「栄光なき天才たち」特別シリーズ 〜 宇宙を夢見た男たち 〜
― @K・E・ツィオルコフスキー(1) ―
作.伊藤智義
1.本屋
― モスクワ 1873年 ―
少年(16)が、本を抱えてレジに来る。
ボロボロの服。やつれたその顔。
しかし、その顔は、欲しい物を手に入れた喜びで輝いている。
少年「これ下さい」
「いらっしゃい…」
と見るオヤジ。
オヤジ「…またアンタかい」
ポケットからお金を出す少年。
オヤジ「アンタねェ、本が好きなのはよくわかるけど、少しは自分の体も考えなよ」
少年「?」
オヤジ「仕送りのほとんどを本代に使っちまって、聞くところによると、毎日、黒パ
ンと水だけの生活だっていうじゃないか」
少年「?」
オヤジ、イライラしてくる。大声になって、
オヤジ「死んじまうって言ってんだよっ!だいたいアンタ、こんなに難しい本ばかり
買い込んで、わかってるのかいっ!?」
少年「?」
奥からオカミさんが出てきて、
オカミ「何を怒鳴ってるんだい、この人は。この子は耳が聞こえないんだから、紙に
でも書いてやらなくちゃダメじゃないか」
オカミ、サラサラと紙に文字を書き、少年に見せる。
“Cyπpacuba”(ありがとう)
少年「(ニコッとして)ありがとう」
大事そうに本を抱えて少年、出て行く。
オヤジ「(あきれて)おまえね…」
オカミ「うちは本屋だよ。本を売らなくてどうすんだい?」
2.下宿
うす明かりの下、パンをかじりながら、一心に本をめくっていく少年。
N「9歳の時に患った猩紅熱(しょうこうねつ)により耳の自由を失い、学校にすら
行けなかった少年 ― コンスタンチン・エドアルドビッチ・ツィオルコフスキー。
この少年から、現代の宇宙時代は始まるのである」
ツィオルコフスキー、ふと立ち上がり、窓を開け放つ。
眼前に広がる満天の星空。
「ワァ…」
と、見上げるツィオルコフスキー。
3.ロシア物理・化学協会
― 1881年 ―
論文を整理している男A、B。
A「おい、この論文、読んだか?『気体の運動学理論の原理』っていう…」
B「(見る)ああ、それ。それはダメだよ。問題外だ。その理論はすでに外国の学者
によって発表されてしまっている」
A「しかし内容は独自のものだ。決して盗作だとは思えない」
B「そんなことは問題じゃない。要は誰が最初に発表したか、だ」
A「だけど、この理論を独力で導き出せる人物が、今のロシアにいるのかい?」
B。
A「おまえ、知ってる?このツィオルコフスキーという男…」
B「いや。協会のリストにも載ってない」
A「…」
B「おい、おまえまさか…」
A「ちょっと付き合ってくれないか?」
B「(露骨にイヤな顔)勘弁してくれよォ…」
4.田舎町
― ボロフスク 1882年 ―
来る男A、B。
B「とんでもない田舎だな。こんな所じゃ学術雑誌も届くまい。だからあんな論文を
書いちまうんだ」
A「そう、盗作じゃない証拠さ」
見るB。
A、通りかかった村人に声をかける。
A「すいません。この辺にツィオルコフスキーという人はいませんか?」
村人1「ん?(と見る)先生のことかい?」
A「先生?」
村人1「ツイォルコフスキー先生のことだろ?中学校で数学を教えてる…」
A「そうです。是非お会いしたいんですが」
見る村人1。
5.道
村人1に連れられて来る男A、B。
村人1「…そうかい。ペテルブルグ(現在のレニングラード。当時の首都)の偉い学
者さんかい、あんたらは…」
A「偉くはありませんが…」
村人1「よくこんな田舎まで…」
A「彼の論文を見て、どうしても会ってみたくなったんです」
村人1「うん。…わしみたいのが言うのもなんだが、先生は若いくせに大したもんだ
よ。何だって知ってる。教員資格だって独学で勉強して取ったっていうし…」
A「(見る)学校は?行かなかったんですか?」
村人1「耳がね」
A「耳?」
村人1「「聞こえないんだよ」
顔を見合すA、B。
村人1「おっと、だけど教え方はウマイよ。この辺じゃ評判の先生さ」
6.中学校・前
来る村人1と男A、B。
村人1「ここだよ」
A「それじゃさっそく…」
と入っていこうとするA。
それを制する村人1。
村人1「あー、待ちなさい」
村人1、セキ払いを一つして、おもむろに呼び鈴(のようなもの)を押す。
校舎の中でベルが鳴る。
驚いて見るA、B。
A「電鈴(でんれい)じゃないか。どうしてこんなものがこんな田舎に…」
村人1「ハッハッハ…(愉快そうに笑い)先生が作ったんだよ。どれ、今、呼んでき
てやるよ」
入っていく村人1。
B「…少しは、やるようだな」
うなずくA。
*
村人1に連れられてツィオルコフスキー(24)、出てくる。
ツィオルコフスキー「論文を読んで頂いたそうで…」
A「そうなんだ。だけどアレはもう先に発表した人がいてね、」
ツィオルコフスキー「(気まずそうに紙とペンを差し出す)すみませんが、これに書
いてもらえませんか」
A「?(と見る)」
村人1、耳を指さす。
A「ああ」
ハッと気づき、ペンを走らす。
それを読んで、
ツィオルコフスキー「残念だけど、しかたありません。もっと勉強します」
うなずくA。
ツィオルコフスキー「あ、そうだ。今、書いている論文があるんです。見てもらえま
せんか?」
A「いいよ、ぜひ」
B「…」
7.ツィオルコフスキーの家
古びた部屋が本と実験器具で埋まっている。
B「ひどい所だな…」
論文を差し出すツィオルコフスキー。
見るA、B。
ツィオルコフスキー「(ドキドキしている)飛行船の理論研究です。現在唯一の飛行
手段である飛行船は破裂しやすくてとても危険です。それは、水素をつめる袋にゴ
ム引きのうすい布を使っているからです。それを金属で作れば、もっと丈夫なもの
が作れます」
B「金属で!?」
見るA、B。
ツィオルコフスキー「金属は重いけれども丈夫なので、布よりずっと大きな袋が作れ
ます。だから、浮力もずっと大きくなります。ぼくはそれを計算で知りました」
突然笑い出すB。
B「金属が宙に浮くって!?あの重い金属が?ハハハ…こいつはケッサクだ。(Aに)
帰ろう。おまえの買いかぶりだよ。しょせん彼は田舎の中学教師さ」
A「しかし…」
B、Aを促し出て行こうとする。
B「ハハハ…しかし、金属を空に飛ばそうとは…いやいやマイッタ」
その背をツィオルコフスキーが、トントンと叩く。
振り向くB。
ツィオルコフスキー「(ニコニコと笑顔を見せて)あの…書いて…」
B、ムッとしてペンをとる。
殴り書きした紙をツィオルコフスキーに見せるB。
“ロシア語(くだらん!)”
ツィオルコフスキー「…」
*
N「当然のことながら、現在、飛行船は金属でも作られている」
8.同・表
去っていくA、B。
A、チラッと振り返る。
遠くに立っているツィオルコフスキー。
A「(ポツリと)ツィオルコフスキー…気になる存在ではあるな…」
(@−1・終)
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