、独立に、
  ラウエ斑点のX線解析の先駆的な研究を行っている。それは、当時ヨーロッパの主
  流であった原子物理学において、重要な仕事の一つであった」

9.寺田研
 大河内「あの時も寺田はまわりに遠慮ばかりして、最後には医学部で不要になったX
  線管を苦心して使っているんだ」
  中谷。
 大河内「まあ、それであれだけのことを成し遂げたんだから、それは寺田のスゴさを
  示してもいるんだが…」
  中谷。
 大河内「その研究でブラッグはノーベル賞をもらい、寺田はそれ以上深入りしなかっ
  た。ヨーロッパと同じことをしていても勝負にならないと思ったのか、単に興味が
  なかったのか、それはわからないが、それ以降、明確に独自の物理学を試行し始め
  る。いわば日本物理学とでも言うのかなあ、寺田は…」
 声「そんな大それたものじゃないよ」
  寺田、来る。
 寺田「ただ、あまのじゃくなだけさ」
 大河内「おい、どこ行ってたんだ。東大じゃ大騒ぎだぞ」
 寺田「(見る)君からも、頼んでくれないか?」
 大河内「(見る)やっぱり本気なのか?」
  うなずく寺田。
 N「昭和2年、地震研究所教授を条件に、寺田の東大理学部辞職は受理された。そし
  てこの時期は寺田にとって、理研、地研、そして航空研究所の三ヶ所を拠点として、
  気象学、地震学など広い意味での地球物理学に力を注ぎ、多くのすぐれた弟子たち
  を育てていく、いわゆる“寺田物理学”の開花期となっていくのである。
   *
   一方その頃、ヨーロッパでは、新たな興奮が巻き起こっていた。量子力学の誕生
  である」

10.イメージ
  ハイゼンク(独)とシュレーディンガー(オーストラリア)
 ― 量子力学 1926年(大正15年) ―

11.ヨーロッパの地図に ―
  原子物理学の二大中心地、ラザフォードのいたケンブリッジ大学キャベンディッシ
  研究所と、ボーアを所長とするコペンハーゲン理論物理学研究所。
 N「吹き荒れる物理革命のまっただ中、一人の日本人がいた」

12.研究所
 ― コペンハーゲン理論物理学研究所 ―
  活発にくり返される討論。
  その中にいる一人の日本人。
 ― 仁科芳雄 ―
 N「“クライン・仁科の公式(1928年)”を創出して世界的にも知られた仁科は、
  ヨーロッパの興奮をそのまま伝え得る唯一の日本人として、昭和3年、帰国する」

13.港
 N「ところが、」
  降り立つ仁科(39)。
 N「仁科を迎え入れる大学はなかった」
  キョロキョロする仁科。
 仁科「あれ?出迎えはなしか?」
 N「仁科が物理学科の出身ではなく、電気工学科(東大)の出身者だったからである」
  そこに現われる大河内。
 大河内「お帰り、仁科君」
 仁科「(見る)大河内先生!」

14.寺田研究室
  窓から、次々と荷が運ばれてくる様子が見てとれる。
 寺田「引越かい?」
 大河内「ああ。今度、仁科君が理研(うち)にくることになったんだ」
 寺田「ほう、仁科君が…そいつは良かった」
 大河内「え?」
 寺田「ああいう優れた人は大学なんかに入らない方がいいんだ。ここなら思う存分仕
  事ができる」
 大河内「君は原子物理が嫌いじゃなかったのか?もっとも仁科君の話では、今では原
  子『核』物理というそうだが」
 寺田「いつ嫌いだって言った?本流を追うことは大切なことだよ。ただ、それだけじ
  ゃいけないってことさ」
 大河内「なるほど」

15.教室
 ― 京都大学 ―
  講義をしている仁科。
 N「理研に腰を落ち着けた仁科は、昭和6年京大に招かれて『量子力学』の特別講義
  を行う」
  真剣に聞いている学生たち。
 N「そしてこの講義に魅了された多くの学生が後に仁科のもとに集まり、仁科グルー
  プを形成していくことになる。そしてそこには後のノーベル賞物理学者湯川秀樹と
  朝永(ともなが)振一郎がいた」
  机を並べて熱心に受けている湯川と朝永。

16.イメージ
  寺田と仁科。
 N「寺田寅彦がその絶大な人気により東大の門弟を多く集めて、東大物理学の一つの
  源であったとすれば、仁科芳雄は、湯川秀樹の『中間子論』を経て、戦後の『素粒
  子論』へと大きく開花する京大物理学の、まさしく源流であった」

17.仁科研
  白熱している討論会。
 N「そして仁科は、寺田とは対照的に、懸命に欧米を追いかける」
   *
  人工加速装置の完成(コックロフト、ウォルトン)
  中性子の発見(チャドウィック)
  陽電子の発見(アンダーソン)
  重水素の発見(ユーレイ)
   ・
   ・
   ・
  続々と到着する新事実に、
 仁科「諸君!我々は欧米より郵便がくる二週間しか遅れていない。ガンバロウ!」
  その言葉に奮いたつ一同。

18.寺田研
  実験に従事している助手たち。
 N「一方、寺田の自然観はいよいよ鳥瞰的になり、生物を含めた全自然現象に物理学
  の方法を及ぼそうとし、それとともに研究テーマは奔放の度を加えていく」
  線香花火の研究
  墨流しの研究
  割れ目の研究
   ・
   ・
   ・
 N「さらに寺田の助手であった中谷宇吉郎は北大に移り、一生のテーマとなる“雪の
  研究”を開始し、見事に寺田物理学を継承していた」

19.イメージ
  中谷宇吉郎と雪の結晶の各種。
  世界初の人工雪。
 “雪は天からの手紙である”(中谷宇吉郎)
   *
 N「しかし、寺田と仁科のこの対照的な違いは、後に、『東大の物理学が地球物理学
  にかたより、京大に遅れをとってノーベル賞が出なかったのは、寺田の文人趣味の
  せいだ』という批判を生み出すことになる」

20.寺田研究室(教授室)
  静かに本を読んでいる寺田。
  他にデータを整理している助手A。
 寺田「(ふと)なあ君。ハメルンの笛吹き男の話、知ってるかい?」
 助手A「(顔を上げる)ねずみだったか、子供だったかを、笛を吹いて大勢連れてい
  ってしまうという…?」
 寺田「(ブツブツと)ぼくはハメルンの笛吹き男なのかな」
 助手A「ハ?」
 寺田「ぼくが死んだら皆はぼくのことをどう書くだろう…(見る)君、なにかそれを
  読むような巧い方法はないかな?」
 助手A「え…」
  寺田 ― 妙に真剣な表情。
 助手「…(困惑)」
  寺田 ― ハハ…と笑顔を見せる。
  助手A、安心したように笑う。
 助手A「やだなあ、もう、先生は…」
  寺田 ― 。
   *
 N「寺田の死後、セキを切ったように寺田批判は噴出する。
   しかし、原子物理学が原子爆弾を生み出し、重い十字架を背負っていくのに対し
  て、寺田の成した先駆的な仕事の数々は、時代がたつにつれ、文明が高度に発達す
  るにつれ、各分野で再評価されていくのである」

21.イメージ
  一人静かに書にふけっている寺田。
  そこに寺田の歌、かぶって、

 「Sukinamono Itigo Kohi Hana Bizin Futokorode site Utyu KenButu
                              1934.1.2
  (好きなもの いちご コーヒー 花 美人 懐手(ふところで)して 宇宙見物)」

 N「昭和10年(1935年)12月31日、寺田寅彦は57年の生涯を閉じた」

   *

22.理研
  大規模な工事が始まっている。
 N「寺田の死と前後して、仁科は日本で初めての加速器の建設に着手する。
   この時期、物理学は、個人の学問から、巨大科学へと、大きく変貌(へんぼう)
  しようとしていたのであった ― 」


 (A・終)



 理化学研究所 B


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